駆逐隊編成
(第二十駆逐隊〜第六一駆逐隊)
太平洋戦争中の艦隊編成
(第一駆逐隊 〜 第十九駆逐隊)
(艦別配備状況・略歴)


第二十駆逐隊
解説
特型駆逐艦(特U型)『朝霧』『夕霧』『天霧』『狭霧』の4隻で編制された駆逐隊。
開戦時は第三水雷戦隊に所属し、マレー作戦に参加。第十二駆逐隊と共に上陸部隊の主力を乗せた船団17隻を護衛して12月8日朝、タイ領シンゴラ沖に進出し、上陸作戦を支援した。シンゴラへの揚陸作業は無事完了したが、別働隊としてコタバルに向かった第三水雷戦隊旗艦『川内』と第十九駆逐隊は揚陸途中で空襲を受け、退却。その為合同して翌9日にコタバルに再進出、揚陸作業を終了した後カムラン湾に戻った。
12月24日、クチンで上陸作戦を行っていた輸送船『香取丸』が蘭潜水艦『K-16』の雷撃により戦没。その救助の為に『狭霧』が現場に急行したが、同日夜にクチン港外で『K-16』の雷撃を受け『狭霧』も戦没した。

1942年(昭和17年)1月26日、『川内』と共に輸送船2隻を護衛してエンドウ泊地に到着。翌27日早朝、英駆逐艦『サネット』『バンパイア』に泊地に突入してきた為、これと交戦。『サネット』を撃沈したが、『バンパイア』は取り逃がした。
2月13日、『朝霧』が第十一駆逐隊の『吹雪』と共に英河川用砲艦『スコーピオン』を撃沈。
2月17日、陥落したシンガポールに入港。
3月10日、解隊した第十二駆逐隊より『白雲』が編入される。
4月、馬来部隊によるインド洋通商破壊作戦(ベンガル湾機動作戦)に『天霧』『夕霧』『白雲』が参加。
4月末、南方作戦を終えた各艦は本土にて入渠修理・整備を行い、5月末までに作業を終えた各艦は柱島に集結。その後のミッドウェー作戦に参加することとなる。
8月、ソロモンの戦いが始まると第二十駆逐隊もこれに参加していく。8月29日のガダルカナル島輸送作戦において陸軍川口支隊の一部をガダルカナル島に輸送する。この輸送任務中に米軍機の爆撃を受け、『朝霧』が爆弾2発を受け魚雷が誘爆して戦没。『夕霧』も至近弾により主砲(一番砲塔)とボイラーの一部が損傷。速力が26ノットにまで低下したが自力航行に支障はなかったが、隊司令山田大佐以下が戦死した。他に『白雲』が至近弾により中破、航行不能。『天霧』も至近弾により小破し、そのご『白雲』を曳航してトラック島に引き返した。この作戦により唯一の作戦稼動艦となった『天霧』は第十一駆逐隊に転出することとなった。
(損傷した『夕霧』も第十一駆逐隊に転出。『白雲』は不明)
第二十駆逐隊は1942年(昭和17年)10月1日付けで解隊となった。
  
駆逐隊司令
山田雄二大佐(46期) 1941/8/11 1942/8/28 戦没
所属駆逐艦

朝霧 1930/6/30 佐世保工廠で竣工
開戦時 第三水雷戦隊第二十駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1942/1/27 エンドウ沖海戦に参加
1942/4 ベンガル湾機動作戦に参加
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加
1942/8/28 ガダルカナル島輸送作戦中に米軍機の攻撃を受け沈没

夕霧 1930/12/3 舞鶴工廠で竣工
開戦時 第三水雷戦隊第二十駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1942/1/27 エンドウ沖海戦に参加
1942/4 ベンガル湾機動作戦に参加
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加
1942/8/28 ガダルカナル島輸送作戦中に米軍機の攻撃を受け損傷
座乗の駆逐隊司令山田大佐戦死
第十一駆逐隊に移籍
第二十駆逐隊第十一駆逐隊
1942/10/1 第二十駆逐隊、解隊

天霧 1930/11/10 石川島造船所で竣工
開戦時 第三水雷戦隊第二十駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1942/1/27 エンドウ沖海戦に参加
1942/4 ベンガル湾機動作戦に参加
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加
1942/8 ガダルカナル島輸送作戦中に従事
1942/8/28 第十一駆逐隊に移籍(詳細不明)
第二十駆逐隊第十一駆逐隊
1942/10/1 第二十駆逐隊、解隊

狭霧 1931/1/31 浦賀船渠で竣工
開戦時 第三水雷戦隊第二十駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1941/12/24 ボルネオ沖で蘭潜水艦K16の雷撃を受け沈没

以下追加配備・他隊から編入
白雲 1942/3/10 第十二駆逐隊から編入
1942/4 ベンガル湾機動作戦に参加
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加
1942/8/28 第九駆逐隊に移籍(詳細不明)
第二十駆逐隊→?→後に第九駆逐隊
1942/10/1 第二十駆逐隊、解隊
1942/10/12 ガダルカナル島重火器輸送任務部隊護衛に参加


第二一駆逐隊
解説
初春級4隻で編制された駆逐隊

北方部隊所属当時、一時的に仮編入として『薄雲』が配属されるが、あくまでも便宜上の対応であったようである。
第十二駆逐隊→北方部隊(第六駆逐隊(仮編入)→第二一駆逐隊(仮編入))→第九駆逐隊

1944年(昭和19年)3月10日、第七駆逐隊より『霞』が編入
菊水作戦(沖縄海上特攻)時には『初霜』『朝霜』『霞』の3艦で参加。当初『初霜』『霞』の2艦は不参加の予定だったが、急遽参加が決定。『朝霜』は機関故障により落伍し、後空襲により戦没。『霞』は空襲により大破、その後『冬月』により砲撃自沈処分され。駆逐隊司令小滝大佐が戦死したことにより駆逐隊は解隊が決定した。(解隊は1945年(昭和20年)6月16日)

残された『初霜』は舞鶴港で防空砲台となり、7月30日宮津湾で触雷、戦没。


(注)1944年(昭和19年)11月15日、駆逐艦『時雨』が編入。但し別行動の為、書類上だけの名目的なものと思われるが、詳細は不明
  
駆逐隊司令
清水利夫大佐(46期) 1941/9/1 1942/8/30
天野重隆大佐(47期) 1942/8/31 1943/8/19
脇田喜一郎大佐(48期) 1943/8/20 1944/5/24
山本祐二大佐(51期) 1944/5/25 1944/8/4
石井 汞大佐(50期) 1944/8/5 1945/3/24
小滝久雄大佐(50期) 1945/3/25 1945/4/7 戦没
(欠員) 1945/4/8 1945/6/16 解隊
所属駆逐艦

初春 1933/9/30 佐世保工廠で竣工
開戦時 第一水雷戦隊第二一駆逐隊に所属
主力部隊として柱島で待機
1942/1 船団を護衛してダバオに進出。ケンダリー攻略部隊に参加
1942/1/25 『長良』と接触事故を起こし、損傷(ダバオに入港して応急修理)
1942/2 蘭印方面で船団護衛任務に従事
1942/3/25 佐世保に入港して修理
1942/5/26 北方部隊に編入 アリューシャン攻略部隊に参加
1942/6/7-8 キスカ島・アッツ島攻略作戦に参加
1942/7 キスカ島近海で哨戒任務に従事
1942/8 アリューシャン・千島列島方面で哨戒・護衛任務に従事
1942/10/17 キスカ島沖で米軍機の空襲を受け損傷
本土帰投後、舞鶴で修理
1943/9/30 修理完了後、南東方面・南西方面で船団護衛任務に従事
1944/3 北海道東方で対潜哨戒任務に従事
1944/6 伊号輸送作戦に参加
(硫黄島輸送作戦)
1944/10 第五艦隊(志摩部隊)の護衛部隊としてフィリピン方面に進出
(スリガオ沖海戦には不参加)
1944/10/31 第二次多号作戦に参加
(11月1日 作戦成功)
1944/11/13 マニラ湾で米艦載機群の攻撃を受けて戦没

子日
1933/9/30 佐世保工廠で竣工
開戦時 第一水雷戦隊第二一駆逐隊に所属
主力部隊として柱島で待機
1942/1 船団を護衛してダバオに進出。ケンダリー攻略部隊に参加
1942/2 蘭印方面で船団護衛任務に従事
1942/4/13 佐世保で入渠整備
1942/5/20 北方部隊に編入 アリューシャン攻略部隊に参加
1942/6/7-8 キスカ島・アッツ島攻略作戦に参加
1942/7/5 キスカ島近海で哨戒任務に従事に米潜水艦『トライトン』の雷撃を受け戦没

