1944年(昭和19年)の海戦





トラック島空襲[1944/2/17]
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(通称)ビアク沖海戦(正式呼称なし)[1944/6/8〜9](米国呼称:ビアク沖海戦)





あ号作戦(通称:マリアナ沖海戦)[1944/6/19〜20](米国呼称:フィリピン海海戦)





台湾沖航空戦[1944/10/12〜16](米国呼称:正式名称なし)





比島沖海戦(通称:レイテ海戦)[1944/10/23〜26]
日本海軍では一つの海戦として扱うが、連合国側は3つの海戦に分けて扱われている。
これは日本艦隊が3つの艦隊に別れ、同時に離れた場所で行動したが、全て一つの目的の為に行動した為である。
  
   (米国呼称:レイテ湾海戦





   (米国呼称:サマール沖海戦





   (米国呼称:エンガノ岬沖海戦)





多号作戦[1944/10/21〜12/14]
台湾沖航空戦の戦果(誤認)により、当初計画されていたフィリピン・ルソン島決戦を連合軍上陸地点であるレイテ島に変更し、ルソン島防衛に当たっていた陸軍部隊を急遽レイテ島に増援輸送することが決定した。
この結果既に作戦決定前にレイテ島への輸送が行われていた第一次輸送のほか、増援部隊を送り出す第二次輸送作戦と兵站部隊を輸送する第三次輸送作戦が決定し、この一連の輸送作戦を『多号作戦』と称した。(他に『オルモック輸送作戦』とも称する。)
だが無謀とも言える連合軍上陸地点への制空権・制海権の無い強行輸送と逆上陸作戦はその殆どが失敗に終わり、最終的には第九次輸送作戦をもって終了した。
  





ミンドロ島沖海戦[1944/12/26]