艦隊編成
太平洋戦争中の艦隊編成

連合艦隊            
解説
連合艦隊の誕生は1894年(明治27年)、日清戦争に際し、常備艦隊(第一艦隊・第二艦隊)と警備艦隊を同時に統率する司令部を編成したのが最初である。最初の連合艦隊は日清戦争後に一度解散している。

1903年(明治36年)12月、日露戦争に際し再び連合艦隊は編成され、当初は常備艦隊である第一艦隊・第二艦隊で編成されたが、後に第三艦隊と、新設の第四艦隊も合わせて指揮をとるようになった。この時も日露戦争後の1905年(明治38年)12月に再び解散している。

1922年(大正11年)、大正12年度編制から従来の臨時編制制度であった連合艦隊を常設することとなった。これにより第一艦隊司令部が連合艦隊司令部となる。この制度は太平洋戦争中期の1943年(昭和18年)5月まで続くこととなる。
   
太平洋戦争中の連合艦隊は、海軍の水上艦艇の大部分を指揮する組織であり、軍令を司る軍令部さえも上回る権力を持つ組織として肥大化していく。
そして主目的であった米艦隊(連合国軍艦隊)撃滅の為の兵力整備に重点を置いたため、海上交通線保護といった本来海洋国家の海軍たる本来の任務を忘れていた。(というかこの当時の日本海軍に商船保護という考えは殆ど無かった。)

1943年(昭和18年)、連合艦隊は従来の艦隊決戦方式から航空・空母優勢方式に変わると指揮官陣頭指揮の方針を変換し、後方からの指揮に専念することとなる。これにより第一艦隊は解隊され、第二艦隊第三艦隊を合わせた第一機動艦隊を編制し、これを含めた全艦隊の指揮を後方から行うようになる。のちにこの方法が徹底され、従来の艦船(旗艦)からの指揮を中止し、陸上施設(日吉台指揮所)に司令部を移すようになった。

また本土防衛が急務となると上位組織として海軍総隊が組織され、連合艦隊・海上護衛総隊・各方面艦隊・各鎮守府・各警備府が指揮下に編入されるようなった。だが海軍総隊司令部は連合艦隊司令部が兼任しており、制度上の問題でしかなかった。これにより海軍は海軍の保有する全ての兵力を連合艦隊司令部に押し付け、本土決戦へと突き進んでいくのと同義となった。
   
1941年(昭和16年)12月  太平洋戦争開戦当時の艦隊編制。
(連合艦隊司令長官、山本五十六大将
 
1942年(昭和17年)4月 第一段階作戦完了後、インド洋作戦・珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦当時の艦隊編制。
 
1942年(昭和17年)7月 ミッドウェー海戦敗戦後。ソロモン方面海戦(初期)当時の艦隊編制。
 
1943年(昭和18年)5月 ガダルカナル島撤収後、ソロモン方面海戦(中〜後期)当時の艦隊編制。
(連合艦隊司令長官、古賀峯一大将
  
1944年(昭和19年)4月 ソロモン方面撤収後、あ号作戦(マリアナ沖海戦)当時の艦隊編制。
(連合艦隊司令長官、豊田副武大将
   
1944年(昭和19年)8月 あ号作戦(マリアナ沖海戦)敗戦後、捷号作戦(レイテ沖海戦)当時の艦隊編制。
  
1945年(昭和20年)3月 沖縄戦当時の艦隊編制。
 
1945年(昭和20年)6月 終戦時の艦隊編制。
(連合艦隊司令長官:小沢治三郎中将


所属艦隊/戦隊
1941年(昭和16年)12月 開戦時(司令長官:山本五十六大将(32期))
(直卒) 第一戦隊(連合艦隊司令長官直卒)
第二四戦隊(司令官:武田盛治少将(38期))
第四潜水戦隊(司令官:吉富説三少将(39期))
第五潜水戦隊(司令官:醍醐忠重少将(40期))
第十一航空戦隊(司令官:藤田類太郎少将(38期))
第一艦隊(司令長官:高須四郎中将(35期))
第二艦隊(司令長官:近藤信竹中将(35期))
第三艦隊(司令長官:高橋伊望中将(36期))
第四艦隊(司令長官:井上茂美中将(37期))
第五艦隊(司令長官:細萱戊子郎中将(36期))
第六艦隊(司令長官:清水光美中将(36期))
第一航空艦隊(司令長官:南雲忠一中将(36期))
第十一航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将(36期))
南遣艦隊(司令長官:小沢治三郎中将(37期))
(附属) 千代田 矢風 摂津 明石 朝日 室戸 
朝日丸 高砂丸 他


1942年(昭和17年)4月10日(司令長官:山本五十六大将(32期))
(直卒) 第一戦隊(連合艦隊司令長官直卒)
第五潜水戦隊(司令官:醍醐忠重少将(40期))
第十一航空戦隊(司令官:藤田類太郎少将(38期))
第一連合通信隊
第一艦隊(司令長官:高須四郎中将(35期))
第二艦隊(司令長官:近藤信竹中将(35期))
第四艦隊(司令長官:井上茂美中将(37期))
第五艦隊(司令長官:細萱戊子郎中将(36期))
第六艦隊(司令長官:小松輝久中将(37期))
第一航空艦隊(司令長官:南雲忠一中将(36期))
第十一航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将(36期))
南西方面艦隊(司令長官:高橋伊望中将(36期))
第一南遣艦隊(司令長官:小沢治三郎中将(37期))
第二南遣艦隊(司令長官:高橋伊望中将(36期))
第三南遣艦隊(司令長官:杉山六蔵中将(38期))
(附属) 千代田 日進
明石 室戸 浦上丸 山鳩丸
矢風 摂津
報国丸 愛国丸 清澄丸 
朝日丸 高砂丸 
横須賀第一特別陸戦隊 横須賀第三特別陸戦隊