若葉 1934/10/31 佐世保工廠で竣工
開戦時 第一水雷戦隊第二一駆逐隊に所属
主力部隊として柱島で待機
1942/1 船団を護衛してダバオに進出。ケンダリー攻略部隊に参加
1942/1/25 『長良』と接触事故を起こし、損傷(ダバオに入港して応急修理)
1942/2/8 マカッサル攻略
1942/4/13 佐世保で入渠整備
1942/5/20 北方部隊に編入 アリューシャン攻略部隊に参加
1942/6/8 アッツ島攻略作戦に参加
1942/7 キスカ島近海で哨戒任務に従事
1942/8 横須賀で入渠修理
その後千島列島方面で哨戒・護衛任務に従事
1942/12 佐世保にて入渠整備
1943/3/26 アッツ島沖海戦に参加
1943/3/30 幌筵で『雷』と接触事故、損傷
1943/4 横須賀で入渠整備
1943/7/2〜 第一次キスカ撤収作戦に参加(作戦中止)
1943/7/22 第二次キスカ撤収作戦に参加(作戦成功)
1943/7/29 『初霜』と接触事故、損傷
1943/9 佐世保工廠で入渠修理及び対空兵装増備工事
1943/10 北方警備に従事
1943/11/13〜 第二航空戦隊を護衛して呉〜マニラ〜シンガポール進出
1943/12 『瑞鳳』を護衛してシンガポール〜パラオ〜トラック〜横須賀を航行
1944/3 北方警備
1944/6 伊号輸送作戦に参加
(硫黄島輸送作戦)
1944/8 『山城』『扶桑』をマニラまで護衛
1944/10/16 台湾沖航空戦後の米機動部隊捕捉部隊に参加
1944/10/24 スル海で米機動部隊艦載機の攻撃を受けて戦没

初霜 1934/9/27 浦賀船渠で竣工
開戦時 第一水雷戦隊第二一駆逐隊に所属
主力部隊として柱島で待機
1942/1 船団を護衛してダバオに進出。ケンダリー攻略部隊に参加
1942/2/8 マカッサル攻略
1942/4/13 佐世保で入渠整備
1942/5/20 北方部隊に編入 アリューシャン攻略部隊に参加
1942/6/8 アッツ島攻略作戦に参加
1942/7 キスカ島近海で哨戒任務に従事
1942/7/29 『若葉』と接触事故、損傷
1942/8 横須賀で入渠修理
その後千島列島方面で哨戒・護衛任務に従事
1942/12 佐世保にて入渠整備
1943/3/26 アッツ島沖海戦に参加
1943/3/30 幌筵で『雷』と接触事故、損傷
1943/4 横須賀で入渠整備
1943/7/2〜 第一次キスカ撤収作戦に参加(作戦中止)
1943/7/22 第二次キスカ撤収作戦に参加(作戦成功)
1943/7/29 『若葉』と接触事故、損傷
1943/11/13〜 第二航空戦隊を護衛して呉〜マニラ〜シンガポール進出
1943/12 シンガポール〜パラオ〜トラック〜横須賀を航行
1944/3 『瑞鳳』『龍鳳を護衛してサイパンへ航行
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加(給油艦護衛)
1944/10/24 スル海で米機動部隊艦載機の攻撃を受け損傷
1945/4/7 坊ノ岬沖海戦に参加
1945/7/30 舞鶴・宮津湾で空襲中に触雷し、擱座。
その後爆雷の爆雷の誘爆により大破、着底(沈没)

以下追加配備・他隊から編入
朝霜 1945/2/10 第二一駆逐隊に編入
第二駆逐隊第二一駆逐隊
1945/4/7 坊ノ岬沖海戦に参加、戦没

1945/3/10 第七駆逐隊から編入
第十八駆逐隊→南方部隊→第九駆逐隊第十八駆逐隊→第一水雷戦隊付→第七駆逐隊第二一駆逐隊
1945/4/7 坊ノ岬沖海戦において米艦載機の攻撃を受け大破(後、自沈処理)


第二二駆逐隊
解説
睦月級4隻で編制された駆逐隊

1944/5/1 『夕凪』編入

『水無月』戦没(1944/6/6)時に解隊(8/20)。
残された『皐月』『夕凪』は第三十駆逐隊(1944/8/21)に移籍された。
   
駆逐隊司令
杉野修一中佐(46期) 1941/7/1 1942/7/4
脇田喜一郎大佐(48期) 1942/7/5 1942/12/9
(欠員)
金岡国三大佐(48期) 1943/2/25
岡 三知夫大佐(50期) 1944/1/15 1944/8/20 解隊
所属駆逐艦

皐月 1925/11/15 藤永田造船所で竣工
開戦時 第五水雷戦隊第二二駆逐隊に所属
比島攻略戦に参加
1942/3/1 バタビア沖海戦に参加
1943/2/1 ガダルカナル島撤収作戦に参加
1943/7/6 クラ湾夜戦に参加
1943/7/13 コロンバンガラ島沖海戦に参加
1944/1/4 ラバウル輸送作戦中に爆撃を受け損傷
1944/8/21 第三十駆逐隊に編入(第二二駆逐隊、解隊)
第二二駆逐隊第三十駆逐隊

水無月 1927/3/22 浦賀船渠で竣工
開戦時 第五水雷戦隊第二二駆逐隊に所属
比島攻略戦に参加
1944/6/6 ダバオ近海で米潜水艦『ハーダー』の雷撃を受け戦没

文月 1926/7/3 藤永田造船所で竣工
開戦時 第五水雷戦隊第二二駆逐隊に所属
比島攻略戦に参加
1943/3/30 カビエン近海で米軍機の爆撃を受け損傷
1944/2/18 米機動部隊によるトラック大空襲の際に被弾、戦没

長月 1927/4/30 石川島造船所で竣工
開戦時 第五水雷戦隊第二二駆逐隊に所属
比島攻略戦に参加
1942/2 ジャワ島攻略戦に参加
その後ソロモン方面に進出
1943/2/1 ガダルカナル島撤収作戦に参加
1943/7/6 クラ湾夜戦に参加、米軍機の攻撃を受け戦没

以下追加配備・他隊から編入
夕凪 1944/5/1 第二二駆逐隊に編入
第二九駆逐隊第二海上護衛隊第二二駆逐隊
1944/8/20 第三十駆逐隊に編入(第二二駆逐隊、解隊)
第二九駆逐隊第二海上護衛隊第二二駆逐隊第三十駆逐隊


第二三駆逐隊
解説
当初睦月級3隻で編制された駆逐隊であり、第二航空戦隊のトンボ吊り部隊であったが、開戦時には航続距離の問題から真珠湾攻撃には参加出来ず、グアム攻略部隊に組み込まれた。

1942年(昭和17年)5月4日、ソロモン方面ツラギ攻略部隊として参加した際に『菊月』が米軍の攻撃を受け擱座。翌5日に再度空襲を受けて戦没した。
この為残された『夕月』は第二九駆逐隊への移籍が、『卯月』は第三十駆逐隊への移籍が決定し、第二三駆逐隊は解隊された。
    
駆逐隊司令
山田勇助中佐(48期) 1941/8/11 1942/1/30
島居威美中佐(47期) 1942/1/31 1942/5/25
所属駆逐艦

菊月 1926/11/20 舞鶴工作部で竣工
開戦時 第二航空戦隊に所属していたが、本隊には同航せずグアム攻略戦に参加。
1942/5/4 ツラギ攻略戦で米軍機の空襲を受けて擱座
翌5日、再度空襲を受けて戦没

卯月 1926/11/20 藤永田造船所で竣工
開戦時 第二航空戦隊に所属していたが、本隊には同航せずグアム攻略戦に参加。
1942/5/4 ツラギ攻略戦に参加
1942/5/25 第三十駆逐隊に移籍
第二三駆逐隊は解隊)

夕月 1926/9/14 石川島造船所で竣工
開戦時 第二航空戦隊に所属していたが、本隊には同航せずグアム攻略戦に参加。
1942/5/4 ツラギ攻略戦に参加
1942/5/25 第二九駆逐隊に移籍
第二三駆逐隊は解隊)


第二四駆逐隊
解説
白露級4隻で編制された駆逐隊


1944年(昭和19年)2月10日解隊
  
駆逐隊司令
被雷泰次大佐(43期) 1941/7/25 1942/7/24
村上暢之助大佐(44期) 1942/7/25 1942/9/1
中原義一郎大佐(48期) 1942/9/2 1943/7/7
久保田 智大佐(46期) 1943/7/8 1944/2/10 解隊
所属駆逐艦

