帝國海軍の戦艦(2) |
扶桑級 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金剛級と同時に計画された明治44年度計画艦である。 設計は艦政本部によって、行われた。これは金剛級の影響が大きい。主砲も36p(45口径35.6p)砲を連装6基12門装備する。本級が竣工した大正4年の段階では排水量の点では世界最大の戦艦であった。しかし最大速力22.5ノットという低速はどうしようもなかった。 昭和5年の第1次改装、昭和9年の第2次改装を行ったが、その低速さ故に戦力と成り難いとされ、戦時中は主に練習戦艦として運用された。 本級は2隻が建造された。扶桑と山城である。第3砲塔の配置(向き)に差があり、扶桑は砲身が前方を向いており、艦橋に食い込むような形になっているのが外観上のもっとも分かりやすい特徴である。 開戦時には本土にあって主力艦隊として待機していたが、既に航空機と空母の時代へと移行しつつあり、なん戦線に寄与することが無かった。唯一とも言える実戦が1944年(昭和19年)10月に行われた捷1号作戦であり、本級を中心とした第2遊撃艦隊(西村艦隊)としてレイテ湾目指して進撃した。途中スリガオ海峡で米戦艦部隊と遭遇、交戦状態になる。戦艦6隻を中心に36隻からなる艦隊と、37隻の魚雷艇部隊に攻撃され、艦隊はほぼ全滅、扶桑・山城ともに失ったのである。 |
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(各艦の戦歴)
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