本土防空戦
1944年(昭和19年)6月〜12月




1944年(昭和19年)6月

      
    50
6月15日/16日
50 成都から発進したB-29による本土初空襲
  
50
米軍 米海軍のマリアナ侵攻作戦に合わせて成都よりB-29による日本本土初空襲を計画した。目標は成都から攻撃可能な北九州の重要目標拠点である八幡製鉄所である。 
成都にあった第20爆撃機兵団所属のB-29 83機中出撃可能な75機が発進。途中事故・故障等により墜落(2機)・引き帰し機(7機)があり、日本本土上空に到達した機体は62機であった。
先導・目標指示機を先頭に五月雨式に北九州に侵入したB-29各機は夜間に高度4000m前後からレーダー爆撃により爆弾を投下した。(実際に投下出来た機体は47機)
爆撃中に5機、進出・帰還時に2機が失われた。
またこの作戦には初の日本本土に対する本格空襲ということで、従軍記者8名が乗り込んでいたが、その内の1機から撃墜された記者が撮影したと思われる飛行中のB-29の未現存フィルムが日本側に回収された。これによりB-29の正体が日本側に伝わり、また陸地に墜落した機体が日本側に貴重な資料をもたらした。
  
日本軍 6月15日23:31、済州島の電波警戒機乙が彼我不明機の飛行をキャッチし、防空担当の西部軍司令部に通報される。司令部では飛行中の友軍機の確認を急ぐ中、さらに済州島からの続報と、済州島以外からのレーダーからも通報が届く。発見した編隊は明らかに北九州を目指して飛行しており、6月16日00:24、西部軍司令部は空襲警報を発令した。
 
30
陸軍_ 飛行第四戦隊
30 北九州防衛を担当する小月の第十九飛行団飛行第四戦隊(二式複戦『屠龍』装備)警戒中隊(8機)と、あとから出撃した1機が夜間邀撃に出撃。事前に決められている待機空域に向かい、高度4000mで邀撃態勢に移る。照空隊によって捕捉されたされた敵機に攻撃を開始した。
敵機が単機ないし少数機で五月雨式に進入した為、先発した機体は燃料・弾薬に欠乏した機体から順次小月に着陸。ペアを交代して再度出撃していった。そのため戦闘が終了したのは03:30以降であり、戦闘時間は2時間以上に及んだ。
出撃機数は延24機(可動12機)。戦果は撃墜4機、不確実撃墜3機、撃破4機(日本側報告)。損害は味方の高射砲によって損傷した1機だけであった。
当時B-29の正確な資料がなかった日本側ではB-29をB-24と思っていた操縦員が多かった。
 
飛行第五九戦隊
B-29空襲当時、北九州防空を担当するもう一つの戦闘機部隊であり、芦屋に展開していた。だがニューギニアで悪戦苦闘し疲弊した為に引き上げてきた部隊であったこともあり邀撃戦に役立つ状態でなかったこと。また敵機の襲来が夜間であった為、邀撃命令は下されなかった。
この時点で装備機は三式戦『飛燕』に機種改編中であり、可動10機未満。夜間出撃可能な機数は4機だけであった。
  
その他飛行戦隊
この時点で新編の第十六飛行団所属の第五一戦隊(四式戦『疾風』装備・防府配備)・第五二戦隊(四式戦『疾風』装備・芦屋配備)が展開していたが、共に外戦部隊であり、また錬成中であったため、出撃はしていない。
 
西部高射砲集団
北九州に配備されていた高射砲は31個中隊(約150門)であり、その殆どが旧式砲であった。新型の三式十二センチ高射砲は配備されていない。また対空射撃用電探も少数しかなく、訓練も不十分で有効な戦力とはなりえなかった。
約9000発打ち上げたが、撃墜戦果無く、四戦隊の1機が被弾しただけであった。
 
第五航空軍(支那派遣軍隷下)
事前に敵機の動きを察知し通報する予定だったたが、察知することが出来なかった第五航空軍では帰還中の敵機を迎え撃つべく百式司偵・一式戦『隼』に出撃じ、また不時着基地を爆撃すべく九九双軽部隊に出撃命令を下命した。
たが無駄足に終わったが、百式司偵の1機が不時着したB-29を1機発見し、これを『隼』『九九双軽』が出撃して撃破した。
 