海風 1937/5/31 舞鶴工廠で竣工
開戦時 第四水雷戦隊第二四駆逐隊に所属
比島攻略作戦に参加
その後比島方面・蘭印方面の各作戦に従事
(レガスピー・ラモン・タラカン・バリックパパン・マカッサル・スラバヤ・パナイ攻略の各作戦)
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加
1942/8/24 第二次ソロモン海戦に参加
1942/10/26 南太平洋海戦に参加
1942/11/18 ブナ輸送作戦中に米軍機の攻撃を受け損傷(航行不能)
『朝潮』に曳航されラバウル・佐世保に回航(修理)
1943/2 修理完了
1943/11/11 米軍機によるラバウル空襲で中破
1944/2/1 トラック沖で米潜水艦『ガードフィッシュ』の雷撃を受け戦没

山風 1937/6/30 浦賀船渠で竣工
開戦時 第四水雷戦隊第二四駆逐隊に所属
比島攻略作戦に参加
1942/2/27 スラバヤ沖海戦に参加
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加
1942/6/25 房総半島沖で米潜水艦『ノーティラス』の雷撃を受け戦没

江風 1937/4/30 藤永田造船所で就航
開戦時 第四水雷戦隊第二四駆逐隊に所属
比島攻略作戦に参加
1942/2/27 スラバヤ沖海戦に参加
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加
1942/8〜 ガダルカナル島輸送作戦に従事
1942/8/24 第二次ソロモン海戦に参加
1942/10/26 南太平洋海戦に参加
1942/11/30 ルンガ沖夜戦に参加
1943/2/1・4 ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)に参加
1943/2/9 『東運丸』と衝突し損傷(佐世保に回航し修理)
1943/5 原隊復帰
1943/8/6 コロンバンガラ島輸送作戦中にベラ湾海戦で米艦隊と交戦、戦没

涼風 1937/8/31 浦賀船渠で竣工
開戦時 第四水雷戦隊第二四駆逐隊に所属
比島攻略作戦に参加
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加
1942/8〜 ガダルカナル島輸送作戦に従事
1942/8/24 第二次ソロモン海戦に参加
1942/10/26 南太平洋海戦に参加
1942/11/30 ルンガ沖夜戦に参加
1943/2/1〜 ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)に参加、損傷(中破)
1943/7/6 クラ湾夜戦に参加
1944/1/25 ブラウン島への輸送作戦中、米潜水艦『スキップジャック』の雷撃を受け戦没

追加配備・他隊から編入
満潮 1943/11/14 第二四駆逐隊に編入
第八駆逐隊→修理→第二四駆逐隊
1944/2/10 第二四駆逐隊、解隊
『武蔵』を護衛してトラック→パラオ間を移動
1944/3/31 第四駆逐隊に編入
第八駆逐隊→修理→第二四駆逐隊第四駆逐隊


第二五駆逐隊
解説
1939年(昭和14年)11月に第八駆逐隊と改称。
以後、太平洋戦争中は第二五駆逐隊は欠番。


第二六駆逐隊
解説
第二代目にあたる第二六駆逐隊は1936年(昭和11年)に解隊。当時の第十一戦隊に召集された。
以後、太平洋戦争中は第二六駆逐隊は欠番。


第二七駆逐隊
解説
初春級(2隻)と白露級(2隻)の4隻で編制された駆逐隊。
第十六駆逐隊の『雪風』と共に幸運艦として名の知られた『時雨』が開戦時に所属した駆逐隊。

1943年(昭和18年)7月、『有明』『夕暮』が相次いで戦没した後、第二駆逐隊『春雨』(1943/11/30編入?)『五月雨』を吸収・統合する形で再建した。

1944年(昭和19年)8月解隊。
残された『時雨』だけが他隊に編入されたものと思われるが、所属は不明。
この後行われた捷一号作戦(レイテ海戦)において『時雨』は第一遊撃部隊第三部隊(西村部隊)の1艦として参加。スリガオ海峡海戦唯一の生存艦として有名である。尚、この海戦に参加した際の所属部隊は第二七駆逐隊としているものが殆どであり、実際にどのような扱いになっていたのかは不明。
   
駆逐隊司令
吉村真武大佐(45期) 1940/10/19 1942/6/24
瀬戸山安秀大佐(45期) 1942/6/25 1943/3/7
原 為一大佐(49期) 1943/3/8 1943/12/24
白浜政七大佐(49期) 1943/12/25 1944/6/27
大島一太郎大佐(50期) 1944/6/28 1944/7/8(?) 解隊
所属駆逐艦

有明 1935/3/25 川崎重工神戸造船所で竣工
開戦時 第一水雷戦隊第二七駆逐隊に所属
連合艦隊主力部隊の1隊として柱島に待機
1942/1〜 アンボン・ケンダリー攻略作戦に参加
1942/2/15 ポート・ダーウィン攻撃に参加
1942/3/10 インド洋機動作戦に従事
1942/4/25 第五航空戦隊に配属
1942/5/7 珊瑚海海戦に参加
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加(『鳳翔』の護衛任務)
1942/8/22 ナウル島砲撃
1942/8/25 ナウル島攻略
1942/12/26 セント・ジョージ岬沖で空襲により中破
1943/2/2〜 佐世保で修理完了後、トラック〜ラバウル間の護衛任務に従事
1943/7/28 ツルブ輸送作戦中に米軍機の攻撃を受け戦没

夕暮 1935/3/30 舞鶴工廠で竣工
開戦時 第一水雷戦隊第二七駆逐隊に所属
連合艦隊主力部隊の1隊として柱島に待機
1942/1〜 アンボン・ケンダリー攻略作戦に参加
1942/2/15 ポート・ダーウィン攻撃に参加
1942/3/10 インド洋機動作戦に従事
1942/4/25 第五航空戦隊に配属
1942/5/7 珊瑚海海戦に参加
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加
1942/8/22 ナウル島砲撃
1942/8/25 ナウル島攻略
1943/7/16
(7/20?)
ラバウル近海で米軍機の爆撃を受け戦没

白露 1936/9/7 佐世保工廠で竣工
開戦時 第一水雷戦隊第二七駆逐隊に所属
連合艦隊主力部隊の1隊として柱島に待機
1942/5/7 珊瑚海海戦に参加
1942/6/5 ミッドウェー作戦に参加
1942/11/29 ブナ輸送作戦中に被弾、損傷
トラックに回航後、応急修理
1943/2 トラックを出港し、長崎に回航中に浸水
サイパンに寄港し応急修理
1943/3〜7 三菱重工長崎造船所で入渠修理
1943/7/31 『武蔵』を護衛して南東方面に進出
1943/11/2 ブーゲンビル島沖海戦に参加
『五月雨』と衝突し、損傷
1943/11/6 ラバウルを出港
途中『妙高』『羽黒』を護衛して佐世保に回航
1943/11/17 佐世保で入渠修理
対空兵装増備(第二主砲塔撤去)
1943/12/24 『妙高』『羽黒』を護衛して呉を出港(トラック進出)
1944/6/8 ビアク沖海戦で米艦隊と交戦、損傷
1944/6/15 ミンダナオ島沖で米潜水艦の魚雷を回避中に味方給油船『清洋丸』と衝突、爆雷が誘爆し沈没

時雨 1936/9/7 浦賀船渠で竣工
開戦時 第一水雷戦隊第二七駆逐隊に所属
1942/5 珊瑚海海戦に参加
1942/6/4 ミッドウェー作戦に参加
ガダルカナル島輸送、内南洋船団護衛に従事
1943/10/6 第二次ベラ・ラベラ沖海戦に参加
1944/6/8 第二次渾作戦に参加
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/8 第二七駆逐隊解隊(唯一の残存艦)
以後の所属は不明
(その後)
1944/10/25 捷一号作戦(スリガオ海峡海戦)に参加
(西村部隊唯一の生存艦・部隊記録としては第二七駆逐隊所属となっている)
1944/11/15 第二一駆逐隊に編入(但し別行動の為、書類上だけと思われるが、詳細は不明)
1945/1/24 マレー半島東岸沖で米潜水艦『ブラックフィン』の雷撃を受け戦没

以下追加配備・他隊から編入
春雨 1943/11/30 第一水雷戦隊第二七駆逐隊に編入
第二駆逐隊→(修理)→第二七駆逐隊
1944/2/17 トラック島空襲により損傷した『時雨』『秋津洲』を護衛してパラオに回航
1944/6/2 渾作戦(第一次)に参加(作戦中止)
1942/6/8 第二次渾作戦に参加、米陸軍(B-25)の空襲を受け戦没

