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第一航空隊 |
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開隊 |
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昭和16年4月10日 |
装備機種 |
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陸攻 (艦戦) |
原隊・原駐在地 |
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新竹航空基地(台湾) |
所属(最終時) |
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第十一航空艦隊 第二四航空戦隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第七五二海軍航空隊と改称 |
解説 |
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第二航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年5月31日 |
装備機種 |
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(艦戦) 艦爆 (艦攻) |
原隊・原駐在地 |
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横須賀で編成後、連合艦隊に編入 |
所属(最終時) |
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第十一航空艦隊 第二六航空戦隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第五八二海軍航空隊と改称 |
解説 |
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第三航空隊 |
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開隊 |
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昭和16年4月10日 |
装備機種 |
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陸攻 艦爆 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第十一航空艦隊 第二二航空戦隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第二〇二海軍航空隊と改称 |
解説 |
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当初陸上攻撃機3機によって編制された偵察部隊として開隊したが、任務終了後の太平洋戦争開戦前(9月)には初の完全戦闘機部隊として生まれ変わった。
司令亀井凱夫大佐の下、多くのベテラン搭乗員(主に12空)を集めた部隊であり、常勝不敗の戦闘機隊として有名。多くのエースパイロットを輩出しているが、古参搭乗員が多い為か海軍部隊としてはマナーが悪く、荒っぽい部隊であったという。
開戦時のフィリピン長距離進攻作戦や蘭印航空戦、ポート・ダーウィン空襲といった南西方面の航空作戦を戦い抜く。
1942年(昭和17年)9月、ラバウルに派遣されガダルカナル島方面の航空作戦に参加。
同年11月に202空へと改称される。 |
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第四航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年2月10日 |
装備機種 |
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陸攻 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第十一航空艦隊 第二五航空戦隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第七〇二海軍航空隊と改称 |
解説 |
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高雄空陸攻隊19機と千歳空陸攻8機・艦戦18機で編成された航空隊。
開隊時にはトラック島で編成されたが、当初ラバウルに進出する予定だった千歳空が、2月の米機動部隊によるウェーク島空襲によって、同方面の哨戒任務に従事する為にラバウル進出を中止。代わりに4空がラバウルに進出した。
昭和17年9月、ラバウルから木更津に帰還。 |
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第五航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年8月5日 |
装備機種 |
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水戦 水偵 |
原隊・原駐在地 |
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佐世保航空基地 |
所属(最終時) |
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第五艦隊 第五一根拠地隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第四五二海軍航空隊と改称 |
解説 |
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第六航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年4月1日 |
装備機種 |
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艦戦 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第十一航空艦隊 第二六航空戦隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第二〇四海軍航空隊と改称 |
解説 |
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昭和17年4月18日、木更津基地で編成され、練成中であったときにドゥーリットルの東京空襲があった。敵機来襲の報に接し、6空(第六海軍航空隊)所属の零戦24機も迎撃戦の為に出撃したが会敵できなかった。
昭和117年6月に行われたミッドウェー作戦において、当初の予定では占領後のミッドウェー島進出が決定していたが、作戦の失敗により実現しなかった。尚、この作戦において、6空所属の零戦21機が作戦に参加した空母『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』に分散配備されていたが、4空母損失により機体は全機失われた。また別働隊として支作戦であったアリューシャン方面・ダッチハーバー空襲作戦に参加した空母『準鷹』にも六空所属の零戦6機が搭載され、作戦に参加している。
昭和17年8月以降、南東方面ガダルカナル島を巡るソロモン航空戦に増援部隊として参加。この際に木更津〜サイパン〜トラック〜ラバウルと零戦による太平洋長距離縦断飛行を敢行。以後同方面への零戦配備の先駆けとなる。ラバウルからの連日にわたるガ島(ガダルカナル島)への空襲作戦に従事し、同年10月に完成したブーゲンビル島東端のブイン基地完成後は同地から作戦を継続して行った。 |
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第七航空隊 |
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開隊 |
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昭和15年11月15日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第四艦隊 第三根拠地隊 |
解隊 |
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昭和16年4月10日
第十六海軍航空隊と改称 |
解説 |
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第八航空隊 |
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開隊 |
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昭和15年11月15日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第四艦隊 第五根拠地隊 |
解隊 |
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昭和16年4月10日
第十八海軍航空隊と改称 |
解説 |
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第一一航空隊 |
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開隊 |
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昭和11年9月24日 |
装備機種 |
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陸攻 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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解隊 |
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昭和11年11月16日 |
解説 |
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昭和11年9月3日北海事件。同年9月23日、日本海軍水兵射殺事件(上海)等による紛争の拡大に対応する為に編成された部隊であり、館山・木更津・鹿屋の各航空隊より兵力を抽出して編成された。
編成後、台湾の陸軍航空基地に進出、待機していたが作戦実施とはならず、解隊となった。 |
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第一二航空隊 |
