帝國海軍航空隊 |
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海軍航空隊・・・太平洋戦争における日本の実質的中心部隊である。 空母を初めとする各種艦艇も、そして陸軍部隊も存在するが、太平洋戦争を紐解く上で、どうしても中心になってしまうのが海軍航空隊である。 海軍航空隊を見るうえで、戦争前半は航空隊単位で動きを見る必要があるが、後半は各飛行隊単位で見る必要がある。 前半は航空隊には地名を冠称した航空隊と、臨時編成部隊であるナンバー航空隊とがあり、比較的把握しやすくなっている。 次に昭和17年11月に行われた航空隊改編により地名冠称航空隊も、ナンバー航空隊も合わせて3桁のナンバー航空隊へと改称された。ただ、全ての航空隊が改称されたわけではなく、教育任務の練成部隊はそのまま地名を航空隊名に用いている。 後半、大きな変化があったのが昭和19年3月1日から順次導入された特設飛行隊制度の導入である。 この制度により飛行隊単位への個別ナンバー付けにより航空隊と飛行隊のナンバーが違って一見把握しづらくなる。このナンバーは順次付けられた為、既設飛行隊への制度が適用時期はバラバラであり、また一部の鎮守府防衛の為の航空隊(例:302空)では導入されなかった。これは昭和19年7月に行われた空地分離制度にも関係するが、指揮下の飛行隊の移動・他の戦線への配置変換が無いと判断された部隊だからである。そしてこの空地分離制度により混乱を極めたとも言える。 これは飛行隊と整備部隊、地上支援組織をまとめていっぺんに移動させることが非常に困難になってきた為に採用された制度である。これによって地上の支援部隊はそのままに、飛行隊と一部専属整備員だけを引き連れて前線への移動を可能にする為のものであったが、結果として飛行隊は独立した戦闘部隊として認識されるようになった。この制度が更に混乱を招いた事態として、たとえば戦闘機航空隊に攻撃飛行隊が編入されたり、偵察航空隊のナンバーにも関わらず、指揮下の飛行隊は攻撃飛行隊のみであったりといった事態を招いた。 この為、戦記モノを読む上では前半は航空隊単位で、後半は飛行隊単位で各部隊の動きを把握する必要が出てくる。 また部隊名の改称や、部隊の新設・解隊・統廃合を繰り返した結果、部隊名は大量に出てくる割に、その全てを把握するのが困難というのが現状である。なにより開戦時に存在した航空隊がどれで、終戦時に存在した航空隊はどれか・・・を把握している人は非常に少数だろう。 なにより私は知らない(笑) そんな想いから下記に航空隊リストを作ってみた。練習部隊を除いた実戦部隊に集中しているが、一応視覚的に分かればと思っている。 尚、飛行隊に関しては現在リスト化している最中であり、当分UPは不可能である。なにより手元の資料が非常に趣味に走っており、偏っている為ではあるが。 正直、リスト化前には偵察飛行隊と夜戦飛行隊にしか興味がなかったせいでもあるが・・・・ |
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海軍航空隊 略年表 (クリック) |
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見てもらえば分かるかとは思うが、意外に多くの航空隊が戦時中に解隊している。 その多くはマリアナ海戦で惨敗した後に統廃合をした結果ではあるが。他にはソロモン戦後に消耗した航空隊を吸収したとか、沖縄航空戦目前に練習航空隊を実戦部隊にしていたり・・・とこれは航空隊としては分かりづらいか。 戦記モノ・資料本の多くが後半は飛行隊単位でしか表記していない為、より航空隊としては分かりづらくなっている。歴戦の航空隊が意外とあっさり解隊して(例:高雄空・木更津空・元山空・千歳空・204空(旧6空))しているし、別機種に改編していたりもする(例:台南空)。 フィリピンで活躍している部隊の以前は・・・と思えば実は新設部隊だったり、活躍していたと思えば、源田大佐に引き抜かれて持ってかれてしまったとか・・・あ〜なんか話がずれた。 そんな訳で(えっ?)、個人用に、収集した資料を纏めてみたのがこのコンテンツであり、かなり歯抜けであり、また順次加筆中です。間違ってる箇所もあるかとは思いますが、その辺はご勘弁を(^^A (あ〜言い訳コーナーになってしまったw) |
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2010/4/18追加 特設飛行隊配備状況 (1944年(昭和19年)3月〜1945年(昭和20年)8月) |