帝國海軍の駆逐艦(14) 





若竹級
大正7年度計画で建造された中型駆逐艦であり、実質的には樅級の同型艦である。
樅級を発展させた設計であり、当初23隻が計画された。しかし小型高性能とはいえ、太平洋での使用にはいささか小型である点は否めず、8隻で建造は中止された。これ以降、日本海軍は大型駆逐艦のみを建造していくこことなる。

友鶴事件の2年前(1392年12月)に本級の早蕨が大時化に巻き込まれ転覆するという事件が発生している。これは荒天下での事件として処理されたが、友鶴事件で全艦艇の調査を実施した結果、樅級・若竹級も復元性の不足という欠点を持っていることが判明した。
大戦直前に夕顔が哨戒艇籍に編入されたが、残りはそのまま現役艦として大戦に参加した。
戦時中は樅級と共に後方の局地警備や対潜哨戒任務を中心に、日本にとって最重要であるべき任務に従事したが、消耗して終戦時には朝顔1艦を残して全て戦没してしまった。
その朝顔を終戦直後に下関海峡で触雷沈没して失われた。



若竹級の要目
基準排水量 820t
全長(L) 85.34m
水線長(W.L) 83.8m
最大幅(B) 8.08m
主機 蒸気タービン2基2軸
21,500馬力
速力(K.NT) 35.5ノット
航続力 15ノット/3,000海里
武装 主砲 12p単装砲*3基
機銃 6.5o単装*2
魚雷 53p連装発射菅*2基
(搭載魚雷8本)
同型艦 8隻



(各艦の戦歴)


若竹
1922年9月30日 川崎重工神戸造船所で竣工
開戦時 呉鎮守府第13駆逐隊に所属
1942年4月10日 第1海上護衛隊編入
1944年3月30日 パラオで米機動部隊艦載機の攻撃を受け沈没
呉竹
1922年12月21日 川崎重工神戸造船所で竣工
開戦時 呉鎮守府第13駆逐隊に所属
1942年4月10日 第1海上護衛隊編入
1944年12月30日 バシー海峡で米潜レーザーバックの雷撃を受け沈没
早苗
1923年11月5日 浦賀船渠で竣工
開戦時 呉鎮守府第13駆逐隊に所属
1942年4月10日 第1海上護衛隊編入
1943年11月15日 セレベス海で米潜ブルーフィッシュの雷撃を受け沈没
早蕨
1924年7月24日 浦賀船渠で竣工
1932年12月5日 膨固諸島沖で破天下転覆沈没
朝顔
1923年5月10日 石川島重工で竣工
開戦時 鎮海警備府第32駆逐隊に所属
1942年4月10日 第1海上護衛隊編入
終戦時 残存
1945年8月22日 下関海峡で触雷 沈没
夕顔
1924年5月31日 石川島重工で竣工
1940年4月1日 第46号哨戒艇に転籍
芙蓉
1923年3月16日 藤永田造船所で竣工
開戦時 鎮海警備府第32駆逐隊に所属
1942年4月10日 第1海上護衛隊編入
1943年12月20日 マニラ湾で米潜バッファーの雷撃を受け沈没
刈萱
1923年8月20日 藤永田造船所で竣工
開戦時 鎮海警備府第32駆逐隊に所属
1942年4月10日 第1海上護衛隊編入
1944年5月10日 バターン半島沖で米潜コッドの雷撃を受け沈没