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開隊 |
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昭和12年7月11日 |
装備機種 |
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艦戦 艦爆 艦攻 |
原隊・原駐在地 |
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佐伯航空基地 |
所属(最終時) |
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支那方面艦隊 |
解隊 |
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昭和16年9月15日 |
解説 |
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盧溝橋事件後に編成された部隊であり、第二連合航空隊に編入され大連の周水子飛行場に展開。のち南京に進出した。
昭和13年3月、戦闘機隊として再編。4月末の漢口攻略作戦に戦爆連合を編成して作戦に従事した。
昭和15年からは中国奥地侵攻作戦に従事し、重慶・成都方面に進攻する。昭和15年7月、新型艦戦として零戦15機が配備されると、それまで九六艦戦の航続距離の関係から戦闘機の援護をつけることが出来ずに攻撃機のみで作戦を継続していた重慶空襲作戦に再び戦爆連合として作戦を開始する。ただし会敵の機会に恵まれず、4回目の作戦となった9月13日、初めて零戦による空戦の機会が訪れた。
零戦配備後の約10ヶ月におよぶ作戦で中国空軍相手に撃墜103機、地上撃破163機という戦果を納め、損失は僅かに3機だけであったという。 |
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第一三航空隊 |
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開隊 |
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昭和12年7月11日 |
装備機種 |
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艦戦 艦爆 (艦攻) 陸攻 |
原隊・原駐在地 |
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大村航空基地(長崎県) |
所属(最終時) |
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第三艦隊 |
解隊 |
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昭和15年11月15日 |
解説 |
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一二空と共に編成された部隊であり、初出撃は南京攻略戦であった。
昭和12年12月2日、南京攻撃に参加した南郷茂章大尉の九六艦戦6機が敵機30数機と交戦、内13機を撃墜して一躍有名となった。 |
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第一四航空隊(初代) |
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開隊 |
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昭和13年4月6日 |
装備機種 |
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艦戦 艦爆 艦攻 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第二遣支艦隊 |
解隊 |
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昭和16年9月15日 |
解説 |
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第一四航空隊(二代) |
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開隊 |
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昭和17年4月1日 |
装備機種 |
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飛行艇 (水戦) |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第十一航空艦隊 第二四航空戦隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第八〇二海軍航空隊と改称 |
解説 |
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マーシャル諸島ヤルート島(イミエジ基地)に配備され、必要に応じて南東方面の作戦に派遣された。 |
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第一五航空隊(初代) |
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開隊 |
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昭和13年6月25日 |
装備機種 |
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艦戦 艦爆 艦攻 |
原隊・原駐在地 |
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大村航空基地(長崎県) |
所属(最終時) |
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第二連合航空隊 |
解隊 |
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昭和13年12月1日 |
解説 |
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昭和13年7月18日、南昌攻撃に参加した南郷茂章大尉が戦死した九六艦戦6機が敵機11機と交戦、撃破した敵機と接触し墜落・戦死。また艦爆隊の小川中尉機他2機が南昌飛行場に敵前着陸を敢行。固定機銃を撃ち尽くしてもまだ多数の敵機が残っていることから強行着陸して旋回機銃で敵機を撃破。さらに敵機に駆け寄ってガソリンタンクのコックをひねり、ピストルで油槽を射ち抜いた。さらにマッチで火をつけ七機を炎上させ、さらに基地施設に火を放って悠々と離陸するという離れ業を行った。 |
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第一五航空隊(二代) |
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開隊 |
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昭和14年11月15日 |
装備機種 |
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陸攻 艦戦 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第二遣支艦隊 第三連合航空隊 |
解隊 |
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昭和15年11月15日 |
解説 |
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激化する日華事変に対応する為に編成された臨時航空隊であり、艦戦部隊と陸攻部隊の混成航空隊。
鹿屋基地で編成され、南支作戦に従事する。
帰還後、部隊は解隊したが、機体は全機新設された元山空へ移し、艦戦搭乗員の殆どと、陸攻搭乗員の半数が元山空に転属となった。
また陸攻搭乗員の半数は、やはり新設された美幌空へと転属となった。 |
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第一六航空隊(初代) |
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開隊 |
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昭和13年12月15日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第五艦隊 第三連合航空隊 |
解隊 |
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昭和14年11月15日 |
解説 |
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『神州丸』飛行機隊で編成された部隊であり、解隊後は再び飛行機を『神州丸』に戻した。 |
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第一七航空隊 |
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開隊 |
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昭和16年4月10日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第四艦隊 第四根拠地隊 |
解隊 |
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昭和17年4月1日 |
解説 |
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トラック島に配備された水偵隊 |
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第一九航空隊 |
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開隊 |
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昭和16年1月15日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第四艦隊 第六根拠地隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第九五二海軍航空隊と改称 |
解説 |