五月雨 1943/11/30 第一水雷戦隊第二七駆逐隊に編入
第二駆逐隊→(1水戦付・2水戦付)→第二七駆逐隊
※第二七駆逐隊に移籍するまでのあいだの期間は詳細不明
1944/4/1 ショートランド島沖で至近弾による攻撃で損傷
1944/6/8 ビアク島沖海戦で米艦隊と交戦、損傷
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/8/18 パラオ北端で座礁
1944/8/26 離礁作業中に米潜水艦『バットフィッシュ』の雷撃を受け戦没


第二八駆逐隊
解説
最後に編制された第二八駆逐隊は第二九駆逐隊から分離し、2隻態勢となった駆逐隊であったが、1939年(昭和14年)11月に再び第二九駆逐隊に統合された。
以後、太平洋戦争中は第二八駆逐隊は欠番。


第二九駆逐隊
解説
神風級4隻で編制された駆逐隊。
太平洋戦争開戦時には第六水雷戦隊に所属し、第一小隊『追風』『疾風』がウェーク島攻略作戦に参加したが、この攻略作戦は開戦時の作戦の唯一失敗した作戦であった。この攻略戦で『疾風』が米軍のウェーク島守備隊からの砲撃により被弾、戦没した。(海軍の太平洋戦争損失艦艇第一号となった。)
また第二小隊『朝凪』『夕凪』はギルバート諸島タラワ環礁攻略作戦に参加。その後第六水雷戦隊と合流し、第二次ウェーク島攻略部隊に参加した。

1942年(昭和17年)1月、ビスマルク諸島ラバウル攻略作戦に参加。
2月以降、ビスマルク諸島方面の各要地(スルミ・ラエ・サラモア)攻略作戦に参加する。3月にラエ沖合いで米空母『ヨークタウン』艦載機の攻撃を受け『追風』『朝凪』が損傷。佐世保に回航されて修理。
4月、MO攻略部隊に『追風』『朝凪』が参加し、5月珊瑚海海戦に遭遇する。
5月、解隊された第二三駆逐隊から『夕月』が編入される。
その後佐世保に戻り整備後再びソロモン・ニューギニア方面輸送船団護衛として参加する。
7月、『朝凪』がブナ付近で座礁し、損傷。(8月に船団護衛をしつつ横須賀に回航され修理。)
8月、『夕凪』が第八艦隊の1艦として第一次ソロモン海戦に参加。続いて『追風』がガダルカナル島砲撃作戦に参加し、引き続きナウル・オーシャン攻略作戦に参加した。
9月以降は中部太平洋、ウェーク島、ギルバート方面での船団護衛任務に従事する。

第二九駆逐隊は元々第六水雷戦隊の指揮下にある駆逐隊だが、7月に解隊され第二海上護衛隊に改編されている。そして駆逐隊の各艦がバラバラに船団護衛任務に従事する為、駆逐隊の編制は不要だろうということで、1943年(昭和18年)4月、第二九駆逐隊は解隊され、以後は南東方面、中部太平洋方面における船団護衛任務に回された。
1943年(昭和18年)4月15日、第二海上護衛隊に編入された。

また『夕月』は第二二駆逐隊に編入された。
    
駆逐隊司令
瀬戸山安秀中佐(45期) 1941/9/1 1942/5/24
島居威美中佐(47期) 1942/5/25 1943/4/27 解隊された第二三駆逐隊から『夕月』と共に移籍・編入
所属駆逐艦

追風 1925/10/30 浦賀船渠で竣工
開戦時 第六水雷戦隊第二九駆逐隊に所属
ウェーク島攻略作戦に参加
1942/1 ラバウル攻略作戦に参加
1942/3/23 米艦載機の攻撃により損傷
(佐世保に回航、修理)
1942/4 MO攻略部隊に参加、
1942/5/7 珊瑚海海戦に参加
1942/8/13 ガダルカナル島砲撃
1943/4/15 第二海上護衛隊に編入(第二九駆逐隊、1943/4/1解隊)
(その後:第二海上護衛隊)
1943/9/21 マリアナ沖で米潜水艦『ガジョン』の雷撃を受けて小破
1944/2/18 トラック大空襲により戦没

疾風 1925/12/21 石川島造船所で竣工
開戦時 第六水雷戦隊第二九駆逐隊に所属
ウェーク島攻略作戦に参加
1941/12/11 ウェーク島守備隊の砲撃により戦没

朝凪 1925/10/30 藤永田造船所で竣工
開戦時 第六水雷戦隊第二九駆逐隊に所属
ダラワ攻略作戦に参加
1941/12/22 第二次ウェーク島攻略作戦に参加
1942/3/23 米艦載機の攻撃により損傷
(佐世保に回航、修理)
1942/4 MO攻略部隊に参加、
1942/5/7 珊瑚海海戦に参加
1943/4/15 第二海上護衛隊に編入(第二九駆逐隊、1943/4/1解隊)
(その後:第二海上護衛隊)
1944/5/17 父島近海で米潜水艦『ポーラック』の雷撃により戦没

夕凪 1925/4/24 佐世保工廠で竣工
開戦時 第六水雷戦隊第二九駆逐隊に所属
ダラワ攻略作戦に参加
1942/1 ラバウル攻略作戦に参加
1942/3/23 米艦載機の攻撃により損傷
(佐世保に回航、修理)
1942/4 MO攻略部隊に参加、
1942/5/7 珊瑚海海戦に参加
1942/8/8 第一次ソロモン海戦に参加
1943/4/15 第二海上護衛隊に編入
第二九駆逐隊、解隊)
(その後:第二海上護衛隊)
1943/7/12 コロンバンガラ沖海戦に参加
1943/11/2 ブーゲンビル島沖海戦に参加

以下追加配備・他隊から編入
夕月 1942/5/25 第二三駆逐隊から編入
第二三駆逐隊第二九駆逐隊
開戦時 第六水雷戦隊第二九駆逐隊に所属
ダラワ攻略作戦に参加
1942/1 ラバウル攻略作戦に参加
1942/3/23 米艦載機の攻撃により損傷
(佐世保に回航、修理)
1942/4 MO攻略部隊に参加、
1942/5/7 珊瑚海海戦に参加
1942/8/8 第一次ソロモン海戦に参加
1942/10 第八艦隊附属として派出
(1943/3/31解除)
1943/4/15 第二海上護衛隊に編入(第二九駆逐隊、1943/4/1解隊)
第二三駆逐隊第二九駆逐隊第二海上護衛隊


第三十駆逐隊
解説
睦月級4隻で編制された駆逐隊。
開戦時にウェーク島攻略戦に参加。開戦当初の一連の作戦おいて、唯一失敗した戦いであった。この戦いで迎撃に出撃した米軍機F4Fの機銃掃射を受け、魚雷若しくは爆雷が誘爆したことによって『如月』が爆沈した。これは第二三駆逐隊の『疾風』に続いて太平洋戦争における最初の損失艦艇となった。
作戦に失敗した後、一度後退。ハワイから戻ってくる南雲機動部隊から第二航空戦隊の分派を受け再度攻略作戦を行い、ウェーク島を占領する。

1942年(昭和17年)1月、ビスマルク諸島方面に進出。南東方面の要衝ラバウル攻略戦に参加。以後ラエ、サラモアといった南東方面の要衝攻略作戦に参加する。
4月、ポートモレスビー攻略作戦に組み込まれ船団護衛部隊として出撃。珊瑚海海戦にが発生し、作戦は中止された。
5月25日、第二三駆逐隊が解隊されたことにより、失われた『如月』の補充として『卯月』が編入された。
7月、ガダルカナル島設営隊を輸送するために『卯月』が派遣される。
7月10日、第二海上護衛隊第六水雷戦隊が改編)に配属されたが、14日には第八艦隊附属とされた。
8月、第一次ソロモン海戦の帰路、米潜水艦によって戦没した重巡洋艦『加古』の生存者救出の為に『卯月』が派遣される。24日の第二次ソロモン海戦に参加。ガダルカナル島に対する増援部隊して同島に接近、第十八駆逐隊の『陽炎』と共に『弥生』がヘンダーソン飛行場に砲撃を行ったが、『睦月』が空襲を受けて戦没した。
9月、ラビ攻略作戦に参加していた『弥生』が空襲により戦没。
以後、残された『望月』『卯月』はそれぞれ別々に輸送船団護衛任務に就き、駆逐隊としては機能しなくなる。その為12月1日に第三十駆逐隊は一時解隊となった。

