陸軍飛行戦隊一覧   
飛行第七十戦隊〜飛行第七九戦隊


飛行第七十戦隊
  飛行分科 戦闘
編成時期 昭和16年3月5日
編成地 杏樹
使用機種 九七戦 二式単戦 二式複戦 四式戦
終戦時の所在地 松戸
解説

飛行第七一戦隊
  飛行分科 戦闘
編成時期 昭和19年9月17日
編成地 亀山
使用機種 一式戦 四式戦
終戦時の所在地 防府
解説

飛行第七二戦隊
  飛行分科 戦闘
編成時期 昭和19年5月16日
編成地 北伊勢
使用機種 一式戦 四式戦
終戦時の所在地 ルソン島
解説

飛行第七三戦隊
  飛行分科 戦闘
編成時期 昭和19年9月17日
編成地 柏原
使用機種 一式戦 四式戦
終戦時の所在地 オロラ
解説

飛行第七四戦隊
  飛行分科 重爆
編成時期 昭和17年12月20日
編成地 公主領
使用機種 九七重 一〇〇重 四式重
終戦時の所在地 西筑波
解説 昭和19年11月、北海道東部・計根別に展開していた74戦隊はフィリピン・ルソン島中部のデルカメルンに進出し、レイテ航空戦に参加する。
12月6日、高千穂空挺部隊を搭載し、レイテ島ブラウエン飛行場攻撃の為に輸送・援護を行う。その際に一〇〇式重爆2機に空挺隊員を乗せドウラグ飛行場に強行着陸を行った。またオルモック湾の米艦船攻撃等を行う。
昭和20年1月〜2月には、フィリピンから脱出する在ルソン島戦闘隊・整備員を台湾(嘉義)に脱出させる輸送作戦に従事した。

飛行第七五戦隊
  飛行分科 軽爆
編成時期 昭和13年8月1日
編成地 北京
使用機種 九八軽 九九双軽 キ一〇二
終戦時の所在地 八戸
解説

飛行第七六戦隊
    欠番
 
 
 
 
 

飛行第七七戦隊
  飛行分科 戦闘
編成時期 昭和13年7月30日
編成地 南京
使用機種 九五戦 九七戦 一式戦
終戦時の所在地 ホーランジア
解説 1938年(昭和13年)7月、飛行第四連隊から抽出されて満州・奉天に派遣され、北支を転戦していた飛行第八大隊を母体として改編された戦闘機戦隊。
九五式戦2個中隊で編制され、第一飛行団の下、武漢地区攻略作戦に参加した後、同地防空任務に従事した。以後ノモンハン事件勃発後も武昌飛行場に留まり、事件終結後の1939年(昭和14年)10月末に満州の竜鎮飛行場に移動した。この後九七式戦への機種改編と、併せて第3中隊の編制を行った。
太平洋戦争開戦を控え、南方攻略部隊に加わった戦隊は仏印のフコク島ズオンド飛行場に終結して開戦を迎えた。開戦後3日目にタイのドムアン飛行場に進出。12月12日以降のビルマ攻略戦に参加する。初期のビルマ航空戦ではビルマ占領までに米英戦闘機隊相手に奮戦し、撃墜破110機を報じ部隊感状を授与されている。
1942年(昭和17年)7月、現駐地である満州の竜鎮飛行場に戻る。10月に東京城に移動。翌1943年(昭和18年)10月まで満州内を移動しつつ、その間に一式戦U型へ機種改編を行う。
1943年(昭和18年)10月、第三航空軍の隷下に編入され南方への進出が決定した。九州・雁ノ巣飛行場を経て11月にはスマトラ島ゲルンバン飛行場に移動し、パレンバン油田地帯の防空任務に従事する。
1944年(昭和19年)1月下旬、ニューギニア戦線への派遣が決定。同地は既存の戦闘機隊が次々と壊滅状態となっており、その補充として派遣が決定した。
飛行第三三戦隊と共に2月下旬にホランジアに進出。以後末期のニューギニア航空戦を戦い抜き、ブーツ、ウエワクといった前線基地での防空任務に従事する。だが圧倒的多数の米軍機を相手に僅か1ヶ月で戦力は消耗し、ニューギニア配備の全戦隊に対しフィリピン後退命令が下された。だがホランジア地区は連日の空襲により後退することも出来ず、4月12日の空戦で戦隊長機を含む戦隊の可動全機が失われた。
4月22日、米軍のホランジア上陸により地上員を含めた生存者全員が山中に脱出。徒歩でサルミ目指して後退を開始したが途中餓死、病気により次々と戦死していく。
サルミに辿り着いた者ももその後の舟艇による脱出の際に米魚雷艇の攻撃を受け大部分が戦死した。
部隊は壊滅となり、再建されること無く1944年(昭和19年)7月25日付けで解隊となった。

飛行第七八戦隊
  飛行分科 戦闘
編成時期 昭和17年3月31日
編成地 杏樹
使用機種 九七戦 三式戦
終戦時の所在地 サルミ
解説

飛行第七九戦隊
    欠番