1942年(昭和17年)7月14日(司令長官:山本五十六大将(32期))
(直卒) 大和(艦隊旗艦)
第一連合通信隊
第八連合特別陸戦隊
第一艦隊(司令長官:清水光美中将(36期))
第二艦隊(司令長官:近藤信竹中将(35期))
第三艦隊(司令長官:南雲忠一中将(36期))
第四艦隊(司令長官:井上茂美中将(37期)〜1942/10/26)
第四艦隊(司令長官:鮫島具重中将(37期)〜1943/4/1)
第五艦隊(司令長官:細萱戊子郎中将(36期))
第六艦隊(司令長官:小松輝久中将(37期))
第八艦隊(司令長官:三川軍一中将(38期))
第十一航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将(36期))
南西方面艦隊(司令長官:高橋伊望中将(36期))
第一南遣艦隊(司令長官:小沢治三郎中将(37期))
第二南遣艦隊(司令長官:高橋伊望中将(36期))
第三南遣艦隊(司令長官:杉山六蔵中将(38期))
(附属) 伊勢 日向
春日丸 八幡丸
千代田 日進
第七駆逐隊 矢風 摂津
明石 室戸 浦上丸 山鳩丸
報国丸 愛国丸 清澄丸 金龍丸
朝日丸 高砂丸 氷川丸
横須賀第五特別陸戦隊 呉第五特別陸戦隊


1943年(昭和18年)5月(司令長官:古賀峯一大将(34期))
(直卒) 第一戦隊(連合艦隊司令長官直卒)
第一連合通信隊
第一艦隊(司令長官:清水光美中将(36期))
第二艦隊(司令長官:近藤信竹中将(35期))
第三艦隊(司令長官:小沢治三郎中将(37期))
第四艦隊(司令長官:小林 仁中将(38期))
第五艦隊(司令長官:河瀬四郎中将(38期))
第六艦隊(司令長官:小松輝久中将(37期)〜1943/6/21)
第六艦隊(司令長官:高木武雄中将(39期))
第十二航空艦隊(司令長官:戸塚道太郎中将(38期))
南西方面艦隊(司令長官:高須四郎中将(35期))
第一南遣艦隊(司令長官:大川内伝七中将(37期))
第二南遣艦隊(司令長官:岩村清一中将(37期))
第三南遣艦隊(司令長官:大田泰治中将(37期))
第四南遣艦隊(司令長官:山縣正郷中将(39期))
第四南遣艦隊(昭和18年11月30日 新設)
第十三航空艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
第十三航空艦隊(昭和18年9月2日 新設)
南東方面艦隊(司令長官:草鹿任一中将(37期))
第八艦隊(司令長官:鮫島具重中将(37期))
第十一航空艦隊(司令長官:南東方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 伊勢 日向
大鷹(春日丸) 雲鷹(八幡丸) 冲鷹
日進
北上 大井
第七駆逐隊 矢風 摂津
明石 浦上丸 八海丸 山彦丸
愛国丸 清澄丸
朝日丸 高砂丸 氷川丸 天応丸 牟婁丸
神風丸
横須賀第一特別陸戦隊


1944年(昭和19年)4月(司令長官:豊田副武大将(33期) ※1944/5/3〜)
(直卒) 大淀(艦隊旗艦)
第十一水雷戦隊(司令官:高間 完少将(41期))
第一連合通信隊
第一機動艦隊(司令長官:小沢治三郎中将(37期))
第二艦隊(司令長官:栗田健男中将(38期))
第三艦隊(司令長官:第一機動艦隊司令長官直卒)
第六艦隊(司令長官:高木武雄中将(39期))
第一航空艦隊(司令長官:角田覚治中将(39期))
南西方面艦隊(司令長官:高須四郎中将(35期) ※〜1944/6/18)
南西方面艦隊
(司令長官:三川軍一中将(38期))
第九艦隊(司令長官:遠藤喜一中将(39期))
第一南遣艦隊(司令長官:田結 穣中将(39期))
第二南遣艦隊(司令長官:三川軍一中将(38期) ※〜1944/6/18)
第二南遣艦隊(司令長官:河瀬四郎中将(38期))
第三南遣艦隊(司令長官:岡 新中将(40期))
第四南遣艦隊(司令長官:山縣正郷中将(39期))
第十三航空艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
南東方面艦隊(司令長官:草鹿任一大将(37期))
第八艦隊(司令長官:鮫島具重中将(37期))
第十一航空艦隊(司令長官:南東方面艦隊司令長官直卒)
北東方面艦隊(司令長官:戸塚道太郎中将(38期))
第五艦隊(司令長官:志摩清英中将(39期))
第十二航空艦隊(司令長官:北東方面艦隊司令長官直卒)
中部太平洋方面艦隊(司令長官:南雲忠一中将(36期))
第四艦隊(司令長官:原 忠一中将(39期))
第十四航空艦隊(司令長官:中部太平洋方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 伊勢 日向 扶桑 山城
鳳翔
第二一駆逐隊 矢風 夕風
満珠 干珠 笠戸 三宅
波勝 宗谷 神風丸 第三六共同丸 王星丸
氷川丸 天応丸 牟婁丸
横須賀第一特別陸戦隊