1943年(昭和18年)3月31日、『望月』が第八艦隊附属から外れ、また『三日月』が第一海上護衛隊から除かれて第三十駆逐隊を再建した。(第三水雷戦隊所属)
7月6日、コロンバンガラ島増援部隊を輸送していた第三水雷戦隊(『三日月』『望月』が参加)はクラ湾夜戦に参加。12日には同様に第二水雷戦隊(『三日月』が参加)が同島に向かい、コロンバンガラ島沖海戦が発生した。だが『三日月』が27日にツルブ輸送作戦中にグロスター岬で座礁してしまい、翌日空襲により大破。『三日月』の放棄が決定した。
10月、コロンバンガラ撤退作戦に『望月』が参加。24日、ラバウルのお膝元であるニューブリテン島ジャキノットに米軍が上陸したとの報告により『望月』『卯月』が急行。空襲を受け『望月』が戦没。
11月、『卯月』がタロキナ逆上陸作戦に参加。だがこの作戦は途中で中止となる。その後再度出撃し、タロキナ輸送、第一次・第二次ブカ島輸送に従事した。だが25日セント・ジョージ岬沖海戦が発生、『卯月』が損傷(小破)を受けた。
11月30日、『夕月』が編入される。(第二海上護衛隊から)

1944年(昭和19年)2月、ラバウルからの撤退が決定した。
3月、『卯月』が東松二号船団(木更津→サイパン→トラック)の護衛に就き(海上護衛司令部の指揮下に派出)、『卯月』『夕月』が東松三号船団(トラック→横須賀)の護衛(第三水雷戦隊司令部の指揮下)に就いた。
4月1日、『松風』『秋風』が編入。この頃になると同型艦で駆逐隊を編制する余裕も無くなり、何よりも艦艇が不足していた。だがその補充も6月6日(9日?)に父島近海で米潜水艦『ソードフィッシュ』の雷撃を受け『松風』が戦没してしまう。
8月21日、解隊された第二二駆逐隊から『皐月』『夕凪』が編入。同時に第三水雷戦隊が解体された為、連合艦隊隷下に新編された第三一戦隊の指揮下に入る。
8月25日、比島北西で米潜水艦『ピクユダ』の雷撃を受け『夕凪』戦没。
9月21日、マニラ湾にて米艦載機群の攻撃を受け『皐月』戦没。相次ぐ損失に駆逐隊の残存艦は『卯月』『夕月』『秋風』だけとなった。
10月、捷一号作戦が発動。フィリピンにおける連合艦隊最後の大作戦が発動される裏ではフィリピンにおける輸送作戦が行われていた。米軍が上陸したレイテ島への増援部隊輸送作戦である多号作戦である。このうち第九次多号作戦に『卯月』『夕月』が参加したが、12月12日、両艦とも戦没した。
また是より先の11月3日、『秋風』が南シナ海で空母『準鷹』を護衛中に米潜水艦『ピンタード』の雷撃を受け戦没。

12月に全ての駆逐艦を失った第三十駆逐隊は解隊となった。(1945/1/10付解隊)
駆逐隊司令
安武史郎中佐(47期) 1941/9/1 1942/9/11 戦没
(欠員)
折田常雄大佐(49期) 1943/3/31 1944/8/31
沢村成二大佐(49期) 1944/9/1 1944/12/15
所属駆逐艦

睦月 1926/3/25 佐世保工廠で竣工
開戦時 第六水雷戦隊第三十駆逐隊に所属
ウェーク島攻略作戦に参加(作戦失敗)
1941/12/22 第二次ウェーク島攻略作戦に参加
1942/1 ラバウル攻略作戦に参加
1942/2 ラエ・サラモア攻略作戦に参加
1942/3 ブーゲンビル島攻略作戦に参加
1942/4 ポートモレスビー攻略作戦に参加
1942/5/7 珊瑚海海戦に参加
1942/8 本土に回航後、ラバウルに再進出
1942/8/24 第二次ソロモン海戦に参加、戦没

如月 1926/3/25 佐世保工廠で竣工
開戦時 第六水雷戦隊第三十駆逐隊に所属
ウェーク島攻略作戦に参加、戦没

弥生 1926/8/28 浦賀船渠で竣工
開戦時 第六水雷戦隊第三十駆逐隊に所属
ウェーク島攻略作戦に参加、戦没
1941/12/22 第二次ウェーク島攻略作戦に参加
1942/1 ラバウル攻略作戦に参加
1942/2 ラエ・サラモア攻略作戦に参加
1942/3 ブーゲンビル島攻略作戦に参加
1942/4 ポートモレスビー攻略作戦に参加
1942/5/7 珊瑚海海戦に参加
1942/8 本土に回航後、ラバウルに再進出
1942/8/24 第二次ソロモン海戦に参加
1942/9/11 ラビ攻略作戦に参加
米軍機の攻撃を受けて戦没

望月 1927/10/31 浦賀船渠で竣工
開戦時 第六水雷戦隊第三十駆逐隊に所属
ウェーク島攻略作戦に参加、戦没
1941/12/22 第二次ウェーク島攻略作戦に参加
1942/1 ラバウル攻略作戦に参加
1942/2 ラエ・サラモア攻略作戦に参加
1942/3 ブーゲンビル島攻略作戦に参加
1942/4 ポートモレスビー攻略作戦に参加
1942/5/7 珊瑚海海戦に参加
1942/8 本土に回航後、ラバウルに再進出
1942/8/24 第二次ソロモン海戦に参加
1943/7/6 クラ湾夜戦に参加、損傷
1943/10/24 ニューブリテン島近海で空襲を受け戦没

以下追加配備・他隊から編入
卯月 1942/5/25 第三十駆逐隊に編入 (第二三駆逐隊は解隊)
第二三駆逐隊第三十駆逐隊
1942/7/6 ガダルカナル島設営隊を輸送
1943/1/5 ラバウルで不発弾命中により損傷
1943/11/24 セント・ジョージ岬沖海戦に参加、損傷
1944/3 東松二号船団の護衛
1944/6/17 あ号作戦、補給部隊護衛任務に従事
1944/12/12 第九次多号作戦に参加
オルモック湾で米魚雷艇と交戦、戦没

三日月 1943/3/31 第三十駆逐隊に編入
第三航空戦隊→第一海上護衛隊→第三十駆逐隊
1943/7/6 クラ湾夜戦に参加
1943/7/12 コロンバンガラ島沖海戦に参加
1943/7/27 ツルブ輸送に参加、グロスター岬にて座礁
翌28日、空襲により大破、放棄

夕月 1943/11/30 第三十駆逐隊に編入
第二三駆逐隊第二九駆逐隊第二海上護衛隊第三十駆逐隊
1944/3 東松三号船団の護衛
1944/12/13 第九次多号作戦に参加
オルモック湾で米軍機により被弾、戦没

松風 1944/4/1 第三十駆逐隊に編入
第五駆逐隊→所属不明→第三十駆逐隊
1944/6/6
(1944/6/9?)
父島近海で米潜水艦『ソードフィッシュ』の雷撃を受け戦没

秋風 1944/4/1 第三十駆逐隊に編入
第三四駆逐逐隊→所属不明→第三十駆逐隊
1944/11/3 南シナ海で空母『準鷹』を護衛中に米潜水艦『ピンタード』の雷撃を受け戦没

夕凪 1944/8/21 第三十駆逐隊に編入(第二二駆逐隊、解隊)
第二九駆逐隊→第二海上護衛隊→第二二駆逐隊第三十駆逐隊
1944/8/25 比島北西で米潜水艦『ピクユダ』の雷撃を受け戦没

皐月
1944/8/21 第三十駆逐隊に編入
第二二駆逐隊第三十駆逐隊
1944/9/21 マニラ湾で補給中に米艦載機の攻撃を受けて戦没

旗風
1944/12/26 第三十駆逐隊に編入
第五駆逐隊→横須賀警戒隊→第三十駆逐隊
1945/1/15 高雄港内で米艦載機群の攻撃を受け戦没

汐風
1944/12/26 第三十駆逐隊に編入
第三駆逐隊第四航空戦隊附属→第五艦隊附属→第一海上護衛隊第三十駆逐隊
1945/1/31 フィリピン残留航空要員救出作戦(パトリナオ輸送作戦)に参加(作戦失敗)
1945/2/15 第一駆逐隊に編入
第三駆逐隊第四航空戦隊附属→第五艦隊附属→第一海上護衛隊第三十駆逐隊第一駆逐隊


