帝國海軍の水雷艇(1) 





千鳥級
大正時代には廃止されていた艦種であったが、ロンドン軍縮会議の結果、駆逐艦戦力の不足を補うべく復活したのが水雷艇である。
しかし実態は制限外の600t以下の艦で、駆逐艦の戦力不足を補う目的で建造されたものであり、あまりにも多くの兵装を装備したため復元性に問題があった。
その為本級の友鶴は旋廻中に転覆を起こし、友鶴事件として日本海軍に重武装主義に対する戒めとなった。

水雷艇という名称はヨーロッパ(イタリア・フランス・ドイツ等)でも名称が復活とているが、これらの国は軍縮の保有量制限は受けていない。次第に大型化する駆逐艦に対して、小型化することによって、数をそろえようとしたものであり、日本の場合とは若干意味合いが違う。
事実、駆逐艦の代わりとして建造していた日本では、無条約時代になると水雷艇の建造は中止されるようになった。



千鳥級の要目
   新造時 性能改善工事後
基準排水量 535t 660t
全長(L) 82.0m
水線長(W.L) 79.0m
最大幅(B) 8.1m(バルジ装着分を含む) 7.4m
主機 蒸気タービン2基2軸
11,000馬力
速力(K.NT) 30ノット 28ノット
航続力 14ノット/3,000海里
武装 主砲 12p連装砲*1基
12p単装砲*1基
12p単装砲*3基
機銃 12.7o単装*1
魚雷 53p連装発射菅*2基
(搭載魚雷8本)
53p連装発射菅*1基
(搭載魚雷4本)
同型艦 4隻




(各艦の戦歴)