1944年(昭和19年)8月(司令長官:豊田副武大将(33期))
(直卒) 大淀(艦隊旗艦)
第二二戦隊(司令官:久宗米次郎少将(41期))
第三一戦隊(司令官:江戸兵太郎少将(40期))
第十一水雷戦隊(司令官:高間 完少将(41期))
第一連合通信隊
第四艦隊(司令長官:原 忠一中将(39期))
第六艦隊(司令長官:三輪茂義中将(39期))
第二航空艦隊(司令長官:福留 繁中将(40期))
第三航空艦隊(司令長官:吉良俊一中将(40期) ※〜1944/11/17)
第三航空艦隊
(司令長官:寺岡謹平中将(40期))
第一機動艦隊(司令長官:小沢治三郎中将(37期))
第二艦隊(司令長官:栗田健男中将(38期))
第三艦隊(司令長官:第一機動艦隊司令長官直卒)
南西方面艦隊(司令長官:三川軍一中将(38期))
第一南遣艦隊(司令長官:田結 穣中将(39期))
第二南遣艦隊(司令長官:河瀬四郎中将(38期))
第三南遣艦隊(司令長官:南西方面艦隊司令長官直卒)
第四南遣艦隊(司令長官:山縣正郷中将(39期))
第一航空艦隊(司令長官:寺岡謹平中将(40期) ※〜1944/10/20)
第一航空艦隊
(司令長官:大西瀧治郎中将(40期))
第十三航空艦隊(司令長官:南西方面艦隊司令長官直卒)
南東方面艦隊(司令長官:草鹿任一中将(37期))
第八艦隊(司令長官:鮫島具重中将(37期))
第十一航空艦隊(司令長官:南東方面艦隊司令長官直卒)
北東方面艦隊(司令長官:戸塚道太郎中将(38期) ※〜1944/9/15)
北東方面艦隊(司令長官:後藤英次中将(37期))
第五艦隊(司令長官:志摩清英中将(39期))
第十二航空艦隊(司令長官:北東方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 扶桑 山城
五十鈴
鳳翔 秋津洲
響 矢風
摂津 宗谷 神威 波勝 白沙


1945年(昭和20年)3月(司令長官:豊田副武大将(33期))
(直卒) 第二二戦隊(司令官:石崎 昇少将(42期))
第三一戦隊(司令官:鶴岡信道少将(43期))
第十一水雷戦隊(司令官:高間 完少将(41期))
第一〇一航空戦隊(司令官:山田定義中将(42期))
第一輸送戦隊
第一連合通信隊
第二艦隊(司令長官:伊藤整一中将(39期))
第四艦隊(司令長官:原 忠一中将(39期))
第六艦隊(司令長官:三輪茂義中将(39期))
第七艦隊(司令長官:岸 福治中将(40期) ※1945/4/15新編制)
第三航空艦隊(司令長官:寺岡謹平中将(40期))
第五航空艦隊(司令長官:宇垣 纏中将(39期))
第十航空艦隊(司令長官:前田 稔中将(41期))
第十二航空艦隊(司令長官:宇垣莞爾中将(39期))
南西方面艦隊(司令長官:大川内伝七中将(37期))
第三南遣艦隊(司令長官:南西方面艦隊司令長官直卒)
第一航空艦隊(司令長官:大西瀧治郎中将(40期))
南東方面艦隊(司令長官:草鹿任一中将(37期))
第八艦隊(司令長官:鮫島具重中将(37期))
第十一航空艦隊(司令長官:南東方面艦隊司令長官直卒)
第十方面艦隊(司令長官:福留 繁中将(40期))
第一南遣艦隊(司令長官:第十方面艦隊司令長官直卒)
第二南遣艦隊(司令長官:柴田弥一郎中将(40期))
第十三航空艦隊(司令長官:第十方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 鳳翔
第一駆逐隊 夕風 波風 矢風
三宅 屋久 駆潜艇×3隻
摂津 神威 波勝 大浜
氷川丸 第二氷川丸(旧:天応丸) 高砂丸 第二輸送隊
佐世保第一〇一特別陸戦隊


1945年(昭和20年)6月(司令長官:小沢治三郎中将(37期))
(直卒) 第二二戦隊(司令官:石崎 昇少将(42期))
第三一戦隊(司令官:鶴岡信道少将(43期))
第十一水雷戦隊(司令官:高間 完少将(41期))
第一〇一航空戦隊(司令官:山田定義中将(42期))
第十特攻戦隊(司令官:大和田昇少将(44期))
第一連合通信隊
第四艦隊(司令長官:原 忠一中将(39期))
第六艦隊(司令長官:醍醐忠重中将(40期))
第七艦隊(司令長官:岸 福治中将(40期))
第一航空艦隊(司令長官:志摩清英中将(39期))
第三航空艦隊(司令長官:寺岡謹平中将(40期))
第五航空艦隊(司令長官:宇垣 纏中将(39期))
第十二航空艦隊(司令長官:宇垣莞爾中将(39期))
第十方面艦隊(司令長官:福留 繁中将(40期))
第一南遣艦隊(司令長官:第十方面艦隊司令長官直卒)
第二南遣艦隊(司令長官:柴田弥一郎中将(40期))
第十三航空艦隊(司令長官:第十方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 葛城 海鷹 鳳翔
第一駆逐隊 潮 夕風 波風 矢風
駆潜艇×2隻
摂津 波勝 大浜
氷川丸 第二氷川丸(旧:天応丸) 高砂丸


