帝國陸軍師団(6)

  第五十師団
   通称号   
編成 昭和19年5月3日
編成地 台湾
補充担当 台北
解説 昭和19年5月に台湾を補充担当地とする第四八師団の留守部隊を基幹として編成された師団である。編成後、ただちに台湾軍に編入され、台湾南部西海岸及び高雄南方への米軍上陸に対する備えとして防衛陣地構築を行っていた。だが米軍が飛び石作戦で台湾に上陸することなく沖縄に侵攻した為戦闘に参加することなく終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第三〇一連隊(台北)
歩兵第三〇二連隊(台南)
歩兵第三〇三連隊(鳳山)
山砲兵第五十連隊(台北)

  第五一師団
   通称号   
編成 昭和15年7月10日
編成地 宇都宮
補充担当 宇都宮
解説 満州防衛の為に常時2個師団が交代で駐屯していたが、これでは兵力が不足であるし、尚且つ交代師団が本土からの移送では時間がかかりすぎるとの判断から昭和15年の軍備改編が行われた。この再編成で満州への永久駐屯が決定した13個師団のうちの一つ、第十四師団の留守部隊を母体として編成されたのが第五一師団である。
編成当初は北関東を中心に各地に駐屯していたが、昭和16年7月の関特演の際に満州に派遣された。その後は広東省移動し、駐屯している。
太平洋戦争開戦後の昭和17年末、ニューギニア戦線への派遣が決定する。ラバウル進出後、ニューギニア戦線は戦況が逼迫する。戦線維持の為大至急第五一師団の緊急輸送が決定する。これが第八十一号作戦と呼ばれる輸送作戦である。この作戦は『ダンピールの悲劇』と呼ばれる輸送作戦失敗により輸送船が壊滅。装備の殆どを失った師団は満足な装備も無いまま東部ニューギニアのラエ・サラモア地区に布陣した。この時点で兵力は実質1個連隊程度でしかなかったという。
昭和18年6月、米号軍はナッソウ湾に上陸。さらに9月にはラエに上陸し、師団は迎撃もならずサラワケット山系への後退を余儀なくされる。以後サラワケット山系を越えてキリアへの撤収を行うが、ここでも将兵の多くが落命する。キリア到着後、米豪軍のグンビ岬上陸により退路を絶たれてしまう。その為更にフェニステール山系を踏破してのマダン撤退、以後ハンサ・ウエワクと撤退を続け多くの将兵が失われた。
米豪軍のホーランジア・アイタペへの上陸が行われると第十八軍指揮下の第二十師団第四一師団と共に総攻撃を行った。だがこの作戦は失敗、以後は山地に立て籠もって持久戦態勢へと移行し、そのまま終戦を迎えた。

また後方に残った一部部隊の内、歩兵第六六連隊第一大隊がパラオ諸島に配備、そしてヤップ島守備隊として配備されている。ヤップ島では地上戦は発生しなかったが空襲や補給難で被害は大きかったという。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第六六連隊(宇都宮)
歩兵第一〇二連隊(水戸)
歩兵第一一五連隊(高崎)

