帝國海軍の駆逐艦(10) 





秋月級[乙型駆逐艦]
日本海軍が初めて建造した本格的な防空駆逐艦である。
航空機の発達に伴い、空からの脅威に従来の駆逐艦の対空兵装では不足であるとされ、対空防御専門の直衛艦として本級が建造された。(本級を乙型と称する)
主砲には最新の九八式10p連装広角砲を4基8門装備している。
また空母機動部隊に随伴できる航続性能を確保すべく、18ノットで8,000浬の航続性能を有する。

戦時建造艦である本級は前期型(秋月級)中期型(冬月級)後期型(花月級)と分かれる。
これは戦時下に合わせて建造行程の簡略化が行われたためである。
本級は今までに例の無い空母直衛任務艦として計画されたにも関わらず、欲張った要求と駆逐艦としての方が予算獲得に有利とのことから魚雷発射管を塔載している。任務上必要の無い装備ではあったのだが。この辺りに徹底さを欠いた設計となっている。
このため当初の予定とは違った方向性でC計画において大型駆逐艦として6隻、1941年(昭和16年)の追加補充計画で10隻、改D計画では23隻が計画されたが、実際に建造されたのは12隻だけであった。他に建造開始後中止になったものが1隻あり、他は最初から起工中止となった。
本級がまとまって行動出来た時期は短く、消耗を繰り返した結果、もっとも数が揃った時でも6隻でしかなかった。
また各艦の竣工時期に差があること、そして改修が目まぐるしく行われたことにより、各艦の兵装・装備が非常に異なっている。



秋月級の要目
基準排水量 2,701t
全長(L) 134.2m
水線長(W.L) 132.0m
最大幅(B) 11.6m
主機 艦本式タービン2基2軸
52,340馬力
速力(K.NT) 33.58ノット
航続力 18ノット/8,000海里
武装 主砲 10p連装高角砲*4基
機銃 25o連装*2基
魚雷 61p4連装発射菅*1基
(搭載魚雷8本)
爆雷 投射機*2基
同型艦 12隻(他に未成艦1隻)



(各艦の戦歴)

秋月
1942年6月11日 舞鶴工廠で竣工
1943年1月19日 ショートランド近海で被雷 艦首損傷
応急修理後、長崎へ回航
1943年10月31日 修理完了 第61駆逐隊に復帰
1944年6月19日 マリアナ沖海戦に参加
1944年10月25日 レイテ沖海戦に参加 敵機の攻撃を受け沈没
照月
1942年7月31日 三菱重工長崎造船所で竣工
1942年10月7日 第10戦隊第61駆逐隊に編入
1942年10月20日 南太平洋海戦に参加
1942年11月9日 第3次ソロモン海戦に参加
1942年12月12日 ガダルカナル島近海で米魚雷艇と交戦 雷撃を受け行動不能自沈
涼月
1942年12月29日 三菱重工長崎造船所で竣工
1943年1月15日 第10戦隊第61駆逐隊に編入
1944年1月16日 宿毛沖で被雷大破 呉に回航
1944年11月11日 修理完了 
1945年4月6日 天一号作戦に参加 中破
終戦時 残存 戦後若松港の防波堤に利用される
初月
1942年12月15日 舞鶴工廠で竣工
1943年1月15日 第10戦隊第61駆逐隊に編入
1944年6月19日 マリアナ沖海戦に参加
1944年10月25日 レイテ沖海戦に参加 米巡洋艦の砲撃を受け沈没
新月
1943年5月31日 三菱重工長崎造船所で竣工
1943年5月31日 第8艦隊に編入
1943年7月5日 コロンバンガラ島近海で米艦隊と交戦 砲撃を受け沈没
若月
1943年5月31日 三菱重工長崎造船所で竣工
第11水雷戦隊に編入
1943年11月12日 ラバウル沖で敵機の攻撃を受け損傷 横須賀へ回航
1944年1月17日 修理完了
1944年6月19日 マリアナ沖海戦に参加
1944年10月25日 レイテ沖海戦に参加
1944年11月25日 オルモック輸送作戦に参加 敵機の攻撃を受け沈没
霜月
1944年3月31日 三菱重工長崎造船所で竣工
第11水雷戦隊に編入
1944年6月19日 マリアナ沖海戦に参加
1944年10月25日 レイテ沖海戦に参加
1944年11月25日 ジャワ海で米潜カヴァラの雷撃を受け沈没
冬月
1944年5月25日 舞鶴工廠で竣工
第11水雷戦隊に編入
1944年10月12日 遠州灘で雷撃を受け損傷 呉に回航
1945年4月7日 天一号作戦に参加
終戦時 門司港にて残存 
1945年8月20日 港内で触雷大破
若松港で防波堤として利用
春月
1944年12月28日 佐世保工廠で竣工
終戦時 残存 戦後復員輸送に従事
1947年8月 賠償艦として中国に引渡
宵月
1945年1月31日 浦賀船渠で竣工
終戦時 残存 戦後復員輸送に従事
1947年8月 賠償艦として中国に引渡
夏月
1945年4月8日 佐世保工廠で竣工
終戦時 残存 戦後復員輸送に従事
1947年8月 賠償艦として中国に引渡
満月
(仮365号艦 艦名は予定艦名)
1945年1月3日 佐世保工廠で起工
1945年4月17日 工事中止 解体
花月
1944年12月26日 舞鶴工廠で竣工
終戦時 残存 
1945年10月5日 除籍
性能調査の為米国に回航
清月
(仮367号艦 艦名は予定艦名)
1944年12月14日 舞鶴工廠で建造準備中に建造中止決定
大月
(仮368号艦 艦名は予定艦名)
1944年12月14日 佐世保工廠で建造準備中に建造中止決定
葉月
(仮369号艦 艦名は予定艦名)
1944年12月14日 舞鶴工廠で建造準備中に建造中止決定
その他
改D計画予定艦(仮5061〜5083号艦)23隻全て建造中止