支那方面艦隊
解説
海軍にあって、連合艦隊とは別に大陸方面の艦隊を統率する艦隊。
1937年(昭和12年)、従来大陸に展開していた(旧)第三艦隊の戦力が膨大な数となり、さらに(旧)第四艦隊が編制・投入されると、それを統率する為に支那方面艦隊が組織された。その後さらに新設された(旧)第五艦隊と、連合航空隊が投入される。これにより(旧)第三〜第五艦隊の3個艦隊(後に第一第三遣支艦隊に改称)と4個根拠地隊で編制され、一時は連合艦隊を超える戦力となった。
日華事変が泥沼化し、太平洋戦争の機運が強くなると艦隊戦力は縮小され南方攻略部隊に転出されていく。その為太平洋戦争中、支那方面艦隊は陸戦隊を中心とした部隊となっていた。
組織上は連合艦隊と同格の司令部であったが、大陸方面が対米戦にとっては主戦線ではない上、大陸に展開している陸軍の支援的立場であった為、戦力的にはほとんど意味の無い戦力といえた。
  
1941年(昭和16年)12月  太平洋戦争開戦当時の艦隊編制。
(司令長官、古賀峯一中将(後、大将に昇進))
 
1942年(昭和17年)4月 第一段階作戦完了後、インド洋作戦・珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦当時の艦隊編制。
 
1943年(昭和18年)4月 ガダルカナル島撤収後、ソロモン方面海戦(中〜後期)当時の艦隊編制。
(司令長官、吉田善吾大将
  
1944年(昭和19年)4月 ソロモン方面撤収後、あ号作戦(マリアナ沖海戦)当時の艦隊編制。
(司令長官、近藤信竹大将
   
1944年(昭和19年)12月 あ号作戦(マリアナ沖海戦)戦・捷号作戦(レイテ沖海戦)敗戦後の艦隊編制。
  
1945年(昭和20年)6月 終戦時の艦隊編制。
(司令長官:藤田類太郎大将


所属戦隊
1941年(昭和16年)12月 開戦時(司令長官:古賀峯一中将(34期))
(直卒) 出雲(艦隊旗艦)
第十三砲艦隊 第十四砲艦隊
第一法艇隊 第二法艇隊
上海方面根拠地隊
上海港務部
上海特別陸戦隊
舟山島警備隊
第一遣支艦隊(司令長官:小松輝久中将(37期))
第二遣支艦隊(司令長官:新見政一中将(36期))
第三遣支艦隊(司令長官:杉山六蔵中将(38期) ※〜1941/12/26)
第三遣支艦隊
(司令長官:河瀬四郎中将(38期) ※〜1942/4/10)


1942年(昭和17年)4月10日(司令長官:古賀峯一大将(34期) ※1942/5/1 大将に昇進)
(直卒) 出雲(艦隊旗艦)
海南警備府
青島方面特別根拠地隊(第三遣支艦隊を縮小・改編)
上海方面根拠地隊
上海特別陸戦隊
第一遣支艦隊(司令長官:牧田覚三郎中将(37期))
第二遣支艦隊(司令長官:新見政一中将(36期) ※〜1942/7/14)
第二遣支艦隊(司令長官:原 清中将(38期))
(附属) 第一砲艦隊 第二砲艦隊
上海港務部
舟山島警備隊


1943年(昭和18年)4月(司令長官:吉田善吾大将(32期))
(直卒) 出雲(艦隊旗艦)
青島方面特別根拠地隊
上海方面根拠地隊
上海特別陸戦隊
第一遣支艦隊(司令長官:遠藤喜一中将(39期))
第一遣支艦隊(※1943/8/20〜 揚子江方面根拠地隊に縮小)
第二遣支艦隊(司令長官:原 清中将(38期) ※〜1943/6/21)
第二遣支艦隊(司令長官:副島大助中将(38期))


1944年(昭和19年)4月(司令長官:近藤信竹大将(35期))
(直卒) 出雲(艦隊旗艦)
青島方面特別根拠地隊
上海方面根拠地隊
揚子江方面根拠地隊
第二遣支艦隊(司令長官:副島大助中将(38期))
(附属) 上海特別陸戦隊
第二五六海軍航空隊 上海航空隊 青島航空隊
第二気象部


1944年(昭和19年)12月(司令長官:近藤信竹大将(35期))
(直卒) 青島方面特別根拠地隊
上海方面根拠地隊
揚子江方面根拠地隊
上海特別陸戦隊
第二遣支艦隊(司令長官:副島大助中将(38期))


1945年(昭和20年)6月(司令長官:福田良三大将(38期))
(直卒) 青島方面特別根拠地隊
上海方面根拠地隊
揚子江方面根拠地隊
第二遣支艦隊(司令長官:藤田類太郎大将(38期))
(附属) 上海特別陸戦隊


南西方面艦隊
解説
1942年(昭和17年)4月10日、第一段階作戦で占領に成功した東南アジア・フィリピン・インドネシアの治安維持を円滑するために編制された中間艦隊であり、各地域の警備・治安維持を担当する第一第二第三南遣艦隊を統合してしている。

連合艦隊の指揮下にあり、外戦部隊(艦隊)の内、攻勢作戦兵力以外の治安維持部隊を指揮させる(押し付ける?)べく組織されたというべきだろうか。

1943年(昭和18年)9月、第十三航空艦隊を編入。11月には第二南遣艦隊を二分して第四南遣艦隊を新設して東インドネシアに配置した。だが米軍の侵攻は日本軍の予想を違え、フィリピンに直接に侵攻した為、第四南遣艦隊は遊兵化した為解隊された。
また米軍の侵攻ににより直接交戦状態となった第三南遣艦隊と、フィリピン戦開始により編入された第一航空艦隊を指揮したが、後方に取り残される形となった第一第二南遣艦隊第十三航空艦隊は1945年(昭和20年)2月に新設された第十方面艦隊に引き継がれた。

