帝國海軍の艦船 |
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太平洋戦争当時の主要兵器解説です。・・・簡略解説ですが。 詳しくは余所のサイトなり本を見てくださいね。好きだけど、詳しくはないので・・・おいらΣ( ̄▽ ̄;) あまり気にしちゃだめ(^^; ということで。 ここではほんと〜に概略の説明だけです。まぁ多少詳しく書けるといいなぁ程度で別枠で解説してる艦艇もあります。・・・・全部じゃないですが(^^; |
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戦艦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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戦艦・・・いわゆる主力戦闘艦であり、長らく各国海軍の主役の座を長らく占めていた艦艇の王である。 今でこそ主役の座は航空母艦、いわゆる空母とその艦載航空機に渡したが単艦での戦闘力は当時最大であり、戦艦の保有隻数と戦闘力がそのまま国家の力を示したのである。 旧日本海軍においては1878年英国にて竣工した第1号戦艦『扶桑』(初代)を初め、最後の戦艦『武蔵』まで、35隻もの戦艦が存在した。 これらの中には日清・日露の両戦争においての戦利艦は含まれているが、建造途中で放棄されたもの、計画中止されたものは含まれていない。 ここでは主に太平洋戦争に参加した12隻について説明します。 なお当時は他に戦艦籍にはなかったが、かつて戦艦であった『朝日』『摂津』が存在するが、それに関しては省略させていただきました。 |
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航空母艦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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空母である。 (但し未成艦・水上機母艦・特設水上機母艦に関しては省略してあります。) |
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巡洋艦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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巡洋艦といわれる艦種は実に様々な種別に分けられる。 大戦中は主に重巡洋艦・軽巡洋艦の2つであり、非公式の区分としては防空巡洋艦・航空巡洋艦などもある。 では巡洋艦とはどういう艦種なのであろうか。 巡洋艦の始まりは帆船時代にまで溯る。 帆船時代の『コルベット』や『フリゲート』『スループ』等が巡洋艦と呼称とされている。当初は軽防御を備えた艦であり、日露戦争当時には戦艦の代役とも言えるバランスの取れた装甲巡洋艦となった。すなわち『砲撃力』『速力』『装甲』がバランスよく取れた準主力艦である。 当初の軽防御艦は航空機発展以前の偵察艦として高速艦へと発展し、重防御艦は巡洋戦艦へと発展していった。 巡洋艦については各国での建造目的が多少変わってくる。 旧日本海軍では戦艦の補助戦力として重巡洋艦の武装強化と、水雷戦隊の旗艦任務としての軽巡洋艦が配備されていく。 大英帝国では世界中に広がる植民地の警備任務として多数の艦船を必要としており、植民地艦隊の旗艦任務用として重巡洋艦よりも多数の軽巡洋艦を配備していく。 任務も旗艦任務のほか、商船の護衛任務が主で、長期の航海に適した設計となる。 米海軍の場合、艦隊決戦時の補助戦力として整備されている点が日本と同様だが、とにかく数が多い為、あらゆる艦艇が揃えられている。 |
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駆逐艦 水雷艇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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駆逐艦とは19世紀に発達した水雷艇と、その主要兵器である魚雷の発達が大型艦艇にとって無視できない脅威となった為、艦隊を水雷艇から守る水雷艇駆逐艦を英国海軍が装備したのが始まりである。 大型の水雷艇に小口径砲を搭載したのが原型であり、次第に航洋性をもった大型艦に発展し、世界中の海軍で運用されるようになる。 日本海軍にとって、この安く、そして威力のある駆逐艦は魅力的であり、太平洋戦争には峯風型以降、15型式198隻が建造され、参戦した。 この駆逐艦・・・特に日本の駆逐艦部隊を非常に強力にし、期待したものが61p酸素魚雷の存在であった。 