第三一駆逐隊
解説
夕雲級で編制された駆逐隊
同型駆逐艦が竣工しては戦没し、次々に入れ替わっている。
そしてフィリピン戦で全艦が失われて、壊滅した。
    
駆逐隊司令
清水利夫大佐(46期) 1942/8/31 1942/11/30 戦没
香川清登大佐(46期) 1943/2/12 1943/11/24 戦没
福岡徳治郎大佐(48期) 1944/2/5 1944/12/11 解隊
所属駆逐艦

長波 1942/6/30 藤永田造船所で竣工
1942/8/31
(開隊時)
第三一駆逐隊を開隊・編入
1942/10/26 南太平洋海戦に参加
1942/11/7 ガダルカナル島沖で空襲を受け損傷(中破)
1942/11/30 ルンガ沖夜戦に参加、損傷(小破)
1943/3 舞鶴回航
1943/7/26 キスカ島撤収作戦に参加
1943/11/1 ブーゲンビル島沖海戦に参加
1943/11/11 第二次ラバウル空襲で大破
呉に回航、修理
1944/1 呉で修理(及び対空機銃増備)
1944/5 修理完了
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/10/18〜 捷一号作戦に参加
大破した『高雄』を護衛してブルネイに後退
1944/11/11 オルモック湾にて米軍機の攻撃を受け戦没

巻波 1942/8/18 舞鶴工廠で竣工
1942/8/31
(開隊時)
第三一駆逐隊を開隊・編入
1942/10/26 南太平洋海戦に参加
1942/11/30 ルンガ沖夜戦に参加
1943/2/1 ガダルカナル島撤収作戦に参加
1943/11/25 セント・ジョージ岬沖海戦に参加
米艦隊と交戦、被雷し戦没

以下、竣工後に随時編入
高波 1942/8/31 浦賀船渠にて竣工
1942/10/1 第三一駆逐隊に編入
1942/10/26 南太平洋海戦に参加
1942/11/30 ルンガ沖夜戦に参加、戦没
(竣工後、僅か91日で戦没)

大波 1942/12/29 藤永田造船所にて竣工
1943/1/20 第三一駆逐隊に編入
ソロモン輸送作戦、内南洋船団護衛に従事
1943/11/24 セント・ジョージ岬沖海戦に参加
米艦隊と交戦、戦没

清波 1943/1/25 浦賀船渠にて竣工
1943/2/25 第三一駆逐隊に編入
1943/7 ソロモン方面に進出
1943/7/13 コロンバンガラ島沖夜戦に参加
1943/7/20 コロンバンガラ島輸送任務に参加
ベララベラ沖で米軍機の攻撃を受け戦没

沖波 1943/12/10 舞鶴工廠で竣工
1944/2/10 第三一駆逐隊に編入
1944/6/12 第三次渾作戦に参加(作戦中止)
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/10/18〜 捷一号作戦(シブヤン海海戦・サマール沖海戦)に参加
大破した『鈴谷』生存者を救出後、雷撃処分
1944/11/13 マニラ湾で米軍機の攻撃を受け戦没

岸波 1943/12/3 浦賀船渠にて竣工
1944/2/10 第三一駆逐隊に編入
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/10/18〜 捷一号作戦(シブヤン海海戦・サマール沖海戦)に参加
1944/12/4 パラワン島近海(ミンドロ島西方)で米潜水艦『夫ラッシャー』の雷撃を受け戦没

朝霜 1943/11/27 藤永田造船所で竣工
1944/2/10 第三一駆逐隊に編入
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/10/18〜 捷一号作戦に参加
『愛宕』戦没後、生存者を救出
大破した『高雄』を護衛してブルネイに後退
1944/11/9 第四次多号作戦に参加
1944/11/15 第二駆逐隊に編入
第三一駆逐隊第二駆逐隊


第三二駆逐隊
解説
若竹級二等駆逐艦3隻で編制された駆逐隊(3代目駆逐隊:開戦時)
元々は1938年(昭和13年)度編制の際に(旧)第十六駆逐隊だった部隊が改名して第三二駆逐隊となった。開戦時には既に旧式となっていた若竹級で編制された駆逐隊で、性能改善工事が実施され、船団護衛任務に従事した。
開戦時には鎮海警備府所属の駆逐隊であったが、1942年(昭和17年)4月から第一海上護衛隊に編入される。だが日本海軍の船団護衛は隊として行動せず単艦単位で行動したため、駆逐隊としての編制は不要との判断で1943年(昭和18年)1月6日に解隊となった。(解隊の時点では全艦残存していたが、『朝顔』以外は戦時中に失われた。)



夕雲級駆逐艦で編制された駆逐隊(4代目:1943年(昭和18年)8月20日編制)
太平洋戦争が既に中盤期に差し掛かってからの編制8再建)部隊である為、その活動の殆どが船団護衛と対空戦闘であった。
     
駆逐隊司令
(3代目駆逐隊:開戦時)
山本岩多中佐(48期) 1941/7/ 1943/1/6 解隊

(4代目:1943年(昭和18年)8月20日編制)
中原義一郎大佐(48期) 1943/8/20 1944/3/31
折田常雄大佐(49期) 1944/4/1 1944/6/7 戦没
青木久治大佐(50期) 1944/6/15 1944/7/7 戦没(未確認)
大島一太郎大佐(50期) 1944/7/8 1944/11/15 解隊
所属駆逐艦

朝顔 1923/5/10 石川島重工で竣工
開戦時 鎮海警備府第三二駆逐隊に所属
1942/4/10 第一海上護衛隊に編入
1945/2/15 第一駆逐隊に編入
第三二駆逐隊第一海上護衛隊第一駆逐隊

芙蓉 1923/3/16 藤永田造船所で竣工
開戦時 鎮海警備府第三二駆逐隊に所属
1942/4/10 第一海上護衛隊に編入
1943/12/20 マニラ沖で米潜水艦『バッファー』の雷撃を受け戦没

刈萱 1923/4/10 藤永田造船所で竣工
開戦時 鎮海警備府第三二駆逐隊に所属
1942/4/10 第一海上護衛隊に編入
1945/5/10 バターン半島沖で米潜水艦『コッド』の雷撃を受け戦没

以下、第三二駆逐隊再建時(各艦竣工後に随時編入)
玉波 1943/4/30 藤永田造船所で竣工
1943/7/1 第三二駆逐隊に編入
1943/7/8 トラック進出
以後、ソロモン輸送作戦、内南洋船団護衛に従事
1944/2/10 『武蔵』を護衛してトラックを出港
1944/5/15 第三航空戦隊を護衛してタウイタウイに進出
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/7/7 船団護衛任務
マニラ湾付近で米潜水艦『ミンゴー』の雷撃を受け戦没

涼波 1943/7/27 浦賀船渠で竣工
1943/9/30 第三二駆逐隊に編入
1943/10/15 トラック進出
以後、ポナベ輸送に従事(2回)
1943/11/11 第二次ラバウル空襲で米艦載機群の攻撃を受け戦没

藤波 1943/7/31 藤永田造船所で竣工
1943/8/20 第三二駆逐隊に編入
1944/3/29 『武蔵』を護衛してパラオ〜呉を航行
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/10/25 捷一号作戦(シブヤン海海戦・サマール沖海戦)に参加
大破した『鳥海』生存者を救出後、米艦載機群の空襲を受け戦没

早波 1943/7/31 舞鶴工廠で竣工
1943/8/20 第三二駆逐隊に編入
1944/6/7 あ号作戦に参加すべく待機中にタウイタウイ泊地南方で対潜掃討作戦中に米潜水艦『ハーダー』の雷撃を受け戦没

浜波 1943/10/15 舞鶴工廠で竣工
1943/12/15 第三二駆逐隊に編入
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/10/25 捷一号作戦(シブヤン海海戦・サマール沖海戦)に参加
1944/11/11 第三次多号作戦に参加、戦没(全滅)


第三三駆逐隊
解説
第三三駆逐隊は1920年(大正9年)〜1922年(大正11年)に存在。
以後、太平洋戦争中は第三三駆逐隊は欠番。


第三四駆逐隊
解説
峯風級3隻で編制された駆逐隊。
同級は老朽化が激しく、太平洋戦争においては第一線での運用を考えられてはいない。海戦直前までは第三航空戦隊に付随し、所謂トンボ吊り部隊として存在していたが、1941年(昭和16年)8月に編制代えが行われ第十一航空艦隊附属として配備されていた。
開戦時には第十一航空艦隊のトンボ吊りや標的訓練任務に従事、以後戦局の変化に伴ないソロモン方面ラバウルに進出する。
以後、救難任務を含め、ソロモン方面での船団護衛任務に従事するが、各艦が単艦で行動するため、駆逐隊司令は不在のままである。
1943年(昭和18年)1月23日、『羽風』が戦没した為、駆逐隊を維持する必要がないと判断され同年4月の艦隊再編制の際に解隊となった。
    