1945年(昭和20年)5月、小沢治三郎中将が連合艦隊司令長官になると、序列上の問題から南西方面艦隊を連合艦隊が指揮するわけには行かない為(本当にまともな軍事組織なのか、日本海軍は?)、指揮下を離れ大本営直轄部隊に切り替えられた。
      
1942年(昭和17年)4月 南西方面艦隊を新編制。第一段階作戦完了後、インド洋作戦・珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦当時の艦隊編制。
(司令長官:高橋伊望中将
   
1942年(昭和17年)7月 ミッドウェー海戦敗戦後。ソロモン方面海戦(極初期)当時の艦隊編制。
 
1942年(昭和17年)9月 ソロモン方面海戦(初期)当時の艦隊編制。
(司令長官:高須四郎大将

1943年(昭和18年)4月

1943年(昭和18年)9月
 
ガダルカナル島撤収後、ソロモン方面海戦(中〜後期)当時の艦隊編制。航空戦力の一部(二一航戦・解隊)を南東方面に抽出し、補充の航空艦隊(十三航艦)を新設。
   
1943年(昭和18年)11月 米軍の西部ニューギニア及びフィリピン侵攻に備えて艦隊を新設・再編制した当時の艦隊編制。
  
1944年(昭和19年)7月 あ号作戦(マリアナ沖海戦)敗戦後の艦隊編制。
(司令長官:三川軍一中将
  
1944年(昭和19年)12月 捷号作戦(レイテ沖海戦)後、フィリピン決戦当時の艦隊編制。
(司令長官:大川内伝七中将
   
1945年(昭和20年)2月 沖縄戦当時の艦隊編制。フィリピン戦後、遊兵化した戦力の整理と、後方地域となったマレー方面の戦力を第十方面艦隊として分離した。
 
1945年(昭和20年)6月 終戦時の艦隊編制。


所属戦隊
1942年(昭和17年)4月10日 新編時(司令長官:高橋伊望中将(36期))
(直卒) 第一海上護衛隊(司令官:井上保雄中将(38期))
第一南遣艦隊(司令長官:小沢治三郎中将(37期))
第二南遣艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
第三南遣艦隊(司令長官:杉山六蔵中将(38期))


1942年(昭和17年)7月14日(司令長官:高橋伊望中将(36期))
(直卒) 第一海上護衛隊(司令官:井上保雄中将(38期))
第二一航空戦隊(司令官:多田武雄少将(40期))
第二三航空戦隊(司令官:竹中龍造少将(39期))
第一南遣艦隊(司令長官:大川内伝七中将(37期))
第二南遣艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
第三南遣艦隊(司令長官:杉山六蔵中将(38期))
(附属) 伊八潜 第三十潜水隊
りおでじゃねろ丸


1942年(昭和17年)9月15日(司令長官:高須四郎大将(35期))
(直卒) 第一海上護衛隊(司令官:井上保雄中将(38期))
第二一航空戦隊(司令官:市丸利之助少将(41期))
第二三航空戦隊(司令官:竹中龍造少将(39期))
他潜水隊(詳細不明)
第一南遣艦隊(司令長官:大川内伝七中将(37期))
第二南遣艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
第三南遣艦隊(司令長官:杉山六蔵中将(38期))
(附属) 神威
第三十潜水隊


1943年(昭和18年)4月1日(司令長官:高須四郎大将(35期))
(直卒) 第一海上護衛隊(司令官:中島寅彦中将(39期))
第二一航空戦隊司令官:市丸利之助少将(41期) ※1943/9/1解隊)
第二三航空戦隊(司令官:竹中龍造少将(39期))
第一南遣艦隊(司令長官:大川内伝七中将(37期))
第二南遣艦隊(司令長官:岩村清一中将(37期))
第三南遣艦隊(司令長官:太田泰治中将(37期))
(附属) 神威
第八五一海軍航空隊
第十九駆逐隊
第三十潜水隊


1943年(昭和18年)9月(司令長官:高須四郎大将(35期))
(直卒) 足柄
第十六戦隊(司令官:左近充尚正少将(40期))
第一海上護衛隊(司令官:井上保雄少将(38期))
第二三航空戦隊(司令官:竹中龍造少将(39期))
第二八航空戦隊(司令官:小暮軍治少将(41期))
第八潜水隊 第十四潜水隊
第三連合通信隊
第一南遣艦隊(司令長官:田結 譲中将(39期))
第二南遣艦隊(司令長官:三川軍一中将(38期))
第三南遣艦隊(司令長官:岡 新中将(40期))
第十三航空艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 神威 
りおでじゃねろ丸
勝力
聖川丸
第三気象隊
第三六設営隊


1943年(昭和18年)11月(司令長官:高須四郎大将(35期))
(直卒) 足柄(1944/2/25 第五艦隊に移籍)
第十六戦隊(司令官:左近充尚正少将(40期))
第三連合通信隊
第九艦隊(司令長官:遠藤喜一中将(39期)
第九艦隊(※1943/11/15新設 〜 1944/7/15解隊)
第一南遣艦隊(司令長官:田結 譲中将(39期))
第二南遣艦隊(司令長官:三川軍一中将(38期))
第三南遣艦隊(司令長官:岡 新中将(40期))
第四南遣艦隊(司令長官:山縣正郷中将(39期))
第十三航空艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 神威 
りおでじゃねろ丸(1944/2/17戦没)
勝力
聖川丸
第三気象隊
第三六設営隊


