海軍航空隊一覧   
六〇〇番台=母艦航空隊
  

第六〇一海軍航空隊
  開隊 昭和19年2月15日
装備機種 艦戦 艦偵 艦爆 艦攻
原隊・原駐在地 厚木航空基地
所属(最終時) 第三航空艦隊
解隊 終戦
解説 『あ号作戦』当時の第一航空戦隊所属航空母艦『大鳳』『翔鶴』『瑞鶴』に搭載された母艦航空隊。
常数は零戦81機、艦爆『彗星』81機、艦攻『天山』54機、艦偵『二式艦偵』9機となっている。
昭和19年6月19日、マリアナ沖海戦で出撃した約140機は、米機動部隊のレーダー探知で待ち伏せにあい、米戦闘機隊に迎撃された。喪失数75%に及び、また母艦の『大鳳』『翔鶴』も撃沈され完敗した。
マリアナ海戦後再建され、大分基地で練成に入る。
特設飛行隊制度が導入され、各飛行隊は以下の通りとなる。
艦戦隊:戦闘161・戦闘162
艦爆隊:攻撃161
艦攻隊:攻撃262
艦偵隊:偵察61  
このうち、マリアナ海戦で壊滅的打撃を受けている艦爆隊は652空(2航戦)艦爆隊を基幹とすることが決定していたが、機体が集まる前に空母部隊の再編、具体的には空母『瑞鶴』の3航戦への転出が決定した為、艦爆隊を一部移すこととなり、搭乗員の一部が653空(3航戦)攻撃263に引き抜かれていった。
空母『雲龍』『天城』に配属される予定となったが、機動部隊がレイテ沖海戦で壊滅した為、搭載すべき母艦を失った。その後、601空は第三航空艦隊所属となり、基地航空部隊となる。(攻撃161は11月15日付で解隊)

1945年(昭和20年)2月の再編時における兵力は戦闘310、攻撃1、攻撃254の3個飛行隊編成である。

昭和20年4月、沖縄航空戦の開始にともない、特攻機援護の為に九州に進出。その後大和・鈴鹿・百里原・名古屋といった基地に分散され終戦を迎えた。

第六三一海軍航空隊
  開隊 昭和19年12月15日
装備機種 水偵
原隊・原駐在地 呉航空基地
所属(最終時) 第六艦隊
解隊 終戦
解説 潜水艦搭載の水上機部隊

第六三四海軍航空隊
  開隊 昭和19年5月1日
装備機種 艦爆 水偵
原隊・原駐在地 岩国航空基地
所属(最終時) 第五航空艦隊 第三二航空戦隊
解隊 終戦
解説 航空戦艦に改造された『伊勢』『日向』の艦載機部隊として編制された航空隊。だが捷一号作戦において両戦艦は艦載機を搭載せずに出撃し、以後も航空隊は一般の水上機部隊と同様の作戦行動をとることとなった。
元々の所属飛行隊は戦闘第一六三飛行隊(戦闘163)と戦闘第一六七飛行隊(戦闘167)の2個飛行隊であり、水上偵察機『瑞雲』の他に練成用(?)として『九九艦爆』『彗星』『天山』を装備。
1944年(昭和19年)10月、台湾沖航空戦後にフィリピン戦に備えて母艦『伊勢』『日向』から離れて第二航空艦隊の指揮下に編入された。その後偵察第三〇一飛行隊(偵301)が編入。
フィリピン・キャビテに展開。夜間の船団攻撃を行い、1945年(昭和20年)1月のフィリピン脱出時には殆どの器材を消耗していた。
フィリピン脱出後、部隊は台湾北部の淡水と九州・玄海に展開。第五航空艦隊の指揮下にあって沖縄航空戦を戦い抜く。(主力は偵301)
両基地から出撃した『瑞雲』水爆隊は夜間に奄美大島・古仁屋に着水して燃料・弾薬を補充。ここから沖縄に夜間空襲を行う。特攻ではなく、通常攻撃による夜間反復爆撃であり、消耗も激しかったが水上機隊としての特性を生かした作戦を展開した。
沖縄戦後半の5月、偵察第三〇二飛行隊が編入。但し練度不足の為、部隊の消耗率は上がってしまう結果となった。
沖縄戦後、台湾・淡水の部隊と、奄美大島に展開していた整備・補給隊は本土に撤退し、玄海に集結した。
その後特攻作戦の準備中に終戦を迎えることとなった。

第六五二海軍航空隊
  開隊 昭和19年3月10日
装備機種 艦戦 艦爆 艦攻
原隊・原駐在地 大村航空基地
所属(最終時) 第三艦隊 第二航空戦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 『あ号作戦』当時の第二航空戦隊所属航空母艦『準鷹』『飛鷹』『龍鳳』に搭載された母艦航空隊。
常数は零戦81機、艦爆『彗星』9機、艦爆『99艦爆』27機、艦攻『天山』54機となっている。
昭和19年6月19日、マリアナ海戦では2次に渡る攻撃隊を発進させたが米機動部隊を発見できずに、米軍機の迎撃を受け、戦力を失っていく。また第2次攻撃隊の多くがグァム島に着陸し、またその多くが失われた為、2航戦の戦力は急激に失われていった。
翌20日、米機動部隊の攻撃を受け空母『飛鷹』が撃沈され、また多くの航空機が失われた。
作戦終了後、652空は解隊された。

第六五三海軍航空隊
  開隊 昭和19年2月15日
装備機種 艦戦 艦爆 艦攻
原隊・原駐在地 笠之原航空基地
所属(最終時) 第三艦隊 第三航空戦隊
解隊 昭和19年11月15日
解説 『あ号作戦』当時の第三航空戦隊所属航空母艦『千歳』『千代田』『瑞鳳』に搭載された母艦航空隊。
常数は零戦63機(内45機が戦闘爆撃機任務)、艦攻『97艦攻』18機(全機索敵・誘導任務機)となっている。
昭和19年6月19日、マリアナ海戦では搭載機数の都合から1次攻撃隊のみ発進させたが米機動部隊戦闘機群の待ち伏せを受け、一部の戦闘爆撃隊のみが爆撃を行えたに過ぎなかった。攻撃隊67機中42機が未帰還であった。
また帰艦した航空機を再度整備し、第2次攻撃隊を準備したが、距離の問題から最先方にいた3航戦の空母に1航戦・2航戦の艦載機が着艦した為、対応に追われ攻撃隊発艦を断念した。
翌20日の米機動部隊による攻撃で被害が増大した為、作戦は中止。艦隊は後退した。
マリアナ海戦後、部隊は再建され、特設飛行隊制度が導入された。
搭載艦である3航戦の空母が一番被害が少なく再建しやすいと判断され、1航戦の空母『瑞鶴』が3航戦に転入されると、艦攻装備の攻撃263に艦爆隊が付属されることとなり、601空攻撃161から搭乗員を引き抜いて再編成する。
10月、台湾沖航空戦に3航戦も参加。艦爆隊が偵察任務に参加した。
その後、レイテ海戦で空母を失った為、第二航空艦隊所属の基地航空部隊となったが、11月に解隊された。
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