海軍航空隊一覧   
五〇〇番台=艦爆、艦攻航空隊
  

第五〇一海軍航空隊
  開隊 昭和18年7月1日
装備機種 艦爆 (艦戦)
原隊・原駐在地 松島航空基地
所属(最終時) 第一航空艦隊 第二六航空戦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 正式採用前の『彗星艦爆(十三試艦爆)』を装備した航空隊。木更津で練成後、太平洋縦断コースで1943年(昭和18年)10月以降順次ラバウルに移動、展開した。
昭和19年2月、消耗の激しい582空を吸収する形で組み込んだが、その際に装備機であった九九艦爆は零戦装備へと改編され、2個飛行隊体制となり、トラックで練成にあたる。だが米機動部隊によるトラック島空襲の際に再び戦力を消耗した。
翌3月、航空隊改編に伴い、552空を吸収合併。合わせて特設飛行隊制度を取り入れ、零戦隊が戦闘351を編成。艦爆隊が攻撃105を編成した。
再編後、パラオ及びダバオで練成を再開したが、3月30日の米機動部隊によるパラオ空襲で再び戦力を消耗する。その為、6月の『あ号作戦(マリアナ海戦)』時には戦力が整わず、翌7月の航空隊改編時に解隊となった。

第五〇二海軍航空隊
  開隊 昭和18年9月15日
装備機種 艦爆
原隊・原駐在地 木更津航空基地
所属(最終時) 第十二航空艦隊 第五一航空戦隊
解隊 昭和19年10月1日
解説 練成部隊であった佐伯海軍航空隊の艦爆隊を主体に茂原基地で開隊した。元々は練成部隊であったが、諸事情(基地が空いてなかった)により、異例のナンバー航空隊として開隊した。
昭和19年、航空隊改編により本土の航空隊が軒並み前線(南東方面・マリアナ方面)に進出した為、その穴埋めとして北東方面に進出し、作戦部隊となる。その後は美幌、千歳基地に進出し、南千島列島、オホーツク海沿岸の哨戒・索敵に従事。
昭和19年4月、特設飛行隊制度導入により、飛行隊は攻撃103へと改編し、10月の解隊後は701空に編入された。

第五〇三海軍航空隊
  開隊 昭和18年10月1日
装備機種 艦爆
原隊・原駐在地 木更津航空基地
所属(最終時) 第一航空艦隊 第二二航空戦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 『彗星』艦爆を当初より装備した航空隊として新編。南東方面で作戦行動中の582空と交代すべく編成していたが、機数か揃わないうちに582空が戦力を消耗し、501空に吸収・解隊となった。
進出可能になったのは昭和19年2月末(米機動部隊によるトラック島空襲の後)であり、進出先は硫黄島であった。その後特設飛行隊制度の導入により飛行隊は攻撃107へと改編された。
その後、『あ号作戦』計画発動によりトラック島に進出。その後主力隊は西部ニューギニア・ソロンに進出したが、米機動部隊のマリアナ進攻に伴いヤップ島に移動。米機動部隊に攻撃を行う。

第五二一海軍航空隊
  開隊 昭和18年8月20日
装備機種 艦爆 陸爆
原隊・原駐在地 千歳航空基地
所属(最終時) 第一航空艦隊 第六一航空戦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 『鵬』部隊と称する航空隊で、豊橋基地で開隊した。第一航空艦隊所属の部隊で、昭和19年2月から連合艦隊の指揮下に入ってマリアナ諸島に展開した。
陸上爆撃機『銀河』を最初に受領し、以後も優先的に配備された航空隊。飛行隊長は真珠湾攻撃で艦爆隊を指揮した江草少佐であった。だが搭乗員の多くは練習航空隊を卒業したばかりの者が多く、中心となった実戦経験者の多くは九九艦爆等から移った者たちであり、双発機の一式陸攻出身者は殆ど居なかったという。
当初の装備機は『銀河』と『彗星』であったが、『彗星』隊はのちに523空開隊に伴ない移動・吸収された。

第五二二海軍航空隊
  開隊 昭和19年3月1日
装備機種 陸爆
原隊・原駐在地 豊橋航空基地
所属(最終時) 新編第二航空艦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 『轟』部隊と称する。
海軍で2番目の陸爆隊となる攻撃第四〇六飛行隊(『銀河』装備・定数96機)を持つ航空隊であり、木更津で開隊した。
昭和19年6月、『あ号作戦』に参加したが、戦力消耗により解隊となった。
攻撃406は762空に転出された。

第五二三海軍航空隊
  開隊 昭和18年11月5日
装備機種 艦爆
原隊・原駐在地 美幌航空基地
所属(最終時) 第一航空艦隊 第六一航空戦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 521空艦爆隊が独立・改編されて開隊した航空隊。
香取基地にて開隊し、『彗星』艦爆(定数96機)を装備する航空隊として誕生したが、搭乗員の多くが甲飛10期と飛練32期出身者で、宇佐空で教育終了した者であった。
1944年(昭和19年)2月、一部がサイパンに進出。その後テニアン第二飛行場に転出したが、2月23日の米機動部隊によるマリアナ諸島空襲の際に出撃し、進出部隊の戦力は半減した。
3月、4月に増援として後続部隊が進出。5月末の段階でテニアンに約30機、他にペリリューに9機が進出し、一部は本土に残留していた。
6月の『あ号作戦』では米機動部隊、及び船団に対し攻撃隊を送り出すが、多くが未帰還となった。全体的に充足率が低く戦力にはならなかっという。
マリアナ海戦後に解隊。