海軍 海軍航空部隊には要港周辺以外の防空任務は課せられていない為、出撃命令は下されなかった。
 
備考 空襲による八幡製鉄所の被害は少なく、製鉄所・市街地で爆発したのは5発(500ポンド爆弾)だけであった。他に鉄道の一部が不通となり、死者は軍民合わせて数百名であった。
この講習の後、直ちに戦力の増援が行われ、中部軍管区所属の第十八飛行団第二四六戦隊(二式単戦『鐘馗』装備・大正配備)が小月に移動して第十九飛行団の指揮下に配属された。(その後1個中隊が小月に残り、残りは海軍の大村基地に移動して長崎方面の防空を担当する。)
また外戦部隊である第一航空軍所属の第十六飛行団第五一戦隊(四式戦『疾風』装備・防府配備)・第五二戦隊(四式戦『疾風』装備・芦屋配備)にも防空任務が与えられ、第十九飛行団の指揮下に加えられた。
高射砲兵集団も夜間防空の照空圏の狭さが指摘された為、照空中隊が増強された。

当初成都方面からのB-29による爆撃を警戒し、事前に空襲を探知・通報すべき支那派遣軍は対空監視網の強化を図り、レーダーの増設を中央に要請した。また派遣軍隷下の第五航空軍は成都飛行場への空襲を計画する。

またこの空襲により『B-29の成都からの爆撃を阻止』という一号作戦の最大の目的が消失してしまった。

  

1944年(昭和19年)7月

             
   
7月8日
   米第20爆撃機兵団の指揮官の交代(更迭)により、指揮を代行したレイバーン・G・サンダース准将がとり、少数機によって行われた牽制爆撃作戦。
  
米軍 B-29 8機(18機?)による牽制の夜間爆撃を行った。目標は佐世保・大村・戸畑・八幡である。2群に分かれて進撃したB-29編隊は第1群が佐世保・長崎に向かったが雲が低く垂れ込めた為レーダー爆撃を行って離脱。第2群は八幡方面に向かったが、深く進入することなく退避した。
    
日本軍 支那派遣軍が事前に敵編隊を察知し、本土の西部軍司令部に情報を送った一方、隷下の第五航空軍も邀撃隊を出撃させた。
7月7日 21:17に第五航空軍が、続いて22:22、第十三軍から。7月8日 00:11に済州島のレーダー基地から敵編隊の飛行状況が入ってくる。西部軍司令部は空襲警報を発令し、第十九飛行団の各飛行戦隊に出撃を命じた。(合計53機が出撃)
 
  
陸軍_ 飛行第四戦隊
二式複戦『屠龍』18機が出撃。会敵せず。
 
飛行第五九戦隊
不明
 
飛行第二四六戦隊
第1群邀撃に向かった編隊は交戦に到らなかったが、第2群邀撃に出撃した海軍大村基地進出部隊が会敵。単縦陣で前方攻撃を行ったが戦果無し。
 
飛行第五一戦隊
不明
 
飛行第五二戦隊
不明
 
   
飛行第二五戦隊
支那・第五航空軍隷下部隊。B-29の帰途を狙って邀撃したが、戦果無し。
 
  
海軍 海軍航空部隊には要港周辺以外の防空任務は課せられていない為、出撃命令は下されなかった。
 
  
備考 このよう激戦の後、本土の防空組織改編が行われ、7月15日に中部地区防空担当の第十八飛行団が第十一飛行師団に、西部地区防空担当の第十二飛行師団に改編された。
   

1944年(昭和19年)8月

           
    
8月5日
成都を出撃したF-13(B-29の偵察機型)が単機北九州に侵入。
6月18日以来、何度が訪れている戦果偵察機に対し、その侵入高度と、偵察目的の為爆撃される恐れが少ないという点から戦闘機による邀撃は控えられていた。(高射砲による砲撃はあったが、最初から戦果は期待されていなかった。)
だがこの単機侵入に対し、北九州防空を担当する第十二飛行師団長古屋少将は徹底的な邀撃を決意し、飛行第四戦隊に出動を命じた。
   
米軍 F-13偵察機による北九州偵察行動。
  
日本軍 8月5日 13:00過ぎ、B-29 ×1機が高度8,000mを東進中と第十二飛行師団に通報が入る。
古屋少将は飛行第四戦隊に対し、F-13邀撃の為に出撃を命じる。
   
陸軍_ 飛行第四戦隊
安部勇雄戦隊長は各隊から1名つづ、いずれも操縦歴の長い選り抜きのベテラン操縦者による3機を出撃させた。
 第1隊:木村准尉 第2隊:西尾准尉 第3隊:樫出中尉
接敵まで離陸後1時間20分を掛け高度10,000mまで達したが、一撃を掛けた後、高度は7,500mまで落ち、追撃は不可能。邀撃は失敗した。
  
