|
|
歩兵第三〇六連隊 |
|
|
通称号 |
|
要二二九五二 |
|
編成 |
|
1945年(昭和20年)5月2日 |
|
編成地 |
旭川 |
最終時の上級部隊と配置 |
|
|
第八八師団 |
樺太 |
解説 |
北方地区防衛を目的として誕生した連隊である。
第八八師団隷下の樺太混成旅団(歩兵第二五連隊・歩兵第一二五連隊)などと共に樺太南部地区の防衛と整備を担当した。
(戦闘することなく終戦を迎えた?)
|
|
歩兵第三〇七連隊 |
|
|
通称号 |
|
八甲二七三七四 |
|
編成 |
|
1945年(昭和20年) |
|
編成地 |
弘前 |
最終時の上級部隊と配置 |
|
|
第二二二師団 |
黒沢尻 |
解説 |
第三次兵備計画の臨時動員された本土決戦用根こそぎ師団隷下の歩兵連隊として編成。質・量共に見劣りし、編成の都合上問題を多く抱えていた為、動員後に徐々に装備を充実し、教育していく予定であった。
岩手方面の防衛準備に従事。
|
|
歩兵第三〇八連隊 |
|
|
通称号 |
|
八甲二七三七五 |
|
編成 |
|
1945年(昭和20年) |
|
編成地 |
秋田 |
最終時の上級部隊と配置 |
|
|
第二二二師団 |
一ノ関 |
解説 |
第三次兵備計画の臨時動員された本土決戦用根こそぎ師団隷下の歩兵連隊として編成。質・量共に見劣りし、編成の都合上問題を多く抱えていた為、動員後に徐々に装備を充実し、教育していく予定であった。
岩手方面の防衛準備に従事。
|
|
歩兵第三〇九連隊 |
|
|
通称号 |
|
八甲二七三七六 |
|
編成 |
|
1945年(昭和20年) |
|
編成地 |
山形 |
最終時の上級部隊と配置 |
|
|
第二二二師団 |
沼宮内 |
解説 |
第三次兵備計画の臨時動員された本土決戦用根こそぎ師団隷下の歩兵連隊として編成。質・量共に見劣りし、編成の都合上問題を多く抱えていた為、動員後に徐々に装備を充実し、教育していく予定であった。
岩手方面の防衛準備に従事。
|
|
歩兵第三一〇連隊 |
|
|
通称号 |
|
岩木二七四一二 |
|
編成 |
|
1945年(昭和20年) |
|
編成地 |
弘前 |
最終時の上級部隊と配置 |
|
|
第三〇八師団 |
野辺地南方 |
解説 |
第三次兵備計画の臨時動員された師団の内、沿岸配備された師団隷下の歩兵連隊として編成。質・量共に見劣りし、充足率も低かった。
青森県野辺地に配備され、連合軍の上陸に備えて沿岸防衛準備を実施した。
|
|
歩兵第三一一連隊 |
|
|
通称号 |
|
岩木二七四一三 |
|
編成 |
|
1945年(昭和20年) |
|
編成地 |
弘前 |
最終時の上級部隊と配置 |
|
|
第三〇八師団 |
野辺地南方 |
解説 |
第三次兵備計画の臨時動員された師団の内、沿岸配備された師団隷下の歩兵連隊として編成。質・量共に見劣りし、充足率も低かった。
青森県野辺地に配備され、連合軍の上陸に備えて沿岸防衛準備を実施した。
|
|
歩兵第三一二連隊 |
|
|
通称号 |
|
岩木二七四一四 |
|
編成 |
|
1945年(昭和20年) |
|
編成地 |
秋田 |
最終時の上級部隊と配置 |
|
|
第三〇八師団 |
野辺地 |
解説 |
第三次兵備計画の臨時動員された師団の内、沿岸配備された師団隷下の歩兵連隊として編成。質・量共に見劣りし、充足率も低かった。
青森県野辺地に配備され、連合軍の上陸に備えて沿岸防衛準備を実施した。
|
|