  第五二師団
   通称号   
編成 昭和15年7月10日
編成地 金沢
補充担当 金沢
解説 昭和15年7月に金沢・第九師団の満州常駐が決定した為、北陸地方防衛用の常設師団として新たに編成された師団である。
昭和18年になってから、師団は離島戦闘を目的とした海洋師団への改編が決定した。だが同時に指揮下の歩兵第一〇七連隊を基幹とした甲支隊を編成し、マーシャル諸島への派遣が決定した。その後師団主力は海洋師団への改編が完了してから昭和18年11月にトラック諸島に進出した。この際に甲支隊も原隊に復帰している。
進出後まもなくギルバート諸島マキン・タラワ両島に米軍が上陸すると再び甲支隊を編成し、マーシャル諸島グェゼリンに派遣した。当初はマキン・タラワへり増援部隊として送られる予定であったが、両島の守備隊が玉砕したことにより派遣は中止。ミレ・クサイ・ポナペの各島に分散派遣された。
一方師団主力は甲支隊より遅れてトラック島に輸送されてきたが、歩兵第六九連隊、歩兵第一五〇連隊、共に途中の海上輸送中に米潜水艦により一部兵力を失っており、他に火砲を中心に装備の殆どを失っていた。
トラック諸島進出後は各島に分算配備され、師団再建をはかる。
その後中部太平洋地区を担当する第三一軍の指揮下に編入されたが、トラック諸島には師団もなく、師団長 麦倉俊三郎中将がトラック地区集団長として他の南海第三支隊・南海第四支隊を指揮下に編入した。
トラック諸島は米軍の上陸を受けることなく、だが戦線の移動により後方に取り残される形となった。その為師団は自給自足態勢に移行し、そのまま終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第六九連隊(富山)
歩兵第一〇七連隊(金沢)
歩兵第一五〇連隊(松本)

  第五三師団
   通称号   
編成 昭和16年9月16日
編成地 京都
補充担当 京都
解説 昭和15年7月、京都・第十六師団が満州常駐が決定した為、新たに京都の常設師団として編成された師団である。だが第十六師団は情勢の変化から南方戦線に投入される可能性が高くなった。結果、開戦時の南方戦線への投入が決定した第十六師団は本土に長く待機していた為、第五三師団の編成は遅くなり、予定より1年後に編成された。
太平洋戦争開戦後も長く本土に待機していたが、昭和18年11月にビルマ戦線参加の為に派遣された。当初予備兵力としてアンダマン諸島・ニコバル諸島防衛の為に南方軍が兵力増強を大本営に申し込んだのだが、インパール作戦が決定したことによりビルマ方面軍の要望によりビルマに派遣されることとなる。
当初はビルマ南西部の沿岸沿いに防衛戦を張る予定であったが、ビルマ北部の英軍ウィンゲート空挺旅団に対応する為に北部に投入された。
昭和19年6月、師団はマンダレーに進出する。モールメン付近でウィンゲート空挺旅団と交戦し、その後北上してミートキーナに進出、同地の第十八師団救援にあたる。その後マンダレー方面撤退の為南下、そしてイラワジ河へと撤退する。
昭和20年1月、イラワジ会戦にてメークラーテ方面での戦闘に参加。その後さらに南下してビルマ南西部より撤退してくる第二八軍を援護。シッタン河付近で英軍と交戦中に終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第一一九連隊(敦賀)
歩兵第一二八連隊(京都)
歩兵第一五一連隊(津)

  第五四師団
   通称号   
編成 昭和15年7月10日
編成地 姫路
補充担当 姫路
解説 姫路の第十師団の留守部隊を基幹に編成された師団である。
太平洋戦争後も本国に会った訓練等にあたっていたが、昭和18年2月、ジャワ方面に派遣された。先発した歩兵第一一一連隊は4月にジャワ島に進出したが、師団の残りは輸送船舶の都合により到着が遅れる。その間に歩兵第一五四連隊がマレー半島に転用される。
その後師団はビルマ戦線に投入が決定。ジャワ・マレー・本土とバラバラになっていた師団各部隊はそれぞれ別々にビルマに移動する。
当初はビルマ方面軍直轄予備部隊としてビルマ南西に展開したが、第二八軍が新設されると指揮下に移った。
昭和19年2月、インパール侵攻の為の予備作戦として第2次アキャブ作戦(ハ号作戦)に参加する。山岳地帯を進攻し、シンゼイワ盆地で印度軍と交戦、印度第七師団を包囲する。だが、印度軍は戦車をもって円陣(円筒陣地またはアドミン・ボックス)を組み、補給を空中投下によって頑強に抵抗した。師団はこの円筒陣地を攻略できず、やむ得ず包囲を解いて後退する。
その後インパール作戦の失敗により第二八軍は撤退、英軍の追撃を受ける。
昭和20年4月にはイラワジ河まで後退。渡河後山中に退避し、さらにシッタン河まで後退する。第三三軍の支援を受けつつシッタン河を渡河したとき、終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第一一一連隊(姫路)
歩兵第一二一連隊(鳥取)
歩兵第一五四連隊(岡山)
野砲兵第五四連隊(姫路)