8月10日
マリアナ諸島を出撃したB-29による小笠原諸島空襲
   
米軍
  
日本軍
  
海軍_

  
備考
    
8月11日
成都を出撃したB-29による北九州(長崎・倉幡地区・島根)空襲
   
米軍 成都を出撃したB-29 29機による夜間爆撃
00:40〜02:00に侵入。主力は長崎方面に向かい、他に倉幡(小倉・八幡)地区にも進出した。24機が爆撃をおこなったが、雲が多く盲目爆撃となった。
損害はほとんど無し。
  
日本軍
   
海軍_ 第三五二航空隊
開隊間もない352空の初出撃。
『月光』2機が出撃したが会敵しなかった。

  
備考 この空襲の後、小月、及び大村に進出していた飛行第二四六戦隊は活動の機会が無いものとされ、大阪・大正飛行場に引き上げていった。
   
8月20日
成都を出撃したB-29による北九州・八幡製鉄所を狙った空襲。従来の日本本土に対する夜間爆撃から、昼間爆撃作戦に変更した最初の爆撃作戦。
この防空戦により初の体当たり機が登場した。
      
米軍 成都を出撃したB-29 75機による空襲。
16:32〜17:48の間に北九州地区に侵入。
八幡製鉄所、倉幡地区、佐世保、長崎、大村に対し爆撃をおこなった。目標に到達し、投弾に成功した機数は61機。
損害は撃墜4機(体当たり機を含めた戦闘機によるもの3機、高射砲によるもの1機)、大破4機、その他4機(?)損失(事故・不時着)。
尚、B-29が撃墜したと報じた日本軍機は撃墜17機、撃墜不確実13機、撃破12機とされている。
   
日本軍 14:00過ぎ、支那派遣軍よりB-29の飛行状況を伝える情報が福岡の西部軍司令部に入電する。
15:54より済州島の電波警戒機乙が東進するB-29編隊(日本側判断、約80機)を捕捉。以後、各地の警戒機より情報が相次ぐ。
16:32、空襲警報発令。
来襲予想時刻の50分前にあたる16:30より陸軍第十二飛行師団の各機が出撃を開始した。
各戦隊が予定していた出撃高度は7,000mであったが、監視哨からの報告により待機高度を4,000mに変更した。だが実際に侵入してきた高度は7,000mであり、B-29の巨体を見間違えた各監視哨のミスであった。
   
陸軍_ 飛行第四戦隊
二式複戦『屠龍』が出撃。
倉幡地区上空直衛に出撃し、一端は高高度まで上昇したが監視哨からの報告により高度を下げた為、第一梯団を見逃してしまった。
野辺軍曹-高木兵長機が決別電を発した後、B-29に体当たりを敢行。体当たりの際に飛び散った破片が後続の2番機に当たりB-29 2機を葬った。
小林大尉機、1機撃墜、2機撃破。
樫出中尉機、1機撃墜。
佐々大尉-吉田軍曹機、2機撃破(その後同機を五九戦隊機が更に一撃)。その後エンジントラブルにより佐賀県呼子沖に着水。吉田軍曹は行方不明、戦死となった。
森本曹長機、3機撃墜、4機撃破。
戦隊合計で9機撃墜、不確実撃墜8機を報告した。
    
飛行第五一戦隊
四式戦『疾風』が出撃。
倉幡地区上空直衛に出撃し、飛行第五二戦隊を合わせて指揮すべく第十六飛行団長新藤中佐自ら四式戦『疾風』で空中指揮を執った。
新藤中佐、1機撃墜(B-29撃墜最年長者?)
   
飛行第五二戦隊
四式戦『疾風』で出撃。
倉幡地区西方30〜60kmに進出出撃
撃墜1機を報じた。
   
飛行第五九戦隊
三式戦『飛燕』が出撃。
倉幡地区上空直衛に出撃し、撃墜1機、不確実撃墜3機を報じた。
   
西部高射砲集団
撃墜9機を報告。(他に撃破20機?)
  
