航空戦隊編成(空母部隊・水上機母艦) | |
太平洋戦争中の戦隊編成 |
第一航空戦隊 |
|||||||||||||||
解説 | |||||||||||||||
正規空母『赤城』『加賀』の2隻を擁し、開戦当時はまさに世界最強艦隊と称しても構わない第一航空艦隊(南雲機動部隊)の中心部隊である。第一航空艦隊司令長官
南雲忠一中将直卒の戦隊であり、開戦時には米太平洋艦隊最大の根拠地、ハワイ・オアフ島にある真珠湾軍港に奇襲攻撃を掛けるべく荒れ狂う冬の北太平洋を横断して一路ハワイを目指し、そして奇襲攻撃に成功した艦隊であった。 真珠湾作戦後、艦隊は本土に回航、その後トラック島に進出し、ラバウルを初めとする南東方面からニューギニア北岸、パラオ方面から蘭印ボルネオ島まで太平洋戦争の外縁部を地均しするかのごとく作戦行動を行った。 途中『加賀』が損傷した為、一端本土に回航されたが、『赤城』は他の航空戦隊と共にスターリング湾に集結。続いてインド洋方面に進出した。 昭和17年4月、スターリング湾を出航した南雲機動部隊はインド洋西部に浮かぶ英艦隊の根拠地セイロン島を目指す。 帝都を空襲された日本軍は積極防衛の一環として、また米空母群を引きずり出し、早期に決戦を行うべくミッドウェー作戦を計画する。だがこの作戦前に行われたポートモレスビー攻略作戦と、それに伴って発生した珊瑚海海戦により第五航空戦隊の『翔鶴』が損傷し、『瑞鶴』もミッドウェー作戦に参加出来なくなると、残された第一航空戦隊・第二航空戦隊の空母4隻に期待が寄せられた。 既に自他共に認める最強部隊となっていた南雲機動部隊に慢心があったのは否めないだろう。だが、それを差し引いても当時の両航空戦隊の搭乗員達はその神掛かった操縦技術をもって敵を撃破すること間違いなかった。 だが、不徹底な作戦方針・指導、情報漏れ、指揮官の体調不良、機器の故障、その他もろもろの要因と共に・・・・・この時の日本艦隊には運が無かったと言える。 ミッドウェー攻撃隊を送り出した空母艦上では敵空母発見の際に攻撃すべく第二次攻撃隊を対艦攻撃装備で用意していた。だが1回で終了する予定だったミッドウェー島に対する攻撃は、攻撃隊を率いた『飛龍』飛行隊長友永大尉の『第二次攻撃隊の必要有りと認む』の通信以後混乱に包まれた。 |
|||||||||||||||
所属艦艇 | |||||||||||||||
1941年(昭和16年)12月 開戦時 | |||||||||||||||
赤城 | 加賀 | ||||||||||||||
第二航空戦隊 |
|||||||||||||||
解説 | |||||||||||||||
所属艦艇 | |||||||||||||||
第三航空戦隊 |
|||||||||||||||
解説 | |||||||||||||||
所属艦艇 | |||||||||||||||
第四航空戦隊 |
|||||||||||||||
解説 | |||||||||||||||
所属艦艇 | |||||||||||||||
第五航空戦隊 |
|||||||||||||||
解説 | |||||||||||||||
所属艦艇 | |||||||||||||||
第十航空戦隊 | |||||||||||||||
解説 | |||||||||||||||
所属艦艇 | |||||||||||||||
1941年(昭和16年)12月 開戦時 | |||||||||||||||
瑞穂 | 千歳 | ||||||||||||||
第十一航空戦隊 |
|||||||||||||||
解説 | |||||||||||||||
所属艦艇 | |||||||||||||||
第十二航空戦隊 |
|||||||||||||||
解説 | |||||||||||||||
所属艦艇 | |||||||||||||||
第十三航空戦隊 |
|||||||||||||||
解説 | |||||||||||||||
所属艦艇 | |||||||||||||||
第五十航空戦隊 |
|||||||||||||||
解説 | |||||||||||||||
所属艦艇 | |||||||||||||||