駆逐隊司令
村上暢之助大佐(44期) 1941/9/15 1942/7/29
(以後は欠員・実質的解隊状態)
所属駆逐艦

羽風 1920/9/16 三菱長崎造船所で竣工
開戦時 第十一航空艦隊第三四駆逐隊に所属
1943/1/23 カビエン沖で米潜水艦『ガードフィッシュ』の雷撃により戦没

秋風 1921/4/1 三菱長崎造船所で竣工
開戦時 第十一航空艦隊第三四駆逐隊に所属
1943/4/1 第十一航空艦隊として駆逐隊は解隊
(その後)
1944/5/1 第八艦隊第三水雷戦隊に編入
1944/8/20 第三一戦隊に編入
1944/11/3 南シナ海で米潜水艦『ピンダート』の雷撃により戦没

太刀風 1921/12/5 舞鶴工廠で竣工
開戦時 第十一航空艦隊第三四駆逐隊に所属
1943/4/1 第十一航空艦隊として駆逐隊は解隊
(その後)
1944/2/17 トラック大空襲で戦没


第四一駆逐隊
解説
秋月級4隻で編制された駆逐隊。
     
駆逐隊司令
脇田喜一郎大佐(48期) 1943/9/15 1944/11/25 戦没
吉田正義大佐(50期) 1945/3/1 1945/8/15
所属駆逐艦

霜月 1944/3/31 三菱長崎造船所で竣工
第十一水雷戦隊に所属
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/9/15 第四一駆逐隊に編入(新編)
1944/10/25 捷一号作戦(エンガノ岬沖海戦)に参加
1944/11/25 ジャワ海で米潜水艦『カヴァラ』の雷撃を受け戦没

冬月 1944/5/25 舞鶴工廠で竣工
第十一水雷戦隊に所属
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/9/15 第四一駆逐隊に編入(新編)
1944/10/12 『大淀』護衛中に遠州灘沖で米潜水艦『トレパン』の雷撃を受け損傷(艦首切断)
呉工廠で修理
1944/11/20 修理完了
完了後『準鷹』を護衛してマニラに航行
1945/4/7 坊ノ岬沖海戦に参加
終戦時 残存(門司港)
1945/8/20 門司港で触雷、損傷(艦尾切断)大破

宵月 1945/1/31 浦賀船渠で竣工
終戦時 残存
(戦後、中華民国に賠償艦として譲渡)

涼月 1945/6/1 第六一駆逐隊から編入
第六一駆逐隊第四一駆逐隊
終戦時 佐世保・えびす湾に係留され防空砲台として残存


第四三駆逐隊
解説
松級で編制された駆逐隊

[捕捉]
橘級『榎』に関して
竣工時期(建造場所)、その後の行動から『椎』とほぼ同じである為、第四三駆逐隊に編入されている可能性は高いが、記録が無く所属部隊不明。第十一水雷戦隊に配備され、訓練を行っていたが、6月26日に福井県小浜で触雷、着底。復旧出来ない内に空襲により損傷(戦後解体)
触雷の時点で駆逐隊に編入されていた可能性は時期的にみても可能性あり。(但し全ては推測)
   
駆逐隊司令
菅間良吉大佐(50期) 1944/7/15 1945/1/16
吉田正義大佐(50期) 1945/1/17 1945/2/28
作間英邇大佐(50期) 1945/3/1 1845/8/15
所属駆逐艦

1944/4/28 舞鶴工廠で竣工
1944/7/15 第四三駆逐隊に編入(新編)
1944/7/20 第十一水雷戦隊の指揮下に編入
1944/7/29 第二護衛船団司令部指揮の部隊に単艦臨時編入
(小笠原輸送4804船団)
1944/8/4 横須賀への帰投中に米艦隊の攻撃を受け戦没

1944/6/16 横須賀工廠で竣工
1944/7/15 第四三駆逐隊に編入(新編)
1944/7/20 第十一水雷戦隊の指揮下に編入
1944/8/20 第三一戦隊の指揮下に編入
1944/11/9 第三次多号作戦に参加
途中、帰投中の第四次輸送部隊に編入されマニラに帰投
1944/11/24 第五次多号作戦に参加、損傷
1944/12/3 第七次多号作戦に参加
米駆逐艦『クーパー』を雷撃により撃沈
終戦時 残存
(戦後、英国に賠償艦として譲渡)

1944/6/28 藤永田造船所で竣工
1944/7/15 第四三駆逐隊に編入(新編)
1944/7/20 第十一水雷戦隊の指揮下に編入
1944/8/20 第三一戦隊の指揮下に編入
1944/10/16 第二水雷戦隊の指揮下に臨時編入
捷号作戦後に本土に帰投する『大和』他第二艦隊や、南方に移動する『伊勢』『日向』の途中区間を護衛
1944/12/5 第八次多号作戦に参加
1944/12/8 マニラ湾で空襲により損傷
1944/12/15 マニラ湾で空襲により損傷
1945/1/15 香港入港、修理
1945/1/31 在フィリピン在留航空要員救出作戦(パトリナオ輸送作戦)に参加
アパリ入港直前にバシー海峡南方で在中国米軍機の攻撃を受け戦没

1944/6/10 舞鶴工廠で竣工
1944/7/15 第四三駆逐隊に編入(新編)
1944/7/20 第十一水雷戦隊の指揮下に編入
1944/8/20 第三一戦隊の指揮下に編入
1944/10/16 第二水雷戦隊の指揮下に臨時編入
1944/12/5 第八次多号作戦に参加
1944/12/14 マニラ湾で空襲により損傷
1944/12/15 損傷により高雄に帰投中、マニラ近海で米潜水艦『ホークビル』の雷撃を受けて戦没

以下、竣工後に随時編入
1944/8/14 横須賀工廠で竣工
第十一水雷戦隊に編入
1944/10/10 第三一戦隊第四三駆逐隊に編入
1944/10/25 捷一号作戦(エンガノ岬沖海戦)に参加
1944/11/11 馬公港内で座礁
1944/12/7 第九次多号作戦に参加、損傷
終戦時 残存
特別輸送艦として復員輸送に参加
ソ連に賠償艦として譲渡

1944/8/25 藤永田造船所で竣工
第十一水雷戦隊に編入
1944/10/25 捷一号作戦(エンガノ岬沖海戦)に参加
第三一戦隊所属? 詳細不明)
1944/11/15 第三一戦隊第四三駆逐隊に編入
1944/12/5 第八次多号作戦に参加
1944/12/8 帰投中、空襲により損傷
1944/12/26 礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)に参加、損傷
1945/2/1 佐世保に入港
1945/3〜 呉に回航
以後同地にて待機
終戦時 残存
特別輸送艦として復員輸送に参加
中華民国に賠償艦として譲渡

1944/8/10 舞鶴工廠で竣工
第十一水雷戦隊に編入?(詳細不明)
1944/9/30 第三一戦隊第四三駆逐隊に編入
1944/10/25 捷一号作戦(エンガノ岬沖海戦)に参加
1945/1/9 長崎沖で米潜水艦の雷撃を受け損傷
終戦時 残存(呉在泊)
特別輸送艦として復員輸送に参加
英国に賠償艦として譲渡

1944/9/30 舞鶴工廠で竣工
第十一水雷戦隊に編入?(詳細不明)
1944/10 第三一戦隊第四三駆逐隊に編入(編入日不明)
船団を護衛して台湾経由でマニラに進出
1944/12/26 礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)に参加、損傷
1945/1/13 舞鶴に回航、修理
1945/3 呉に回航
終戦時 残存(呉在泊)
特別輸送艦として復員輸送に参加
ソ連に賠償艦として譲渡

1945/2/8 横須賀工廠で竣工
第十一水雷戦隊に編入?(詳細不明)
1945/4/25 第三一戦隊第四三駆逐隊に編入
1945/4/30 佐世保に回航
終戦時 残存(佐世保相浦泊地)
特別輸送艦として復員輸送に参加
中華民国に賠償艦として譲渡

1945/3/13 舞鶴工廠で竣工
第十一水雷戦隊に編入
1945/5/20 第三一戦隊第四三駆逐隊に編入
1945/7/24 山口県沖で『回天』発射訓練中に空襲、損傷
終戦時 残存(呉)
特別輸送艦として復員輸送に参加
ソ連に賠償艦として譲渡