来るべく米艦隊との艦隊決戦においては1000本近い魚雷の網を米艦隊に浴びせることを計画していたのである。 特型駆逐艦 吹雪級以降の駆逐艦は他国に対してなんら遜色ない、そしてその強力な兵装は外国海軍の注目を浴びた。 しかしその強力すぎる軽巡洋艦にも匹敵する武装故に技術的な無理もあり、艦そのものの復元性に欠点があった。 その後の改善作業によって陽炎級以降の甲型駆逐艦で満足いく駆逐艦が誕生した。 だが、太平洋戦争が始まってからは当初予定していたような艦隊決戦は起こらず、護衛や対潜作戦が主任務となっていた。日本海軍にこの手の任務を第1に考えて建造された駆逐艦は存在せず、最後に登場した松級駆逐艦こそが戦時にもっとも役立った駆逐艦となった。 開戦前には海軍の中枢にこれらの任務の重要性を理解しているものが少なく、適切な艦艇建造・配備計画が無かった為である。 |
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海防艦 護衛艦艇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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護衛艦艇 本来駆逐艦が行うべき任務を肩代わりし、船団護衛等の任務に従事したのが下記の各種小型艦艇である。 日本海軍にとって、これらの任務に当るべき艦艇は副次的なものであり、その重要性が理解されていなかったのである。 海防艦 元々は昭和初期まで沿岸防衛を担当する艦艇であり、明治期の旧式艦艇を当てるのが通例であった。 しかし北洋漁業の保護を目的とするこれらの任務に駆逐艦の変わりの小型艦艇を当てた。占守型である。これに海防艦の艦種を使用したことにより以後の小型艦艇は海防艦と指定された。 戦時には対潜哨戒と船団護衛に従事したが、当初の艦艇は対潜攻撃能力が不足していた為、順次攻撃力を強化したタイプが建造されていった。 掃海艇 基本的に艦隊泊地や前路を掃海することを前提とした艦隊型の掃海艇を配備していたのだが、大戦中の連合国が行った各種嫌い併用による通商破壊を目的とした機雷戦を想定したものではなかった。 その上兵力的にも少なく、主力として使用されたのは漁船等を徴用し掃海設備を設けた特設掃海艇が戦線を支えていた。 そしてこれらのこの艦種も戦時中は船団護衛任務に投入されたのである。 駆潜艇 第1次大戦におけるUボートの活躍と、それに対抗して配備した連合国側の小型対潜艦艇。それらを戦訓として雑役船数隻で試作・実験して開発されたのが泊地・拠点・水道・軍港といった局地防衛用の敵潜駆逐を目的とした配備された小型艦艇である。 ただし戦時には船団護衛任務にも投入されるようになる。 このような艦艇の開発・配備の遅れが戦争継続の為の海運力衰退の原因ともなった。 哨戒艇 通常名前からパトロール艦というイメージを持つ『哨戒艇』という名の艦種だが、日本海軍の場合昭和15年艦艇類別に定められたものでは、旧式駆逐艦を改造し、艦尾に大発(大型発動機艇)発進用のスロープを設けた揚陸作戦用であった。 実際にパトロール任務に従事したのは戦利艦転用艦と哨戒特務艇である。 他に敷設艇も船団護衛任務に転用されている。 |
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潜水艦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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『ドン亀』・・・潜水艦のことである。 潜水艦といえばドイツ海軍の集団で船団に襲い掛かる群狼戦法の『Uボート』であったり、世界の海のどこにでもいると言われたアメリカ海軍の『ガトー級』などが有名である。 しかるに旧日本海軍ではどうであったか? 太平洋戦争に投入された潜水艦は約200隻弱。 種類も実に様々で約20タイプであり、排水量も5000トン級から1000トン未満の小型艦までが存在する。 任務上、船団をねらう通商破壊戦よりも艦隊決戦時の補助戦力として整備され、主力艦隊と行動を共にする攻撃任務の航洋型潜水艦の『海軍大型(通称:海大型)』。 艦隊から離れて索敵・攻撃任務に投入される『巡洋潜水艦(通称:巡潜)』。 これらが旧日本海軍・潜水艦隊の主力であった。 これらの潜水艦は列強の潜水艦に比べどうであったか? 残念ながら優れていたとは言い難い。 当時の潜水艦は『潜水』とは名ばかりで、『可潜艦』とも言うべき艦であった。 つまり通常は水面上を航行し、敵と遭遇した場合もしくは敵から退避する際にのみ潜水するというものであった。旧日本海軍の潜水艦は水上速力と航続性能を重視した結果、艦自体が大型化し水中性能が低かった。 また潜水艦の最優先課題である隠密性では騒音が大きく致命的欠陥とも言えた。 但し、旧日本海軍の先見性、先進性とも言えるのが航空機の搭載である。これらは偵察・哨戒任務に、また攻撃任務にも投入され、列強にはない特徴でもあった。と、いう評論家も多い(らしい・・・)が、その実航空機を発着させるには水上に浮上、待機せねばならず潜水艦の隠密性を自ら放棄する結果となった。レーダーが実用化し、前線に配備されるようになるとこれら航空機の運用は事実上不可能になった。 2011/08/07追加 帝國海軍潜水艦一覧 竣没暦 1905年(明治38年)〜1945年(昭和20年) 太平洋戦争中の帝國海軍潜水艦一覧 竣没暦・所属歴 1941年(昭和16年)12月〜1945年(昭和20年)8月 |
