解説 |
1896年(明治29年)に連隊司令部と第一大隊をもって編制され、第十五師団に配属された。2年後の1898年(明治31年)に3個大隊まで編制が完了する。
日露戦争に従事し、得利寺、遼陽、沙河、黒溝台、奉天といった会戦に参加し、有名を馳せる。
その後第十七師団の隷下に移るが、大正軍縮により師団が廃止される。(後に復活) これにより所属が第五師団に移り、日中戦争と太平洋戦争緒戦を闘うこととなる。
日中戦争では1937年(昭和12年)の蒙疆作戦の後、国東支隊に編入されて徐州会戦に参加し沂州
マレー作戦後、第一・第三大隊は南海支隊に増援として派遣。連隊司令部と第一大隊・他で東支隊を編成。(ニューギニア決戦記P39)
東支隊は第十七軍に編入されてサモア攻略戦に投入予定(作戦中止)
第五師団が3個連隊編成に改編する際に師団から転出。
後、第三十師団に編入 |