第五二四海軍航空隊
  開隊 昭和19年3月15日
装備機種 艦爆
原隊・原駐在地 三沢航空基地
所属(最終時) 新編第二航空艦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 海軍で3番目に編成された陸爆隊。
解隊後、攻撃第四〇五飛行隊として762空に転出された。

第五三一海軍航空隊
  開隊 昭和18年7月1日
装備機種 艦爆
原隊・原駐在地 呉航空基地
所属(最終時) 第十二航空艦隊 第二四航空戦隊
解隊 昭和19年2月20日
解説 解隊当初は北東方面(アリューシャン列島・千島列島)に配備されたが、昭和18年11月末からマーシャル諸島マロエラップ島・他に進出した。
米軍のギルバート諸島マキン・タラワ両島進攻の時期であり、在マーシャル諸島の第十二航空戦隊による数次のギルバート諸島航空戦が行われたが、同航空戦の最中にマーシャル諸島担当が第二四航空戦隊に変更された。
戦闘の最中に引き継いだ第二四航空戦隊は戦闘を継続。艦攻隊(『天山』6機)がマロエラップ島から出撃し、ルオット島北東海域にいた米機動部隊に攻撃を行ったが、全機未帰還となった。
昭和19年2月、米機動部隊の攻撃が激化し、ルオット島・クェゼリン島に上陸を開始する。531空は2月5日、連絡が途絶えた。玉砕したものと推定される。

第五四一海軍航空隊
  開隊 昭和19年3月15日
装備機種 艦爆
原隊・原駐在地 松山航空基地
所属(最終時) 新編第二航空艦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 『響』部隊と称される。
『彗星』艦爆で編制される予定だったが調達が進まず九九艦爆で錬成していた。
解隊後は攻撃第三飛行隊(攻3)に改編。国分基地にて762空の指揮下に入ってT攻撃部隊の一部になる予定が共同訓練もしないまま762空の補助戦力(練度不足部隊)で新設された763空に統合された。

第五五一海軍航空隊
  開隊 昭和18年9月1日
装備機種 艦攻
原隊・原駐在地 元山航空基地
所属(最終時) 第一航空艦隊 第二二航空戦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 『あ号作戦』に参加したが、機隊定数48機に対し、充足率が低く戦力にはならなかった。
マリアナ海戦後に解隊。

第五五二海軍航空隊
  開隊 昭和17年12月1日
装備機種 艦爆
原隊・原駐在地
所属(最終時) 第四艦隊 第二二航空戦隊
解隊 昭和19年3月4日
解説 茂原基地で開隊後、第二二航空戦隊に所属してマーシャル諸島に展開した。
米機動部隊のギルバート諸島進攻中の昭和18年12月、マーシャル諸島の担当が第二四航空戦隊に変更になった為、テニアン島に後退した。その後、501空に吸収される形で解隊となる。。

第五五三海軍航空隊
  開隊 昭和19年2月20日 築城海軍航空隊を改称
装備機種 艦爆 艦攻
原隊・原駐在地 築城航空基地
所属(最終時) 第十二航空艦隊 第五一航空戦隊
解隊 昭和19年10月1日
解説 築城空を改称して編制された航空隊であり、装備機は艦爆隊の攻撃第一〇二飛行隊(九九艦爆、後に『彗星』装備)と、艦攻の攻撃第二五二飛行隊(九七艦攻と『天山』装備)であった。
当初はアリューシャン・千島列島方面の哨戒と索敵に従事していたが、後に美幌基地に後退した。
一部戦力を片岡基地に派遣しているときに、占守島に派遣されていた203空夜戦隊(第1月光隊)を併せて指揮している。

第五八二海軍航空隊
  開隊 昭和17年11月1日 第二航空隊を改称
装備機種 (艦戦) 艦爆 (艦攻)
原隊・原駐在地
所属(最終時) 第十一航空艦隊 第二五航空戦隊
解隊 昭和19年3月4日
解説 2空当時からラバウルに展開し、同地に留まって作戦展開していた航空隊である。
海軍のガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)当時、ブーゲンビル島ブインに前進していた艦爆隊は、撤退作戦当日の昭和18年2月1日早朝、米巡洋艦隊に攻撃を加え、巡洋艦1隻、駆逐艦1隻を撃沈した(レンネル島沖海戦
昭和18年4月、『い号作戦』に参加。5月になると米軍の中部ソロモン進攻が本格化し、前進基地ブインへの空襲が激化した。その為、ラバウルに後退し、そのまま昭和19年2月に501空に吸収される形とで解隊となる。