帝國海軍の駆潜艇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第一号型 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駆潜艇として海軍初の正式艦艇として誕生し、昭和8年の@計画追加計画として予算成立。昭和9年に2隻が竣工した。さらに昭和9年のA計画で6隻の追加要求がされたが承認されたのは僅か1隻のみであった。 それ以前の駆潜艇は雑役船として小型艦を建造したりしていたが、本級からは小型ながらも大型の艦橋を有し、外洋での運用も行えるようになった。これは艦隊に随伴できるように考慮した為である。1号型の竣工直前に友鶴事件が発生したため、竣工後半年で改修が行われている。 3号艇は同事件を考慮して建造段階で復元性能の見直しを行っている。
(各艦の戦歴) |
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第四号型 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
B計画で承認された艦艇であり、予算要求した9隻全てが承認され、初めて戦力的にまとまった数が整備されたタイプである。 3号型を基本とし、重心を低く押えることによって、復元性の確保を狙ったにも関わらず、凌波性を高める為に艦橋を高く、重量増加を押える為に艦尾に傾斜をつけて低くと、有事の量産性は考慮されていないようであった。 武装は3号型と同様であったが、戦時中に25o機銃の増備が行われている。
(各艦の戦歴) |
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第一三号型 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
C計画で予算成立した艦艇であり、設計に当たり有事の際の量産性を考慮するよう軍令部より要求された型である。今までの型をが量産に向いていない為、これらを念頭に起き改良されている。 主機を艦本式23号8型ディーゼルに変更し、簡略化の為に商船式を採用したが、反面曲線構成を採用したりした部分もあり、徹底したものではなかった。 C計画で4隻、同追加計画で23隻。開戦前の戦時計画20隻と改D計画で30が計画されたが、完成したのは49隻だけである。 28号艇からは戦時簡略化か行われている。また改D計画艦を60号艇として別に扱う場合も有るが、基本的には同型艦である。
(各艦の戦歴) |
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