1944年(昭和19年)7月(司令長官:三川軍一中将(38期))
(直卒) 第十六戦隊(司令官:左近充尚正少将(40期))
第三連合通信隊
第一南遣艦隊(司令長官:田結 譲中将(39期))
第二南遣艦隊(司令長官:河瀬四郎中将(38期))
第三南遣艦隊(司令長官:岡 新中将(40期) ※〜1944/8/15)
第三南遣艦隊
(南西方面艦隊司令長官直卒 ※1944/8/15〜)
第四南遣艦隊(司令長官:山縣正郷中将(39期))
第一航空艦隊(司令長官:寺岡謹平中将(40期) ※1944/8/7編入)
第一航空艦隊
(司令長官:大西瀧治郎中将(40期) ※1944/10/20〜)
第十三航空艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 神威
勝力(1944/9/21戦没)
聖川丸
第三気象隊
第三六設営隊(後に第四南遣艦隊に移籍?)


1944年(昭和19年)12月(司令長官:大川内伝七中将(37期))
(直卒) 第二七特別根拠地隊(※書類のみ、実戦兵力なしの少数兵力)
第五艦隊(司令長官:志摩清英中将(39期))
第一南遣艦隊(司令長官:田結 譲中将(39期))
第二南遣艦隊(司令長官:河瀬四郎中将(38期))
第三南遣艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
第四南遣艦隊(司令長官:山縣正郷中将(39期))
第一航空艦隊(司令長官:大西瀧治郎中将(40期))
第十三航空艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
(附属) (不明)


1945年(昭和20年)2月(司令長官:大川内伝七中将(37期))
(直卒) 第二七特別根拠地隊(※書類のみ、実戦兵力なしの少数兵力)
第三南遣艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)
第四南遣艦隊(司令長官:山縣正郷中将(39期) ※1945/3/1解隊)
第一航空艦隊(司令長官:大西瀧治郎中将(40期) ※1945/5/8連合艦隊に移籍)


1945年(昭和20年)6月(司令長官:大川内伝七中将(37期))
(直卒) 第二七特別根拠地隊(※書類のみ、実戦兵力なしの少数兵力)
第三南遣艦隊(南西方面艦隊司令長官直卒)


南東方面艦隊
解説
1942年(昭和17年)12月24日、南西方面艦隊に続き南東方面にも編制された2つ目の中間艦隊であり、ラバウルを中心としたソロモン方面を担当する艦隊である。
本来、この方面を担当する水上艦艇部隊の第八艦隊と、航空戦を担当する基地航空部隊である第十一航空艦隊を統一指揮するようになった。もっとも第十一航空艦隊のラバウル進出時から第八艦隊第十一航空艦隊の指揮を受けるようにとのことだったため、それが正式化されただけである。
その為南東方面艦隊とはいっても、実体は第十一航空艦隊司令部がそのまま業務を引き継いでいるのだが。

編制前も、編制後もソロモン諸島の最前線で戦い抜いた部隊である。
だがガダルカナル島からの撤退後、絶対国防圏構想によって、防衛態勢が整うまで限られた条件下で連合軍の侵攻を食い止め時間を稼ぐはずが、連合軍の猛攻の前に本来内南洋防衛に回すべき資材・器材までも動員する形となり、それでも尚敵の侵攻を食い止めることが出来ずに戦い抜くこととなった。

1944年(昭和19年)2月、後方拠点として南東方面の全部隊を支えていた中部太平洋最大の根拠地トラック島が米機動部隊の空襲により機能消失した為、ソロモン方面の戦線を維持出来なくなり、撤退が決定された。
以後一部の航空部隊・水上艦艇と、多数の地上員を残して最前線の最大拠点ラバウルは、その価値を失った。南東方面艦隊は指揮下に無力化された第八艦隊第十一航空艦隊隊を残したまま自給自足態勢に移行。終戦の日までラバウルに在って生き延びることとなる。

1945年(昭和20年)5月末、連合艦隊司令長官に小沢中将が就任。同期であり、また経験が多いという理由から南東方面艦隊を指揮する草鹿中将に対する指揮権がない為、南東方面艦隊は連合艦隊の指揮から離れ大本営直轄部隊に指定された。(このあたりの事情は南西方面艦隊と同様)
だが、かつての最前線であったラバルウに取り残される形となり、戦いよりも生き延びることに苦心していた現地部隊にとっては制度上の問題は既に関心がなかった。


所属戦隊
1942年(昭和17年)12月 新編時(司令長官:草鹿任一中将(37期))
(直卒) 第七潜水戦隊(司令官:吉富説三少将(39期) ※〜1943/1/11)
第七潜水戦隊(司令官:原田 覚少将(41期) ※1943/1/12〜)
第十一航空戦隊(司令官:(期))
第八艦隊(司令長官:三川軍一中将(38期) ※〜1943/3/31)
第八艦隊(司令長官:鮫島具重中将(37期) ※1943/4/1〜)
第十一航空艦隊(南東方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 第一〇一航空基地隊