  第五五師団
   通称号    楯→壮
編成 昭和15年7月10日
編成地 善通寺
補充担当 善通寺
解説 善通寺・第十一師団の留守部隊を基幹として編成された師団である。
太平洋戦争開戦直前の昭和16年11月、歩兵第一四四連隊と山砲兵第五五連隊第一大隊を基幹として南海支隊を編成する。
南海支隊は開戦直後にグァム島を占領する。さらにラバウル攻略戦に参加し、中部太平洋方面の先人部隊として活躍する。
その後ポートモレスビー攻略戦参加する為に増援を受け、第五師団から歩兵第四一連隊、そして独立工兵第十五連隊が加わった。
昭和17年8月、ニューギニア北西のバザブアに上陸。オーエンスタンレー山脈を踏破し、ポートモレスビーを目指す。ポートモレスビーの手前60km地点のイオリバイアまで進出したが、既に補給態勢は崩壊しており、米豪軍反撃を受け壊滅的打撃を受けてしまう。再びオーエンスタンレー山脈を越えてブナに戻ったときには戦力は半減していた。
昭和18年11月、南海支隊は原隊に復帰した。

一方師団主力は開戦時にビルマ方面に派遣、第十五軍の指揮下でビルマ攻略戦に参加し、歩兵第一四三連隊をもって宇野支隊を編成して先遣部隊とした。以後モールメン攻略戦・ペグー攻略戦・トングー攻略戦・ピンナマ攻略戦・マンダレー掃討戦・ミートキーナ攻略戦と連戦し、以後北部ビルマの防衛にあたる。
その後昭和17年12月より英軍の反撃に対応する為にアキャブ方面に移動、第1次アキャブ作戦に参加し英軍の反撃を撃破した。
南海支隊が戦力を半減させて原隊に復帰した後、第二八軍が新設され、編入される。
昭和19年1月、再び反撃を開始した英軍と交戦する。師団は第2次アキャブ作戦に参加した後イラワジ河に撤退した。その後第三八軍の指揮下に編入され、仏印に移動。プノンペン付近に集結・待機中に終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第一一二連隊(丸亀)
歩兵第一四三連隊(徳島)
歩兵第一四四連隊(高知)
山砲兵第五五連隊(善通寺)
独立工兵第十五連隊(大阪 昭和17年7月南海支隊に編入)

  第五六師団
   通称号   
編成 昭和15年7月10日
編成地 久留米
補充担当 久留米
解説 久留米・第十二師団の留守部隊を基幹として編成された師団である。
太平洋戦争開戦直前に坂口支隊(歩兵第一四六連隊及び野砲兵第五六連隊第一大隊を基幹)を編成された。
坂口支隊は第十六軍に編入され、蘭印攻略部隊として作戦に参加した。ボルネオ島タラカンに上陸、バリクパパンからパンジェルマシンとボルネオ島東部を南下して油田地帯を確保した。
続いて第四八師団と共にジャワ島攻略戦に参加、チラチャップを攻略した。
一方師団主力は開戦時に第二五軍に編入されマレー・シンガポール攻略作戦に参加する。たが、マレー作戦は当初の計画を上回るスピードで攻作戦が進行したこともあり、第五六師団に出番は回ってこなかった。
昭和17年3月からは第十五軍に移り、ビルマ攻略作戦に参加する。ラングーンからトングー・タウンギーと攻略を続け、ラシオを攻略する。その後坂口支隊が原隊に復帰、ビルマ作戦終了後はビルマ北東部の雲南省との国境線に移動して同地の防衛任務に着く。
昭和19年5月、米軍装備と訓練を施された中国軍雲南遠征軍がサルウィン河を渡河して攻勢を開始する。第五六師団はこれを正面から迎撃した。龍陵(歩兵第一四六連隊)を防衛しつつ拉孟守備隊に救援隊を派遣する。だが、中国軍の防衛陣地を突破できず、作戦は中止される。その後中国軍は物資を次々と前線に送ってくるが、日本軍はこれに対応できず、孤立した拉孟守備隊(歩兵第一一三連隊)・騰越守備隊(歩兵第一四八連隊)は善戦虚しく全滅する。
10月末の中国軍総攻撃に対し、防衛陣地の放棄を決定。師団はタイ領へ退却中に終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第一一三連隊(福岡)
歩兵第一四六連隊(大村)
歩兵第一四八連隊(久留米)
歩兵野砲兵第五六連隊(久留米)