第四五駆逐隊
解説
第四五駆逐隊は1938年(昭和13年)11月〜1941年(昭和16年)4月に存在。
以後、太平洋戦争中は第四五駆逐隊は欠番。


第五二駆逐隊
解説
松級で編制された駆逐隊
       
駆逐隊司令
岩上次一大佐(50期) 1944/11/29 1945/1/8 戦没
杉谷永秀大佐(51期) 1945/3/10 1945/8/15
所属駆逐艦

1944/7/25 藤永田造船所で竣工
第十一水雷戦隊に所属
1944/8/30 第三一戦隊に所属
1944/10/25 捷一号作戦(エンガノ岬沖海戦)に参加、戦没
1944/11/15 第五二駆逐隊に編入(新編)
1944/12/3 第七次多号作戦に参加
米艦隊(駆逐艦・魚雷艇)と交戦、戦没

1944/9/3 横須賀工廠で竣工
第十一水雷戦隊に編入
1944/10/25 捷一号作戦(エンガノ岬沖海戦)に参加
第三一戦隊所属? 詳細不明)
1944/11/29 第十一水雷戦隊第五二駆逐隊に編入(新編)
1944/12/26 礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)に参加
1945/1/21 高雄港在泊中に空襲を受け損傷
終戦時 残存
特別輸送艦として復員輸送に参加
米国に賠償艦として譲渡

1944/9/30 藤永田造船所で竣工
1944/11/29 第十一水雷戦隊第五二駆逐隊に編入(新編)
1944/12/26 礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)に参加
1945/1/21 高雄港在泊中に空襲を受け損傷
終戦時 残存
特別輸送艦として復員輸送に参加
米国に賠償艦として譲渡

1944/9/30 藤永田造船所で竣工
1944/11/29 第十一水雷戦隊第五二駆逐隊に編入(新編)
1944/12/26 礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)に参加
1945/1/21 高雄港在泊中に空襲を受け損傷
終戦時 残存
特別輸送艦として復員輸送に参加
米国に賠償艦として譲渡


(再確認必要)
1944/10/30 横須賀工廠で竣工
1944/11/29 第十一水雷戦隊第五二駆逐隊に編入(新編)
門司〜台湾航路護衛任務に従事
1945/1/29 在フィリピン航空要員救出作戦(パトリナオ輸送作戦)に参加(作戦失敗)
終戦時 残存(呉在泊)
特別輸送艦として復員輸送に参加
中国に賠償艦として譲渡

以下、竣工後に随時編入
1945/3/1 横須賀工廠で竣工
第十一水雷戦隊第五二駆逐隊に編入
1945/7/24 山口県光沖で空襲を受け損傷
終戦時 残存(呉)
特別輸送艦として復員輸送に参加
英国に賠償艦として譲渡

1945/3/15 川崎重工神戸造船所で竣工
第十一水雷戦隊第五二駆逐隊に編入
1945/7/26 呉で米艦載機の爆撃を受け戦没
終戦後 1954年、浮揚後海上自衛隊が購入
改修工事後、護衛艦『わかば』として再就役

1945/5/29 藤永田造船所で竣工
第十一水雷戦隊第五二駆逐隊に編入
1945/7/15 『楡』の乗組員全員が転入
1945/7/24 山口県光沖で空襲を受け損傷
終戦時 残存
特別輸送艦として復員輸送に参加
米国に賠償艦として譲渡


第五三駆逐隊
解説
松級で編制された駆逐隊
日本帝國海軍最後の駆逐隊として編制されたが作戦行動はまったく取れなかった。
    
駆逐隊司令
豊嶋俊一大佐(51期) 1945/3/15 1945/8/15
所属駆逐艦

1944/11/25 横須賀工廠で竣工
1945/3/15 第五三駆逐隊に編入(新編)
1945/7/11 大阪沖を船団護衛中に触雷、戦没

椿 1944/11/30 舞鶴工廠で竣工
1945/3/15 第五三駆逐隊に編入(新編)
1945/4/10 揚子江口で触雷、中破
1945/5/30 本土帰投後、瀬戸内海西部で待機
1945/7/14 岡山沖で空襲により中破
終戦時 残存(中破状態)
除籍後、兵装撤去の後、放置
1948年、解体

1945/3/5 横須賀工廠で竣工
1945/3/15 第五三駆逐隊に編入(新編)
1945/7 舞鶴に回航
終戦時 残存(舞鶴)
特別輸送艦として復員輸送に参加
米国に賠償艦として譲渡

以下、竣工後に随時編入
1945/3/26 横須賀工廠で竣工
第五三駆逐隊に編入
終戦時 残存
特別輸送艦として復員輸送に参加
英国に賠償艦として譲渡

1945/4/28 横須賀工廠で竣工
第五三駆逐隊に編入
終戦時 残存
特別輸送艦として復員輸送に参加
米国に賠償艦として譲渡


第六一駆逐隊
解説
,秋月級で編制された駆逐隊

1944年(昭和19年)12月1日解隊
  
駆逐隊司令
則満宰次大佐(46期) 1942/10/7 1943/2/2
大江賢治大佐(47期) 1943/2/3 1943/12/11
泊 満義大佐(46期) 1943/12/12 1944/1/16 戦没
天野重隆大佐(47期) 1944/3/20 1944/10/25 戦没
所属駆逐艦

秋月 1942/6/11 舞鶴工廠で竣工
1942/6/15 『瑞鶴』を護衛して出港(第二機動部隊)
北方方面に進出(柱島→大湊)
1942/7/6 マカッサルに進出
1942/8/13 カビエンに進出
1942/8/21 機動部隊主隊に編入
ガダルカナル島輸送任務に従事
1942/10/7 第六一駆逐隊に編入(新編・第十戦隊指揮下)
1942/10/14 第四水雷戦隊旗艦を継承
1942/10/25 インディスペンサブル海峡で米軍機の空襲を受け損傷
1942/11/6 横須賀に回航、入渠修理
1942/12/16 修理完了
1943/1/6 トラック再進出後に第十戦隊旗艦を継承
1943/1/19 ショートランド沖で被雷(魚雷2本)、損傷
1943/2/2 トラックに回航後、工作艦『明石』に横付けして応急修理(40日間)
1943/3/13 佐世保への回航途中、サイパンに寄港直後にキール切断
サイパン入港後に応急修理
1943/6/24 応急修理状態のままサイパンを出港
1943/7/5 三菱重工長崎造船所に入渠修理
1942/10/31 第六一駆逐隊に復帰(再編制)
1943/12/1 『翔鶴』『千歳』を護衛してトラックに進出
1944/1/1 米機動部隊によるカビエン空襲に遭遇
1944/2/3 パラオ寄港
1944/6/13 タウイタウイ進出
1944/6/19 マリアナ沖海戦に参加
1944/10/25 捷一号作戦(エンガノ岬沖海戦)に参加、戦没

照月 1942/7/31 三菱長崎造船所で竣工
1942/6/15 『瑞鶴』を護衛して出港(第二機動部隊)
北方方面に進出(柱島→大湊)
1942/10/7 第六一駆逐隊に編入(新編・第十戦隊指揮下)
1942/10/26 南太平洋海戦に参加、損傷
(トラック回航後に応急修理)
1942/11/13 第三次ソロモン海戦に参加
1942/12/3 トラックで出港中に座礁
1942/12/11 ガダルカナル島輸送作戦に参加
エスペランス岬沖で米魚雷艇と交戦、被雷損傷
(翌12日、ガダルカナル島カミンボ岬沖で自沈)

涼月 1942/12/29 三菱長崎造船所で竣工
1943/1/15 第六一駆逐隊に編入
1943/6/26 第十戦隊旗艦を継承
1943/7〜 ソロモン方面、内南洋方面での護衛任務に従事
1944/1/16 宿毛沖で米潜水艦(艦名不明)の雷撃を受け大破
(命中魚雷×2本 艦首・艦尾部分が切断)
1944/1/18 呉で入渠修理(対空機銃増備工事含む)
1944/10 修理完了
1944/10/16 宮崎沖で米潜水艦の魚雷を受け艦首切断
1944/10/17 呉で入渠修理
1944/11/11 修理完了
以後、フィリピン・馬公方面輸送任務。
1945/4/7 坊ノ岬沖海戦に参加、損傷
(艦首(艦橋より前部)が半没状態)
自力回航後に佐世保で入渠修理
1945/6/1 第四一駆逐隊に編入
第六一駆逐隊第四一駆逐隊
終戦時 佐世保・えびす湾に係留され防空砲台として残存

初月 1942/12/15 舞鶴工廠で竣工
1943/1/15 第六一駆逐隊に編入
1944/10/25 捷一号作戦(エンガノ岬沖海戦)に参加、戦没