独立飛行第十九中隊
一〇〇式司偵 ×3機が索敵に出撃。
   
海軍 第三五二航空隊
零戦33機、月光4機が出撃。(月光は302空派遣隊の遠藤中尉機を含む。)
五島列島上空で待機し、また長崎・大村・佐世保方面に索敵機を出撃させた。
神崎大尉(飛行隊長)が率いる甲戦隊(零戦隊)8機が離脱するB-29を追撃し1機撃墜、1機撃破を報告。
丙戦隊(月光隊)は302空から応援に来た遠藤中尉機のみがB-29と交戦したが、被弾し済州島に不時着。中破3機、小破2機を報じた。

だが、陸軍の戦果に対抗してか、佐世保鎮守府は後に戦果を甲戦隊:1機撃墜、不確実撃墜1機。丙戦隊:撃墜2機、撃墜不確実1機、中破2機へと改訂(水増し)を行った。
この戦闘における損失は無し。
    
大村航空隊
零戦が出撃。
大村上空の警戒任務に出撃。
  
備考 北九州地区に侵入したB-29編隊に対し、陸海軍防空戦闘機隊が出撃。陸軍機87機、海軍機39機が邀撃に上がり、多数の戦果を報告した。
日本側戦果報告によると撃墜23機、不確実撃墜13機、撃破47機に上り、この中には体当たり機を含んでいる。
だが実際の戦果は撃墜2機他に留まり、戦果報告の重複・過多が多く見られた。陸軍機の損失は体当たり機を含め未帰還機2機、大破損失4機。海軍は損失無し。

目標となった八幡製鉄所は施設に相当な被害が出たが、重要部分への命中弾は無く、空襲2日後には操業を再開した。

B-29 1機がソ連領ハバロフスクに不時着。乗組員はテヘラン経由で帰国したが、機体はソ連に押収された。後にコピーされ『ツポレフTu-4』爆撃機として量産化されている。
また墜落したB-29からパラシュート脱出した乗組員が約20名捕虜として捕らえられた。この捕虜の口からB-29の貴重な情報を得ることが出来た。
         
8月21日
成都を出撃したB-29による北九州・八幡製鉄所を狙った空襲。
前日夕刻に行われた爆撃に続き、同日夜間(翌日00:22〜)に空襲が行われた。
      
米軍 成都を出撃したB-29 20機による空襲。
00:22〜01:40の間に北九州地区に侵入し、八幡製鉄所、倉幡地区に対し爆撃をおこなった。だが雲多く、戦果は少なかった。
損害は撃墜2機。
   
日本軍 夜間北九州地区に侵入したB-29編隊に対し、陸軍夜間戦闘機隊が出撃。出撃数は33機を数えたが、戦果報告は無し。
  
陸軍_ 飛行第四戦隊
詳細不明
 
飛行第五二戦隊
戦隊長内徳少佐と飛行隊長粟根大尉が離着陸時の事故で墜落、戦死。
   
飛行第五九戦隊
詳細不明
 
西部高射砲集団
雲が厚く、照空灯が届かず邀撃出来ず。戦果無し。
 
海軍

   
備考 陸軍機は3個戦隊合計で33機が出撃したが、戦果無し。

この日米軍・B-29部隊は(20日〜21日)の昼夜2回の爆撃で合計14機を損失した。(被撃墜・事故を含む) これは太平洋戦争中におけるB-29の全作戦のうち、3番目に大きな被害であり、出撃機数に対する損失率15.9%と最高の損失率を出した。

この空襲の後(21日)、第十一飛行師団より飛行第五六戦隊(三式戦『飛燕』装備)が大阪・伊丹から太刀洗に移動し西部軍の指揮下に入った。その後済州島に進出し、B-29の進撃途中で邀撃をすべく待機する。
8月30日に第十飛行師団から飛行第一戦隊(四式戦『疾風』装備)が雁ノ巣に移動。
9月13日に飛行第七一戦隊(四式戦『疾風』装備・新編部隊)が防府に展開した。
だが、こうした処置の後、第20爆撃兵団は以後2ヶ月の間、九州方面への空襲は行わなかった。
    

1944年(昭和19年)9月

    
        

1944年(昭和19年)10月

     
     
10月25日
成都を出撃したB-29による北九州・大村を狙った空襲。
海軍の大村海軍工廠等に相当の被害が出た。
   
米軍 成都を出撃したB-29 56機による空襲。
09:55〜11:13の間に北九州地区に侵入し、大村海軍工廠、長崎、佐世保、大牟田に爆撃を行った。
損害は不明。
   
日本軍 海軍の邀撃機、延77機が出撃。陸軍機も出撃したが出撃数は不明。
戦果報告では撃墜5機、撃破19機であった。
  
陸軍_

  
海軍

  
備考
   

1944年(昭和19年)11月

     
           