  第五七師団
   通称号   
編成 昭和15年7月10日
編成地 弘前
補充担当 弘前
解説 弘前・第八師団の留守部隊を基幹として編成された師団である。
昭和16年7月、満州での関特演が発動されると、戦時編成となって満州に派遣され、第三軍の指揮下に編入、北満に駐屯する。
太平洋戦争開戦後も北満にあって防衛任務と訓練を続ける。昭和19年から満州駐屯の各師団が順次南方戦線に転用する為に引き抜かれていったが、第五七師団はしばらく満州防衛任務につき続ける。
昭和20年3月、本土防衛を固める必要から北満からの抽出が決定、本土に引き上げ、北九州防衛任務に就く。米軍の博多湾上陸を想定し防御陣地の構築を進めるが、そのまま終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第五二連隊(弘前)
歩兵第一一七連隊(秋田)
歩兵第一三二連隊(秋田)

  第五八師団
   通称号   
編成 昭和17年2月2日
編成地 華北
補充担当 熊本
解説 太平洋戦争開戦直後に中国各地にあった独立混成旅団を改編して編成された6個治安師団のうちの一つである。
第五八師団は独立混成第十八旅団を基幹としており、漢口で編成された。編成時に復員する第一〇六師団(熊本)の装備を譲り受けた為、第五八師団の補充業務は熊本師管によって行われた。
編成後は独立混成第十八旅団任務を引き継いだ為、応城を司令部として同地付近の警備・治安維持任務に従事する。
昭和19年5月、湘桂作戦、桂林攻略戦に参加。
昭和20年4月、華中方面の防衛強化の為に広西方面の各部隊は撤退を開始する。第五八師団は撤退する部隊の殿を務め、中国軍の追撃を払いのけつつ後退し、その間に終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第五一旅団
  独立歩兵第九二大隊 〜 独立歩兵第九六大隊
歩兵第五二旅団
  独立歩兵第一〇六大隊 〜 独立歩兵第一〇八大隊

  第五九師団
   通称号   
編成 昭和17年2月2日
編成地 華北
補充担当
解説 太平洋戦争開戦直後に中国各地にあった独立混成旅団を改編して編成された6個治安師団のうちの一つである。
第五九師団は独立混成第十旅団を基幹としており、山西省済南で編成された。編成後は同地の警備任務に従事している。
太平洋戦争全期間を通じてほぼ中国大陸にあって治安維持任務に就くが、戦争末期の昭和20年1月、米軍の進攻に備えて防衛態勢の強化を図る。だが5月になると関東軍への編入が決定し、朝鮮半島北部の咸興に移動する。同地の防衛強化の為に陣地構築を開始するが、8月にソ連軍による満州進攻が始まった。だが同地にソ連軍が到達する前に終戦となり、交戦はしなかった。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第五三旅団(東京)
  独立歩兵第四一大隊 〜 独立歩兵第四五大隊
歩兵第五四旅団(甲府)
  独立歩兵第一〇九大隊 〜 独立歩兵第一一一大隊