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帝國海軍の重巡洋艦(4) |
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最上級 |
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ンドン軍縮条約後の昭和6年計画の巡洋艦であり、これを第1次補充計画(通称@計画)という。
本級は条約の条件内で計画されたため、基準排水量8,500トン、15.5cm(6inchょ以内とされた。
結果15.5p3連装砲塔5基15門という軽巡洋艦が誕生した。(条約型軽巡洋艦)
これは重巡戦力の不足を十分に補うことの出来るとして期待された。
しかし、竣工前後に起こった友鶴事件や、1番艦最上の復元性や強度の不足が発覚したため、全体的に建造期間が延びている。
開戦前、条約の失効を待って、主砲塔は20.3p連装砲塔5基10門に換装された。
これは秘密理に行われたため、対外的にはあくまでも軽巡洋艦として公表された。
尚、砲術関係者には15.5p砲を惜しむ声が少なくなかったという。
尚、本級から撤去された15.5p砲は大和級戦艦の副砲塔として、また軽巡洋艦
大淀の主砲に転用されている。
また3番艦鈴谷からはボイラーが2基減り、8潅となった。(最上・三隈は10潅)
このため全部煙突が若干小さくなっており、外観での識別点となっている。
本級は開戦時に第7戦隊を編成し南方作戦に従事したが、ミッドウェー作戦のおり最上と三隈が衝突するという事件が起きた。このとき、米海軍機の空襲を受け、三隈が沈没、最上が大破してる。
その後最上は船体後部を改修し後部主砲塔2基を撤去し、水上機用飛行機作業甲板を設け航空巡洋艦として復帰してている。 |
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最上級の要目 |
(新造時の最上級) |
(開戦時) |
(最終時 最上・航空巡洋艦時) |
基準排水量 |
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9,500t |
12,500t |
全長(L) |
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200.6m |
水線長(W.L) |
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197.0m |
198.0m |
最大幅(B) |
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18.9m |
20.2m |
主機 |
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艦本式高中低圧式タービン4基4軸
152,000馬力 |
速力(K.NT) |
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37.0ノット |
35.0ノット |
航続力 |
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14ノット/8,000海里 |
14ノット/8,000海里 |
武装 |
主砲 |
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15.5p3連装砲*5基15門 |
20.3p連装砲*5基10門 |
20.3p連装砲*3基6門 |
高角砲 |
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12.7p連装高角砲*4基8門 |
魚雷 |
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61p3連装発射管*4基 |
機銃 |
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25o連装機銃*4基8門 |
25o3連装機銃*14基42門 |
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13o連装機銃*2基4門 |
13o単装機銃*18基 |
航空兵装 |
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カタパルト2基
水偵4機 |
カタパルト2基
水偵2機 観測機2機 |
カタパルト2基
水偵及び観測機 11機 |
同型艦 |
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4隻 最上・三隈・鈴谷・熊野 |
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(各艦の戦歴)
最上 |
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1935年7月28日 |
呉工廠で竣工 |
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1940年4月 |
砲塔換装工事完了 |
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1941年9月 |
出師準備工事完了 |
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1941年12月8日 |
開戦時第2艦隊第7戦隊に所属 |
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マレー作戦を支援 |
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1942年3月1日 |
バダビア沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー作戦に参加 |
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三隈と衝突し艦首損傷・米軍機の空襲を受け損傷 |
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1942年9月 |
入渠・復旧工事に着手 |
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1943年4月 |
航空巡洋艦に改造工事完了 |
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1944年6月19日 |
マリアナ海戦に参加 |
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1944年10月23日 |
レイテ沖海戦に参加(西村艦隊) |
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米艦隊と交戦・被弾により沈没・被弾 |
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後退中に那智と接触・その後後退中に米軍機の攻撃を受け損傷 |
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駆逐艦 曙の雷撃により処分 |
三隈 |
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1935年8月29日 |
三菱造船長崎で竣工 |
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1939年12月 |
砲塔換装工事完了 |
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1941年9月 |
出師準備工事完了 |
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1941年12月8日 |
開戦時第2艦隊第7戦隊に所属 |
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マレー作戦を支援 |
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1942年3月1日 |
バダビア沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー作戦に参加 |
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最上と衝突し船体損傷・米軍機の空襲を受け沈没 |
鈴谷 |
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1937年10月31日 |
横須賀工廠で竣工 |
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1939年9月 |
砲塔換装工事完了 |
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1941年9月 |
出師準備工事完了 |
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1941年12月8日 |
開戦時第2艦隊第7戦隊に所属 |
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マレー作戦を支援 |
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1942年3月1日 |
バダビア沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー作戦に参加 |
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1942年8月24日 |
第2次ソロモン海戦に参加 |
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1942年10月26日 |
南太平洋海戦に参加 |
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1943年9月 |
対空兵装・電探等の装備を追加 |
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1944年6月19日 |
マリアナ海戦に参加 |
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1944年10月25日 |
レイテ沖海戦に参加 |
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サマール沖海戦で米軍機の攻撃を受け沈没 |
熊野 |
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1937年10月31日 |
川崎造船神戸で竣工 |
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1939年10月 |
砲塔換装工事完了 |
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1941年9月 |
出師準備工事完了 |
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1941年12月8日 |
開戦時第2艦隊第7戦隊に所属 |
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マレー作戦を支援 |
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1942年3月1日 |
バダビア沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー作戦に参加 |
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1942年8月24日 |
第2次ソロモン海戦に参加 |
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1942年10月26日 |
南太平洋海戦に参加 |
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1943年9月 |
対空兵装・電探等の装備を追加 |
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1944年6月19日 |
マリアナ海戦に参加 |
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1944年10月25日 |
レイテ沖海戦に参加 |
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サマール沖海戦で米駆逐艦の雷撃を受け損傷 |
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1944年11月25日 |
サンタクルーズ港で米軍機の攻撃を受け沈没 |
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