11月11日
成都を出撃したB-29による北九州・大村を狙った空襲。
だが台風が接近していた為雲上より投下しただけで戦闘は無かった。
   
米軍 成都を出撃したB-29 29機による空襲。
09:34〜10:00の間に北九州地区に侵入し、大村海軍工廠を狙ったが、台風により雲上より投下しただけであり、日本軍機による邀撃も無く、戦闘無し。
     
日本軍 台風の接近により戦闘は無し。
   
陸軍_

    
海軍

    
備考
    
11月21日
成都を出撃したB-29による北九州・大村を狙った空襲。
この爆撃により大村海軍工廠は大被害を被った。
   
米軍 成都を出撃したB-29 109機による空襲。
09:45〜10:30の間に北九州地区に侵入し、大村海軍工廠を狙い爆撃。大村、佐賀、大牟田、熊本に被害が出た。
損害は撃墜4機。
  
日本軍 海軍機延59機(陸軍機出撃無し)が邀撃に参加。体当たり機1機を含む戦果報告では撃墜5機、撃破19機であった。
この爆撃により大村海軍工廠では大被害を被った。
   
陸軍_ 出撃無し
  
海軍 第三五二航空隊

   
大村空

   
備考
    
11月24日
マリアナをを出撃したB-29による初の東京空襲。
   
米軍 マリアナを出撃したB-29 80機による第一回東京空襲であり、目標は中島飛行機武蔵野工場。
12:10より本土に侵入を開始したB-29編隊はその後約2時間の間順次爆撃を行った。
損害は撃墜7機(6機?)。内1機は体当たりによるものであった。
  
日本軍 マリアナ諸島からのB-29による東京初空襲であり、防空を担当した陸軍の第十飛行師団では体当たり撃墜も辞さぬ覚悟で出撃した。震天制空隊による空対空特攻である。
戦果報告は撃墜5機、撃破9機であった。
   
陸軍_

   
海軍

  
備考
   
11月27日
マリアナを出撃したB-29による東京空襲。
   
米軍 マリアナを出撃したB-29 62機による東京空襲。
13:00〜14:30に関東方面に侵入した。天候は雲量が多く、雲上爆撃であった為、被害は少なかった。また一部は浜松にも投弾した。
損害無し。
   
日本軍 マリアナ諸島からのB-29による東京空襲。
当日の天候により邀撃ならず、戦果無し。詳細も不明。
      
陸軍_

     
海軍

    
備考
    
11月30日
マリアナをを出撃したB-29による東京空襲であり、東京に対しての初の夜間爆撃。
   
米軍 マリアナを出撃したB-29 40機による東京夜間空襲。
00:00〜05:50に関東方面に侵入した。夜間、そして雲量により交戦無し。
損害無し。
   
日本軍 マリアナ諸島からのB-29による東京夜間空襲。
詳細も不明。
      
陸軍_

    
海軍

    
備考
     

1944年(昭和19年)12月

    
     
12月3日
マリアナを出撃したB-29による東京空襲。
爆撃目標は中島飛行機武蔵野工場。
   
米軍 マリアナを出撃したB-29による東京空襲。
出撃は09:45、出撃数86機。
14:30〜15:10に関東方面に侵入、中島飛行機武蔵野工場に対し爆撃を行った。
目標に対して投弾した機数は60機、約140トンの爆弾を投下し多数の命中弾を出したが、施設に対する被害は少なかった。
損害は第500爆撃航空群司令搭乗機を含む撃墜6機(内3機は体当たり機による)、被弾6機。
   
日本軍 マリアナ諸島からのB-29の編隊を午前中に母島監視哨が捕捉し、第十飛行師団司令部に通報した。『1150、父島北東80km、編隊北上』
12:20頃、八丈島電探基地が目標を補足、通報。
以後第十飛行師団隷下の各部隊と海軍航空隊が出撃する。
まず先発の司偵部隊、武装司偵部隊が高高度哨戒に出撃。
13:25以降、302空が順次出撃を開始。
13:51、陸軍航空隊各隊が全力出撃。
14:30以降、高度5,000〜10,000mを飛行するB-29 10個梯団は相模湾より侵入を開始。武蔵野工場に対し三鷹付近に投弾後。その後銚子沖に抜けていく。コレに対し陸海軍邀撃部隊は攻撃を開始。
戦果報告は陸軍飛行隊合計で撃墜7機、不確実撃墜4機。海軍(302空)が撃墜6機、不確実撃墜3機。高射砲部隊が撃墜2機であったが、明らかに過多であった。
陸軍機の損失総数は6機。海軍は2機。
爆撃目標となった中島飛行機武蔵野工場は命中弾は多かったものの、施設に大きな被害は出なかった。
  