1943年(昭和18年)9月(司令長官:草鹿任一中将(37期))
(直卒) 第七潜水戦隊(司令官:原田 覚少将(41期) ※〜1943/12/3)
第七潜水戦隊(司令官:大和田 昇少将(44期) ※1943/12/4)
第八艦隊(司令長官:鮫島具重中将(37期))
第九艦隊(司令長官:遠藤喜一中将(39期))
第九艦隊 ※1943/11/15新編 〜 1944/7/10解隊
第十一航空艦隊(南東方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 第一〇一航空基地隊
国川丸 王星丸 春島丸(各船共1944/1より附属を解除)


1944年(昭和19年)8月(司令長官:草鹿任一中将(37期))
(直卒) 第十四根拠地隊
第八艦隊(司令長官:鮫島具重中将(37期))
第十一航空艦隊(南東方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 第二輸送隊


1944年(昭和19年)12月(司令長官:草鹿任一中将(37期))
(直卒) 第八根拠地隊
第十四根拠地隊
第八艦隊(司令長官:鮫島具重中将(37期))
第十一航空艦隊(南東方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 第八港務部
第八気象隊
第八通信隊
第八潜水艦基地隊
第八一警備隊 第八四警備隊 第八五警備隊 第八六警備隊
横須賀第八特別陸戦隊(1945/5現地編成)


北東方面艦隊
解説
1943年(昭和18年)8月5日付けで編制された北東方面(アリューシャン列島・千島列島・樺太方面)を担当する中間艦隊であり、当初より同方面を担当していた第五艦隊と、航空作戦を担当する為に新設された第十二航空艦隊によって編制された。

元々はミッドウェー作戦における支援作戦の一環として占領したアリューシャン列島西部に位置するアッツ島・キスカ島を占領したことによる。だがミッドウェー作戦の失敗により、当初の計画では一時的な占領にとどめ、陽動作戦とするはずであったが、そのまま占領を継続することとなった。
もとより主戦線ではない北方方面において、両島を防衛する戦力は殆ど無く、僅かな守備隊が現地に駐留しているだけであっった。
だが1943年(昭和18年)5月、アッツ島に米軍が上陸を開始。アッツ島守備隊が玉砕する事態となった。
北方方面の米軍の動きを察知し、第十二航空艦隊を新編。合わせて第五艦隊と合わせて北東方面艦隊を編制したが、編制が完了したときには既にアッツ島は玉砕。残されたキスカ島守備隊をどうするかが急務となった。
同年7月、キスカ島守備隊の撤収が完了。これにより千島列島沖の哨戒任務が主な任務となる。だがもとより主戦線ではない北東方面は特に戦闘が発生することも無く、偶に来襲する米航空部隊との防空戦闘が主任務となった。

1944年(昭和19年)10月、既にマリアナ諸島を失い、戦局の主はフィリピン攻防戦に移っていた。指揮下の第五艦隊は北東方面艦隊所属のまま南方に抽出され、捷一号号作戦に参加する(レイテ海戦・志摩部隊)。
12月、艦隊再編制により第五艦隊は正式に南西方面艦隊の指揮下に移籍されることとなる。これにより水上艦艇部隊を失った北東方面艦隊は解隊が決定した。防空任務は第十二航空艦隊が引き続き任務を継承し、千島列島・樺太方面は大湊警備府が担当することとなった。(両部隊とも大湊警備府司令長官が兼任)

開隊以来僅か1年余り・・・殆ど戦闘を経験することなく北東方面艦隊は消滅した。


所属戦隊
1943年(昭和18年)8月 新編時(司令長官:戸塚道太郎中将(38期))
(直卒) 第二二戦隊(司令官:久保九次少将(38期) ※〜1943/12/24)
第二二戦隊(司令官:久宗米次郎少将(41期) ※1943/12/25〜)
第二二戦隊 ※1944/4/1編入 → 8/14転出
千島方面特別根拠地隊 ※1944/4/1編入
第五艦隊(司令長官:河瀬四郎中将(38期) ※〜1944/2/14)
第五艦隊(司令長官:志摩清英中将(39期) ※1944/2/15〜)
第十二航空艦隊(北東方面艦隊司令長官直卒)


1944年(昭和19年)9月(司令長官:後藤英次中将(37期))
(直卒) 千島方面特別根拠地隊
第五艦隊(司令長官:志摩清英中将(39期))
第十二航空艦隊(北東方面艦隊司令長官直卒)


第一機動艦隊
解説
1944年(昭和19年)3月に編制された海軍の主力艦隊。
水上打撃部隊である第二艦隊と、空母機動部隊である第三艦隊を合わせて編成された艦隊であり、日本海軍の主力遊撃艦隊、決戦部隊と言える。
元々日本海軍に根付いていた連合艦隊主義ともいえる指揮官先頭による大艦巨砲主義的な艦隊編の方針転換を図った艦隊なのだが、実際のところ旧来の戦艦部隊(第一艦隊)では戦局にまったく寄与出来ないというソロモン戦での教訓によるところが大きい。
これにより低速戦艦部隊を主力から外し、高速艦艇による前衛部隊としての戦艦・巡洋艦部隊(第二艦隊)と、主力としての空母部隊(第三艦隊)という2段構えの艦隊編制を行った。
同時に全戦域での作戦指揮をとる為に連合艦隊司令長官による陣頭指揮は廃止され、合わせて直卒部隊であった第一艦隊を解隊させた。
第一機動艦隊の司令長官は主力たる空母部隊、第三艦隊司令長官が第二艦隊第三艦隊を統率指揮することとなった。

艦隊の初陣はあ号作戦であり、大小合わせて9隻の航空母艦と、『大和』『武蔵』をはじめとする主力戦艦部隊も投入された。だがあ号作戦は失敗に終わり、空母3隻と艦載機300機以上を失う結果となった。
艦隊はこの後もフィリピン決戦、捷一号作戦にも参加するが、決戦戦力としての第一機動艦隊はこのあ号作戦で壊滅したと言っても良いだろう。

