帝国陸軍 歩兵連隊(2)

歩兵第三十連隊 〜 歩兵第五九連隊

  歩兵第三十連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第三一連隊
通称号 杉四七一一
編成 1898年(明治31年)3月24日 (軍旗拝受日)
編成地 弘前
最終時の上級部隊と配置
第八師団 ルソン島南部
解説 日清戦争後の軍備拡張期に増設された6個師団に合わせて編成された連隊であり、編成完結まで3年掛かり、1897年(明治30年)に第八師団隷下に編入された。
日露戦争勃発に伴い第八師団も動員され出動するが、当初第八師団は戦略予備として扱われる。師団が遼陽に進出したとき、沙河での戦闘を展開していた時期であり、第八師団は黒溝台の会戦に参加。その後奉天会戦へと進んで第二軍の主力として戦闘に従事する。
日露戦争後、第八師団は一時京城や龍山の警備に参加する。
1918年(大正7年)のシベリア出兵に参加。1920年(大正9年)に他国の軍隊が撤退する中、第八師団尼港事件解決までサハリンを補償占領するとの名目で1922年(大正11年)まで延期駐留した。
1931年(昭和6年)、満州事変勃発。第八師団にも出動命令が下され、翌年には山海関攻略する。さらに熱河省に進出し、承徳城を占領した。
1937年(昭和12年)、盧溝橋事件の際には満州東部のソ満国境線で警備任務に従事しており、そのまま太平洋戦争開戦を迎えた。
1944年(昭和19年)7月、第八師団の比島転出を受け、連隊は朝鮮半島の釜山から船団に乗船して出港した。しかし輸送船(永治丸)がバシー海峡で触雷戦没し、目的地到着前に900名近い将兵を失った。第八師団司令部は九州から飛行機で先行し、連隊も軍旗を基隆から空路でマニラに輸送する有様となった。
第三一連隊では当初の作戦を変更し、マニラ上陸を諦め、ルソン島ボヘカドル岬に上陸。その後バタンガスへの陸路を難行軍するのである。
振武集団の中核部隊である第八師団は比島北部のバギール地区を防衛拠点とし、連隊はナスグス湾に上陸してきた米比混成軍1個師団を相手に迎え撃つ。だが火力、兵員に勝る米軍に対し、補給線を断たれた日本軍に勝ち目は無く、散り散りになって後退。マヤビス山中で終戦を迎えた。
終戦後の9月16日、生き残った連隊長以下9名によって軍旗が奉焼された。連隊で生きて戻った者は僅か481名であり、2516名が戦死したのである。


  歩兵第三二連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第三三連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第三四連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第三五連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第三六連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第三七連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第三八連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第三九連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四十連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一連隊
通称号 豹一二〇二三
編成 1898年(明治31年)3月24日 (軍旗拝受日)
編成地 福山
最終時の上級部隊と配置
第三十師団 レイテ島
解説 1896年(明治29年)に連隊司令部と第一大隊をもって編制され、第十五師団に配属された。2年後の1898年(明治31年)に3個大隊まで編制が完了する。
日露戦争に従事し、得利寺、遼陽、沙河、黒溝台、奉天といった会戦に参加し、有名を馳せる。
その後第十七師団の隷下に移るが、大正軍縮により師団が廃止される。(後に復活) これにより所属が第五師団に移り、日中戦争と太平洋戦争緒戦を闘うこととなる。
日中戦争では1937年(昭和12年)の蒙疆作戦の後、国東支隊に編入されて徐州会戦に参加し沂州


マレー作戦後、第一・第三大隊は南海支隊に増援として派遣。連隊司令部と第一大隊・他で東支隊を編成。(ニューギニア決戦記P39)
東支隊は第十七軍に編入されてサモア攻略戦に投入予定(作戦中止)
第五師団が3個連隊編成に改編する際に師団から転出。
後、第三十師団に編入

  歩兵第四二連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四三連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四四連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四五連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四六連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四七連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四八連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四九連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第五十連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第五一連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第五二連隊
通称号 奥七二〇二
編成 1905年(明治38年)4月15日 (軍旗拝受日)
1937年(昭和12年)8月30日 (軍旗拝受日)
1940年(昭和15年)9月27日 (軍旗拝受日)
編成地 弘前
最終時の上級部隊と配置
第五七師団 福岡県篠栗
解説 創設当初は第八師団に編合されていたが1925年(大正14年)の軍縮で廃止された。
日中戦争勃発により、新設された第一〇八師団の各連隊と共に復活、編合され、華北方面に出動する。山西省南部地区で治安維持作戦に従事するが、1940年(昭和15年)6月に一旦軍旗を奉還する。
だが9月27日に再拝受し、第五七師団に編合された。関東軍特別演習で関東軍に増強部隊として配属。北満州国境防衛線(黒龍江岸)で警備と対ソ戦の訓練に従事する。
1945年(昭和20年)4月、米軍による本土上陸作戦に備える為、九州方面に転用が決定。福岡地区の防衛の為、沿岸防御の中心部隊として米軍の上陸阻止作戦準備中に終戦を迎えた。


  歩兵第五三連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第五四連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第五五連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第五六連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第五七連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第五八連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第五九連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説