陸軍_ 飛行第十八戦隊残置隊
三式戦が出撃。
機数不明。詳細不明。
三式戦(角田政司中尉機)が1機撃墜
  
飛行第二三戦隊
一式戦、二式単戦が出撃。
邀撃地は東京上空。
機数不明。詳細不明。
  
飛行第二八戦隊
武装司令部偵察機が全邀撃部隊の先発として、石廊崎方面の高高度哨戒に出撃。
機数不明。詳細不明。
  
飛行第四七戦隊
二式単戦が出撃。
邀撃地は富士山周辺。
機数不明。詳細不明。
  
飛行第五三戦隊
二式複戦が出撃。
邀撃地は八王子上空。
機数不明。詳細不明。
沢本正美軍曹が体当たりを行い戦死。
  
飛行第七十戦隊
二式単戦が出撃。
邀撃地は御殿場上空。
機数不明。詳細不明。
  
飛行第二四四戦隊
三式戦が出撃。
邀撃地は熱海上空。本来の担当空域は皇居上空。
四宮徹中尉らの空対空特攻機4機は本隊からやや遅れて出撃し、B-29に対して特攻を開始。
四宮中尉は特攻後、左翼端2mを失いながらも調布飛行場に帰還。
板垣政雄伍長も体当たりに成功後、落下傘降下により生還した。
中野松美伍長は二度の体当たり失敗後に三度目の特攻を最後のB-29梯団に対して開始。だが当らず真下に潜り込む形となった中野機は同航状態から突き上げてプロペラで敵機の水平尾翼を削り落とし、その後上方に出て馬乗り状態からB-29を撃墜した。その後損傷した機体を操り茨城県の水田に不時着して生還した。
  
独立飛行第十七中隊
一〇〇式司令部偵察機が新島方面の高高度哨戒に出撃。
機数不明。詳細不明。
  
審査部戦闘機隊(福生飛行隊)
三式戦、四式戦が出撃。
立川上空で邀撃。
機数不明。詳細不明。
  
下志津教導飛行師団
一〇〇式司令部偵察機が出撃。
房総半島南端〜大島〜石廊崎〜御前崎〜新島を結ぶ哨戒線を担当。
機数不明。詳細不明。
  
第一練成飛行隊
四式戦が出撃。
邀撃地は平塚上空。
機数不明。詳細不明。
  
海軍 第三〇二航空隊
雷電24機、零戦27機、零夜戦8機、月光11機、彗星夜戦3機、彗星3機、銀河1機からなる77機が横須賀・厚木、勝浦、小田原〜下田、石廊崎に待機し邀撃戦を展開した。
戦果は撃墜9機(内不確実3機)に対し、損失2機、大破1機。
  
備考 この邀撃戦では体当たり機の戦果が特に大きく、以後の邀撃戦では陸軍航空隊第十飛行師団隷下の体当たり機部隊を『震天隊』(震天制空隊)と命名((12月5日付)されることとなった。
また西部軍管区の第十二飛行師団でも同様の体当たり部隊が編成され、これは『回天隊』と命名された。
   
12月13日
マリアナを出撃したB-29による名古屋初空襲。
爆撃目標は三菱重工発動機製作所。
   
米軍 マリアナを出撃したB-29による名古屋初空襲。
出撃数90機、内71機が投弾に成功し三菱に大損害を与えることに成功した。(投下爆弾命中率16%、目標の17.8%を破壊したと判定し、これまでの昼間精密爆撃において初めてまともな戦果をあげることができたとされている。
だが損害は日本側が報告した戦果以上に大きく、撃墜4機、被弾31機を数えた。
   
日本軍 マリアナ諸島からのB-29の編隊による名古屋空襲。
当初、小笠原諸島上空を飛行する大型機2機を発見。その後八丈島電探基地がB-29の編隊を補足し通報した。
当初関東地方に侵攻すると思われた敵編隊が伊豆半島南方で変進し、名古屋方面に侵攻してくると気づいた時点で中部軍が第十一飛行師団に出撃を命じた。
最初に独立飛行第十六中隊の一〇〇式司偵が伊豆半島西方に進出を命ぜられ出撃。
だが東部軍からの通報により目標が中部軍管区内(名古屋方面)であると判明したのが遅かったこと。また同方面の邀撃戦力は名古屋方面と近畿方面に二分されており、戦力が少なかったこともあって第十一飛行師団は有効な迎撃が出来なかった。
最終的な戦果報告は陸軍航空隊が撃墜2機、撃破8機。海軍航空隊が撃破8機。高射砲部隊が戦果0であった。
   