1944年(昭和19年)10月、フィリピンに侵攻する米艦隊を撃滅すべく第一機動艦隊は再び戦場に赴く。北方から戦艦部隊からなる遊撃部隊(第二艦隊基幹+第五艦隊)と、北方より米機動部隊を吊り上げ、囮となって遊撃部隊のレイテ湾(米軍上陸部隊集結地)突入を支援する空母部隊(第三艦隊)である。
この海戦では本来主役を務めるべき空母部隊が既に艦載機群を失い、実戦力足り得ないため囮任務を引き受け、その間に残された戦艦部隊による泊地突入作戦が行われた。
結果、空母部隊は残存空母の内、出撃可能な4隻の空母を投入して米機動部隊の目を引き付け、囮として北方への誘致に成功したが、参加した4隻全てを失うという事態になった。
さらに戦艦部隊も戦艦『武蔵』をはじめ、多くの艦艇を失い、また傷ついた。そしてレイテ湾突入を目前に米艦隊(護衛部隊)と交戦。これを撃退に成功するも湾内突入ならずして作戦は終了した。

この後、第三艦隊は壊滅状態となっていた為、作戦能力無しとして第一機動艦隊は解隊(1944/11/15付)となった。(第三艦隊も12月、解隊)
第二艦隊連合艦隊の指揮下に入り、翌年の沖縄特攻作戦(菊水作戦)に投入されることとなる。


所属戦隊
1944年(昭和19年)3月 新編時(司令長官:小沢治三郎中将(37期))
第二艦隊(司令長官:栗田健男中将(38期))
第三艦隊(第一機動艦隊司令長官直卒)
(附属) 最上


中部太平洋方面艦隊
解説
1944年(昭和19年)3月、連合艦隊の指揮下、内南洋防衛の為の第四艦隊とし、航空作戦を行う為に新編制された第十四航空艦隊を統率する中間艦隊である。

1944年(昭和19年)2月以降、中部太平洋最大の根拠地トラック島が空襲によって壊滅。これによって南東方面最大の根拠地ラバウルと、同方面の作戦を中止し、内南洋防備を早急に固める必要が出てきた。元々南東方面が内南洋をはじめとする絶対国防圏を固める為の時間稼ぎの戦域だったにも拘らず、トラック島が壊滅したことによって当初考えられた絶対国防圏構想の一角が崩壊してしまった。その為急遽マリアナ諸島防衛の為の戦力再編制が必要となった。
内南洋・マーシャル諸島各地に散って防衛を担当する第四艦隊と、その地域における航空作戦部隊としての第十四航空艦隊であったが、パラオをはじめとする各地の飛行場が米機動部隊によって各個撃破されるに及び、第十四航空艦隊は戦闘をすることなく壊滅的打撃を受けていく。
その為早々に第十四航空艦隊は解隊され、その航空戦力は第一航空艦隊に引き継がれることとなった。
また有力な水上艦艇を持たず、根拠地隊のみで編制されていた第四艦隊も各地に分断される形となり、なんら戦局に寄与することが出来なかった。
結局、あ号作戦の敗戦により中部太平洋艦隊司令部は、その所在地であったサイパン島に米軍が上陸することによって玉砕。その後解隊されることとなった。


所属戦隊
1944年(昭和19年)3月 新編時(司令長官:南雲忠一中将(36期))
(直卒) 第五特別根拠地隊
第三十根拠地隊
第四艦隊(司令長官:原 忠一中将(39期))
第十四航空艦隊(中部太平洋方面艦隊司令長官直卒)
(附属) 五十鈴
第四気象隊


第十方面艦隊
解説
1945年(昭和20年)2月、インドシナ担当の第一南遣艦隊、インドネシア担当の第二南遣艦隊、両方面の防空・航空作戦を担当していた第十三航空艦隊が、それまでの南西方面艦隊から分離・独立して編制された中間艦隊である。

米軍のフィリピン侵攻の結果、本土と切り離される形となった南西方面の内、西から迫る英軍の反攻に対応する第一南遣艦隊、フィリピン侵攻の際にスルーされたインドネシアの第二南遣艦隊、南西方面全域の防空を担当していた第十三航空艦隊の3個艦隊が纏まって編制され、その統率には第第十三航空艦隊司令部が兼任した。
だが有力な水上艦艇は殆ど残っておらず、残存艦艇も南方資源を積んだ艦艇、輸送船団による特攻船団を編成し本土に送り込んでしまった。結果ほとんど陸戦隊、根拠地隊しか残っていない状況であり、大規模な戦闘を行うことなく遊兵となって、そのまま終戦を迎えた。

フィリピン戦後の取り残された各部隊を纏めただけの組織といっても過言ではなかった。


所属戦隊
1945年(昭和20年)2月 新編時(司令長官:福留 繁中将(40期))
(直卒) 第五戦隊(司令官:橋本信太郎中将(41期) ※1945/5/16戦没)
第二五根拠地隊(1945/6編入)
第二七根拠地隊(1945/6編入)
第二八根拠地隊(1945/6編入)
第十三航空艦隊(第十方面艦隊司令長官直卒)
第一南遣艦隊(第十方面艦隊司令長官直卒)
第二南遣艦隊(司令長官:柴田弥一郎中将(40期))
(附属) 白沙(1944/6/8戦没)
南海


海軍総隊
解説