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グェゼリン島・エビジョ基地に配備された水偵隊 |
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第二一航空隊(初代) |
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開隊 |
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昭和12年7月11日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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呉航空基地 |
所属(最終時) |
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第二艦隊 衣笠丸 |
解隊 |
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昭和12年10月20日 |
解説 |
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日中戦争初期の北支作戦に参加 |
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第二一航空隊(二代) |
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開隊 |
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昭和17年6月20日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第四艦隊 第四根拠地隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第九〇二海軍航空隊と改称 |
解説 |
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トラック島に配備された水偵隊 |
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第二二航空隊 |
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開隊 |
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昭和12年7月11日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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佐世保航空基地 |
所属(最終時) |
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第三艦隊 |
解隊 |
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昭和12年10月9日 |
解説 |
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日中戦争初期に編成され、『鶴見』を母艦として上海方面作戦に従事。
解隊後、飛行機隊は『神州丸』に移された。 |
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第二三航空隊 |
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開隊 |
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昭和12年8月19日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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佐世保航空基地 |
所属(最終時) |
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第三艦隊 |
解隊 |
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昭和12年10月2日 |
解説 |
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日中戦争初期に編成され、潜水母艦『大鯨』を母艦として上海方面作戦に従事。
その後、南支・牛角山に基地を設営したが、まもなく解隊となった。 |
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第三一航空隊(初代) |
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開隊 |
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昭和17年2月1日 |
装備機種 |
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艦爆 (艦攻) 水偵 |
原隊・原駐在地 |
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指宿航空基地 |
所属(最終時) |
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第三南遣艦隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第九五四海軍航空隊と改称 |
解説 |
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第三二特別根拠地隊に所属。艦爆隊として比島・マニラに配備された。 |
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第三二航空隊(初代) |
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開隊 |
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昭和17年2月1日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第三南遣艦隊 第三二特別根拠地隊 |
解隊 |
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昭和17年6月20日(?)
第二一航空隊(二代)に改編 |
解説 |
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ミンダナオ島に配備されたが、後にトラック島に移動。
その後第二一航空隊に改編された。 |
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第三三航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年2月1日 |
装備機種 |
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(艦爆) 艦攻 水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第二南遣艦隊 第二一特別根拠地隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第九三二海軍航空隊と改称 |
解説 |
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解隊後ジャワ島スラバヤに配備される。
当初の編成は艦爆・艦攻隊であったが、後に艦攻のみとなった。
932空に改編後、1年半ほどして水偵隊となる。 |
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第三五航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年2月1日 |
装備機種 |
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艦爆 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第二南遣艦隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第九五六海軍航空隊と改称 |
解説 |
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開隊後セレベス島マカッサルに配備される。 |
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第三六航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年6月20日 |
装備機種 |
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水偵 水戦 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第二南遣艦隊 第二四特別根拠地隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第九三四海軍航空隊と改称 |
解説 |
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ボルネオ島バリクパパンに配備された。 |
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第四〇航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年2月1日 |
装備機種 |
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艦爆 (艦攻) 水偵 哨戒 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第一南遣艦隊 |
解隊 |
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昭和17年11月1日
第九三六海軍航空隊と改称 |
解説 |
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シンガポール攻略戦直前に編成され、そのまま占領したシンガポールに配備された。
当初の編成は艦爆・艦攻隊であったが、後に艦爆のみとなった。
936空に改編後、1年ほどして水偵隊となる。 |
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