陸軍_ 飛行第五戦隊
二式複戦による出撃。
本来の駐屯地である清洲飛行場が雨の為使用できず、11月末から小牧に臨時移駐していた。(小牧には飛行第五五戦隊残置隊が駐留)
14:00、名古屋上空への出撃を命ぜられ出撃。この時敵機は既に名古屋目前であった。
14:10、全力出撃に移行。
機数不明。詳細不明。

この戦いの後、二式複戦の高高度性能不足を補う為、上向き砲と防弾鋼板の除去を決定した。
  
飛行第十九戦隊
フィリピンへ再進出予定だった飛行戦隊であり当時は戦力再建中である。
邀撃部隊としては臨時の予備戦力として出撃した。
機数不明。詳細不明。
   
飛行第五五戦隊残置隊
三式戦による出撃。
当時、戦隊主力はフィリピンに進出中であり、1個中隊程が練成のために小牧に残留していた。
邀撃戦力としては臨時戦力であり、防空戦当の時だけ第十一飛行師団の指揮下に編入されていた。
機数不明(10機以下)。詳細不明。
   
飛行第五六戦隊
三式戦による出撃。
駐屯地が伊丹であり、当初は阪神上空に出撃を命ぜられたが、敵編隊の目標が名古屋と判明した時点で急ぎ東進を命ぜられた。
同部隊(そして中部軍管区内)には体当たり部隊は存在していなかったが、古川治良少佐は乗機三式戦の防弾装甲と翼内砲除去した軽量機をもって高高度戦闘に備えていた。
  
独立飛行第十六中隊
一〇〇式司令部偵察機による伊豆半島西方の高高度哨戒に出撃。
機数不明。詳細不明。
  
海軍 第二一〇航空隊
明治基地配備の航空隊であり、防空専任部隊ではなく、練成任務主体の航空隊であったが、配備機をもって邀撃戦に参加した。(海軍は中京地区に防空専任部隊を配備していない。)
零戦、紫電、月光、彗星を主体に合計25機が出撃。
戦果は撃破2機に止まった。
この邀撃戦で零戦が三号空対空爆弾を使用したが戦果は無し。
損害不明。
  
備考 この邀撃戦で戦果を上げたのは、本来予備戦力しかない飛行第十九戦隊(戦力回復中)と、飛行第五五戦隊残置隊であった。
   
12月18日
マリアナを出撃したB-29による名古屋初空襲。
爆撃目標は三菱重工発動機製作所。
   
米軍 マリアナを出撃したB-29による名古屋初空襲。
出撃数90機、内71機が投弾に成功し三菱に大損害を与えることに成功した。(投下爆弾命中率16%、目標の17.8%を破壊したと判定し、これまでの昼間精密爆撃において初めてまともな戦果をあげることができたとされている。
だが損害は日本側が報告した戦果以上に大きく、撃墜4機、被弾31機を数えた。
   
日本軍 マリアナ諸島からのB-29の編隊による名古屋空襲。
当初、小笠原諸島上空を飛行する大型機2機を発見。その後八丈島電探基地がB-29の編隊を補足し通報した。
当初関東地方に侵攻すると思われた敵編隊が伊豆半島南方で変進し、名古屋方面に侵攻してくると気づいた時点で中部軍が第十一飛行師団に出撃を命じた。
最初に独立飛行第十六中隊の一〇〇式司偵が伊豆半島西方に進出を命ぜられ出撃。
だが東部軍からの通報により目標が中部軍管区内(名古屋方面)であると判明したのが遅かったこと。また同方面の邀撃戦力は名古屋方面と近畿方面に二分されており、戦力が少なかったこともあって第十一飛行師団は有効な迎撃が出来なかった。
最終的な戦果報告は陸軍航空隊が撃墜2機、撃破8機。海軍航空隊が撃破8機。高射砲部隊が戦果0であった。
   
陸軍_ 飛行第五戦隊
二式複戦による出撃。
本来の駐屯地である清洲飛行場が雨の為使用できず、11月末から小牧に臨時移駐していた。(小牧には飛行第五五戦隊残置隊が駐留)
14:00、名古屋上空への出撃を命ぜられ出撃。この時敵機は既に名古屋目前であった。
14:10、全力出撃に移行。
機数不明。詳細不明。

