帝國海軍の航空母艦(2) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
飛鷹級 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
飛鷹級は優秀船舶助成制度によって建造された軽空母である。 軍縮条約の終結後、アメリカ海軍の大艦隊建艦計画に対応すべく建造途中の出雲級2隻を徴用し、空母へと改造した。 ミッドウェー作戦で主力空母4隻を一挙に失った後、新たに竣工した飛鷹・隼鷹・龍驤で第2航空戦隊を編成、建制の第3艦隊(機動部隊)の指揮下に編入された。 1942年8月、ソロモン・ガダルカナル方面から始まった米軍の反攻に対応すべくトラック島に急行した機動部隊はソロモンでの一連の作戦に従事することとなる。 米機動部隊と対等の戦いが出来たと思われる最後の海戦、南太平洋作戦に前進部隊の一隊として参加した第2航空戦隊だったが作戦直前に飛鷹が機関不調により後退、隼鷹のみが本隊と協力しつつ米機動部隊との海戦に臨んでいる。 1943年(昭和18年)は両軍とも機動部隊が活躍することは無かったが、艦載機をラバウルに移しての航空撃滅戦を展開したため、消耗が激しく優秀なパイロットは失われ、錬度も下がっていった。 1943年6月米軍との決戦、マリアナ海戦に参加。 ここに日本機動部隊の終焉を迎えたのである。 1942年10月第2艦隊のフィリピン・レイテ湾突入を助けるべく囮となった機動部隊であったが、この作戦に隼鷹は参加していない。
(各艦の戦歴)
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瑞鳳級 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロンドン軍縮条約にて補助艦艇の保有にも制限された旧日本海軍は、有事の際に簡易な改造で空母に転用可能な予備艦艇、制限外艦艇の拡充に努めるようになる。 1934年(昭和9年)策定の第2次海軍艦艇補充計画(通称A計画)において計画された2隻の大型給油艦は有事の際に空母への改装を念頭においた空母予備艦であった。 開戦時には瑞鳳は鳳翔と共に第3航空戦隊を編成し、第1艦隊に所属している。 1942年5月、MO作戦に参加すべく第4艦隊付属となった祥鳳はMO主隊に所属し所属し、攻略部隊の護衛任務につく。 瑞鳳は1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー作戦において第2艦隊の直衛としてアリューシャン攻略作戦支援として参加する。 米軍のソロモン反攻が始まると第1航空戦隊は急遽トラック島に移動するが、瑞鳳は錬度不足のパイロットと共に内地に残り、後日第2航空戦隊と共にトラック島に移動する。 1942年(昭和17年)10月、第3艦隊主隊として南太平洋海戦に参加。 1944年(昭和19年)6月・・・・・・・・・・・ |
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龍鳳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
千歳級 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大鷹級 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
海鷹 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||