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水上機母艦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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水上機母艦・・・実はオイラ好きです。 あの『千歳級』のよく分からない艦型がなんとも言えません。(^^; なんとか航空機、当時は水上機をなんとか洋上で運用しようとしたのが最初である。 旧日本海軍では第1次世界大戦においてドイツ占領下の青島基地攻略作戦に『若宮丸』が投入されたのが最初でった。 しかし水上機母艦の活躍期間は非常に短い。 水上機の性能向上に問題があり、すぐに艦載機に主役を取って変わられたのである。 結果、太平洋戦争開始時には空母が主役となり、多くが開戦後空母に改造されたり、特設運送船として運用されたのである。 では彼女たちの生涯について個別に見てみよう。 |
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潜水母艦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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潜水母艦とは本来潜水艦に対する支援任務(補給・修理・乗組員の休養)が目的の艦である。 ただし最初は小型の駆逐艦や水雷艇の母艦として配備され、名称も『水雷母艦』であった。 初の潜水戦隊、第1潜水隊編成された当時も母艦『韓崎』も呼称は水雷母艦であった。 以後も大正13年の呼称変更まで水雷母艦と呼ばれることとなる。 しかし遠隔地での戦闘においては潜水母艦は必要であったが、大戦後半あいつぐ劣勢の中、潜水艦の任務は本土近海となり、レーダーの採用は潜水艦に浮上させることさえ危険な行為へと変化した。 そのような状況において潜水母艦の必要性は薄まり、おりしも商船の不足に苦しむ日本では多くの潜水母艦が特設運送艦へと配属替えとなっていった。 |
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敷設艦 敷設艇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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敷設艦とは機雷を敷設するための専用艦艇・・・という見方が非常に強い。 事実そのための艦艇として登場したが、実際には各種のものを敷設するための艦である。 う〜ん、何だか分かり難く書いてしまった。 つまり機雷だったり防潜網だったりする。 一部には決戦海面や敵泊地に進入して機雷を敷設する敷設巡洋艦のような攻撃任務に使用する艦も存在するが、基本的には防御任務の艦艇のため、旧日本海軍には人気がなかった。 そのため、民間船舶を徴用して任務投入しているが、60隻程度と数が少ない。 敷設艦には以下のような任務の艦艇が存在する。
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砲艦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
砲艦とは植民地において警備にあたる小型艦艇である。 旧日本海軍において砲艦という艦種は1,000t以上を一等砲艦、それ以下は二等砲艦という。小型艦ながら駆逐艦とは違い艦首に菊のご紋章を頂いているため、軍艦として区分されている。 砲艦には宗主国の国威発揚という意味と治安維持の目的があり、艦型は小型ながら大口径の砲を搭載する。代表的なものとしては19世紀末の中国における河川砲艦が典型である。特に中国における列強の外交は武力の誇示が重要であり、砲艦が重要な役割を果たした。 その結果『砲艦外交』と言われるようになった。 純粋に砲艦として建造されたもの以外に捕獲艦艇や、戦利艦も存在し、合計17隻が存在する。 |
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