帝國海軍の駆逐艦(3) 





睦月級
ワシントン海軍軍縮会議後に建造された艦隊型駆逐艦である。
基本設計は峯風級であり、強化改良型である。
大正12年度の改訂計画で計画されたが、同時期に計画された神風級の後期艦4隻と同じになる予定であったが、当時の新兵器、61p魚雷の完成に伴い、これを搭載する計画であった。あわせて凌波性向上のため艦首形状を変更(ダブルカーブ方式の採用)や、予備魚雷を全発射菅に対し次発装填装置を装備するなどの改修を行っている。
強力な水雷兵装は来るべき、対米戦争を意識してのものであり、これ以降海軍は大型艦隊型駆逐艦の整備に力を注いでいくこととなる。
ただし、基本設計が神風級のままであったのに対し、各種改良からくる重量増加により重心点の上昇等の不安を残したままの就役となった。
そのために友鶴事件・第4艦隊事件の教訓を取り入れた改善工事際は峯風級・神風級よりも大規模になった。
開戦時には機銃の増設や消磁電路の装着を行っており、大戦中に戦訓による改造で更に対空兵装の増加が行われている。主砲の一部撤去と魚雷発射菅1基撤去であり、その分機銃座の増設を行っている。ただしこれらの戦訓による対空兵装強化を実施できたのは全艦の半分程度と思われる。睦月級の全艦は大戦中に戦没している為、どの程度の改造がどの艦に行われたのかを確認する資料が無く、確実ではない。

本級は竣工時には全艦番号名を付けられていたが、命名基準の改正により月の名前が付けられている。



睦月級の要目
基準排水量 1,315t
全長(L) 102.72m
水線長(W.L) 100.20m
最大幅(B) 9.16m
主機 蒸気タービン2基2軸
38,500馬力
速力(K.NT) 37.25ノット
航続力 14ノット/4,000海里
武装 主砲 12p単装砲*4基
機銃 7.7o*2基
魚雷 61p3連装発射菅*2基(予備魚雷6本)
爆雷 投射機*2基
同型艦 12隻



(各艦の戦歴)

睦月
1926年3月25日 佐世保工廠で竣工(第19号駆逐艦)
1928年8月 睦月と改名
開戦時 第6水雷戦隊第30駆逐隊に所属 ウェーキ攻略作戦に従事
大戦中 ソロモン方面の各攻略作戦に参加
1942年8月25日 ガダルカナル島近海で米軍機(B-17)の爆撃を受け沈没
如月
1925年12月21日 舞鶴工作部で竣工(第21号駆逐艦)
1928年8月 如月と改名
開戦時 第6水雷戦隊第30駆逐隊に所属 ウェーキ攻略作戦に従事
1941年12月11日 ウェーキ島攻略作戦に参加。同島砲撃中にウェーク島守備隊の米軍戦闘機F4Fワイルドキャットに攻撃され、機銃の弾が艦尾爆雷に命中。爆雷の誘爆により沈没した。
弥生
1926年8月28日 浦賀船渠で竣工(第23号駆逐艦)
1928年8月 弥生と改名
開戦時 第6水雷戦隊第30駆逐隊に所属 ウェーキ攻略作戦に従事
大戦中 ソロモン方面の各攻略作戦に参加
1942年9月11日 ニューギニア近海で米軍機の攻撃を受け沈没
卯月
1926年9月14日 石川島造船所で竣工(第25号駆逐艦)
1928年8月 卯月と改名
開戦時 第2航空戦隊第23駆逐隊に所属
ただし、ハワイ作戦には参加せず、グアム攻略作戦に参加
大戦中 ソロモン方面の各攻略作戦に参加
1942年8月24日 第2次ソロモン海戦に参加
1944年6月17日 あ号作戦に参加
1944年12月12日 オルモック湾で米魚雷艇PT490・492の雷撃を受け沈没
皐月
1925年11月15日 藤永田造船所で竣工(第27号駆逐艦)
1928年8月 皐月と改名
開戦時 第5水雷戦隊第22駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加
1942年10月12日 第1海上護衛隊に編入
1944年8月21日 第31戦隊に編入
1944年9月21日 マニラ湾で米機動部隊艦載機の攻撃を受け沈没
水無月
1927年3月22日 浦賀船渠で竣工(第28号駆逐艦)
1928年8月 水無月と改名
開戦時 第5水雷戦隊第22駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加
大戦中 主に船団護衛任務に従事
1944年6月6日 ダバオ近海で米潜ハーダーの雷撃を受け沈没
文月
1926年7月3日 藤永田造船所で竣工(第29号駆逐艦)
1928年8月 文月と改名
開戦時 第5水雷戦隊第22駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加
大戦中 主に船団護衛任務に従事
1944年2月18日 米機動部隊艦載機によるトラック島空襲の際に沈没
長月
1927年4月30日 石川島造船所で竣工(第30号駆逐艦)
1928年8月 長月と改名
開戦時 第5水雷戦隊第22駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加
1942年4月10日 第1海上護衛隊に編入
1943年7月5日 クラ湾夜戦に参加 交戦中に座礁し、米軍機の攻撃を受け大破放棄
菊月
1926年11月20日 舞鶴工作部で竣工(第31号駆逐艦)
1928年8月 菊月と改名
開戦時 第2航空戦隊第23駆逐隊に所属
ただし、ハワイ作戦には参加せず、グアム攻略作戦に参加
1942年5月4日 ツラギ攻略戦に参加 米軍機の攻撃を受け擱座 翌日再攻撃を受け沈没
三日月
1927年5月7日 佐世保工廠で竣工(第32号駆逐艦)
1928年8月 三日月と改名
開戦時 第3航空戦隊付属艦として内海
1942年5月29日 鳳翔の直衛としてミッドウェー作戦に参加
大戦中 主に船団護衛任務に従事
1943年7月5日 クラ湾夜戦に参加
1943年7月28日 ツルブにて米軍機の攻撃を受け沈没
望月
1927年10月31日 浦賀船渠で竣工(第33号駆逐艦)
1928年8月 望月と改名
開戦時 第6水雷戦隊第30駆逐隊に所属 ウェーキ攻略作戦に従事
大戦中 ソロモン方面の各攻略作戦に参加
1943年7月6日 クラ湾夜戦に参加損傷
1943年10月24日 ニューブリテン島近海で米海兵隊機の攻撃を受け沈没
夕月
1927年7月25日 藤永田造船所で竣工(第34号駆逐艦)
1928年8月 夕月と改名
開戦時 第2航空戦隊第23駆逐隊に所属
ただし、ハワイ作戦には参加せず、グアム攻略作戦に参加
大戦中 ソロモン方面の各攻略作戦に参加 後半は本土〜台湾間の船団護衛任務に従事
1944年12月13日 オルモック湾で米軍機の攻撃を受け沈没