この戦いの後、二式複戦の高高度性能不足を補う為、上向き砲と防弾鋼板の除去を決定した。
  
飛行第十九戦隊
フィリピンへ再進出予定だった飛行戦隊であり当時は戦力再建中である。
邀撃部隊としては臨時の予備戦力として出撃した。
機数不明。詳細不明。
   
飛行第五五戦隊残置隊
三式戦による出撃。
当時、戦隊主力はフィリピンに進出中であり、1個中隊程が練成のために小牧に残留していた。
邀撃戦力としては臨時戦力であり、防空戦当の時だけ第十一飛行師団の指揮下に編入されていた。
機数不明(10機以下)。詳細不明。
   
飛行第五六戦隊
三式戦による出撃。
駐屯地が伊丹であり、当初は阪神上空に出撃を命ぜられたが、敵編隊の目標が名古屋と判明した時点で急ぎ東進を命ぜられた。
同部隊(そして中部軍管区内)には体当たり部隊は存在していなかったが、古川治良少佐は乗機三式戦の防弾装甲と翼内砲除去した軽量機をもって高高度戦闘に備えていた。
  
独立飛行第十六中隊
一〇〇式司令部偵察機による伊豆半島西方の高高度哨戒に出撃。
機数不明。詳細不明。
  
海軍 第二一〇航空隊
明治基地配備の航空隊であり、防空専任部隊ではなく、練成任務主体の航空隊であったが、配備機をもって邀撃戦に参加した。(海軍は中京地区に防空専任部隊を配備していない。)
零戦、紫電、月光、彗星を主体に合計25機が出撃。
戦果は撃破2機に止まった。
この邀撃戦で零戦が三号空対空爆弾を使用したが戦果は無し。
損害不明。
  
備考 この邀撃戦で戦果を上げたのは、本来予備戦力しかない飛行第十九戦隊(戦力回復中)と、飛行第五五戦隊残置隊であった。
    
12月19日
成都を出撃したB-29による北九州・大村海軍航空廠を狙った空襲。
この爆撃により大村海軍工廠は大被害を被った。
(資料不足のため、未確定情報多数)
   
米軍 成都を出撃したB-29、40機による爆撃(日本側判断)
    
日本軍 成都を出撃したB-29による北九州・大村方面の爆撃
撃墜戦果17機、撃破20機(共に日本側判断)。被撃墜機数不明。
   
陸軍_

    
海軍

    
備考
     
12月22日
マリアナを出撃したB-29による名古屋空襲。
爆撃目標は三菱重工発動機製作所。
   
米軍 マリアナを出撃したB-29による名古屋空襲。来襲時刻は13:00〜15:00頃。
出撃数78機、内48機が投弾に成功し三菱に大損害を与えることに成功した。
米第21爆撃兵団として初めての焼夷弾だけを使用した作戦であった。過去1ヶ月、レーダー又は目視による目標施設に対する精密爆撃を方針にしてきたが、第20爆撃兵団が漢口に対して行った焼夷弾攻撃の戦果に味を占めたワシントンがハンセンに対し全面的な焼夷弾爆撃を要求してきた。これに強く反発したハンセルではあったが、最後には承認する。但し、市街地に対する焼夷弾爆撃は拒否し、今回の爆撃では焼夷弾なみによる精密爆撃を行った。
爆撃結果は当日の雲量10の為レーダー爆撃を行い、効果は少なかった。

   
日本軍 マリアナ諸島からのB-29の編隊による名古屋空襲。
   
陸軍_ 飛行第五戦隊
二式複戦による出撃。
出撃数不明(少数機のみ)
  
飛行第五五戦隊残置隊
三式戦による出撃。
機数不明(10機以下)。詳細不明。
   
海軍

    
備考
    
12月27日
マリアナを出撃したB-29による東京空襲。(日中)
爆撃目標は東京・中島飛行機武蔵野工場

また上記とは別に夜間土浦、川越、八王子、下館、沼津方面に少数機が侵入。但し、空襲による被害なし。
      
米軍 マリアナを出撃したB-29による東京・中島飛行機武蔵野工場。来襲時刻は12:30〜14:00頃。
出撃数72機
(日本側判断?)
  
日本軍 マリアナを出撃したB-29による東京・中島飛行機武蔵野工場。来襲時刻は12:30〜14:00頃。
出撃数72機(日本側判断?)
体当たり機を含む撃墜14機(内、不確実撃墜5機を含む)、撃破32機。(共に日本側判断による)
但し体当たり機2機を含む4機が失われた。
目標に対する損害は少なかった。
  
陸軍_

   
海軍

    
備考