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第九〇一海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年11月1日 |
装備機種 |
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陸攻 飛艇 |
原隊・原駐在地 |
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千歳航空基地 |
所属(最終時) |
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海上護衛総隊 第一護衛艦隊 |
解隊 |
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終戦 |
解説 |
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海軍初の対潜・護衛専門航空部隊として誕生した。
当初の装備定数は九六陸攻24機、九七大艇12機であり、長距離飛行能力と爆弾積載量の大きな機材を装備している。また以後順次装備定数が増え、昭和19年3月には陸攻48機、飛行艇32機と倍増。昭和20年には254空・953空・954空を統合し、3月の時点で各種合計200機以上となるが、それはあくまでも書類上の定数であり、実際の装備機数は少ない。可動機数はさらに少なくなる。
開隊後、船団コース上の各基地(館山・大村・沖縄・小禄・台湾・高雄・マニラ・サイゴン・硫黄島・サイパン・パラオ等々)に派遣隊を分散配備する。だが、米軍の進攻に合わせて守るべき航路帯は徐々に後退し、最終的には南西方面の航路のみとなった。 |
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昭和20年1月1日、254空・953空・954空を統合。 |
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第九〇二海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年11月1日 第二一航空隊を改称 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第四艦隊 第四根拠地隊 |
解隊 |
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昭和19年8月1日 |
解説 |
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第九〇三海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和19年2月15日 |
装備機種 |
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陸攻 艦攻 水偵 |
原隊・原駐在地 |
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館山航空基地 |
所属(最終時) |
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大湊警備府 |
解隊 |
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終戦 |
解説 |
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第九三一海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和19年2月1日 |
装備機種 |
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艦攻 |
原隊・原駐在地 |
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佐伯航空基地 |
所属(最終時) |
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第五航空艦隊 第三二航空戦隊 |
解隊 |
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終戦 |
解説 |
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海上護衛総隊に配備された4隻の小型空母に搭載する対潜航空戦力として編成された航空隊。
装備定数は九七艦攻48機であり、各艦当り12機が配備された。だが、搭乗員の練度は低く、母艦にカタパルトも無い状態の小型艦で護衛を継続するのは非常に困難であり、また運用自体に問題があった。実際に『雲鷹』からは『航路の沿岸に、さらに基地を設けて対潜哨戒飛行を強化すべきであり、護衛空母は廃止した方がいい。』と進言される有様であった。
昭和20年、沖縄航空戦に参加。『菊水千代田部隊』と称し、串良・観音寺を基地として沖縄周辺の米艦船攻撃に参加した。 |
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第九三二海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年11月1日 第三三航空隊を改称 |
装備機種 |
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艦攻 艦爆 水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第二南遣艦隊 第二一特別根拠地隊 |
解隊 |
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昭和19年10月1日 |
解説 |
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第九三三海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和19年9月1日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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佐伯航空基地 |
所属(最終時) |
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第五航空艦隊 第三一航空戦隊 |
解隊 |
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昭和20年1月1日 第九三六海軍航空隊に統合 |
解説 |
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第九三四海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年11月1日 第三六航空隊を改称 |
装備機種 |
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水偵 水戦 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第四南遣艦隊 |
解隊 |
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昭和19年10月1日 |
解説 |
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バリクパパン、アンボン、マカッサル方面で活動。 |
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第九三六海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年11月1日 第四〇航空隊を改称 |
装備機種 |
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艦爆 艦攻 水偵 哨戒 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第十方面艦隊 第十三航空艦隊 |
解隊 |
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終戦 |
解説 |
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南シナ海、ボルネオ、ジャワ、スマトラ周辺海域の船団護衛任務に従事。 |
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第九三八海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和18年4月15日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第八艦隊 |
解隊 |
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昭和19年12月10日 |
解説 |
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ブーゲンビル島東端に位置する小島ショートランド島で開隊。ラバウル・ショートランド方面で活動する。
昭和18年11月、『ろ』号作戦開始時期に飛行隊長として美濃部大尉が着任。当時の戦力はブカ水道に潜ませた零式水上偵察機4機だけであった。この機体により夜間索敵や、敵基地への点滴攻撃を実施したが、効果は薄かった。
昭和19年1月、マラリアの悪化によりラバウルの海軍病院に入院した美濃部大尉は精神異常で入院中の部下(教員事時代の元教え子)の発言から一つの腹案を刺激する。『水上機に二十五番(250kg爆弾)と20mm機銃を4挺付けて、銃爆撃に行きたいんです。』と・・・
この案を実現すべく、1月末ブインからニュージョージア島に水偵1機が夜間進出、敵飛行場を爆撃して帰投する。この行動に自信を持ち、鈍重な水偵で出来るなら零戦でも出来る。零戦は単座機故に偵察員が乗らない為、航法に難ありと思われるが、夜間飛行と単機洋上飛行に慣れている水上機搭乗員なら可能と説明し、上官(草鹿任一中将)に上申した。この異例尽くしの『水偵隊に零戦を配備して欲しい』という要望は、これまた異例にも草鹿長官の名前で認められた。これこそが、後に芙蓉部隊として沖縄航空戦を戦い抜く、美濃部の夜間襲撃戦法の第1歩であった。
認められた零戦5機を受領すべく2月にトラック島に零観搭乗員を引き連れて行き、訓練を開始する。
2月17日・18日、米機動部隊のトラック空襲により機材を損失。美濃部大尉は新しい機材を受け取りに本土に向かい、軍令部第一課で源田部実中佐に面会。だが、水偵隊への零戦配備は認めてもらえなかった。代わりに新編の飛行隊を編成し、飛行隊長に就任が決定。3月4日付けで美濃部大尉の戦闘第三一六飛行隊(301空)が新編された。
938空残存隊は解隊後、ブーゲンビル島内で第85警備隊として行動した。 |
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第九五二海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年11月1日 第十九航空隊を改称 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第四艦隊 第六根拠地隊 |
解隊 |
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昭和19年3月1日 |
解説 |
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マーシャル諸島グェゼリン島エビジョ基地に配備されていた。
昭和18年末〜昭和19年初めにかけて米軍のマーシャル進攻によって玉砕。 |
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第九五三海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和19年6月1日 |
装備機種 |
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水偵 哨戒 艦攻 |
原隊・原駐在地 |
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東港航空基地 |
所属(最終時) |
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高雄警備府 |
解隊 |
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昭和20年1月1日 第九〇一海軍航空隊に統合 |
解説 |
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第九五四海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年11月1日 第三一航空隊を改称 |
装備機種 |
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艦爆 艦攻 水偵 |
原隊・原駐在地 |
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指宿航空基地 |
所属(最終時) |
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第三南遣艦隊 |
解隊 |
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昭和20年1月1日 第九〇一海軍航空隊に統合 |
解説 |
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マニラ湾の船団護衛と、フィリピン群島での対潜哨戒にあたっていたが、昭和19年末のフィリピン航空戦で飛行機を消耗し、解隊。901空に統合された。 |
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第九五五海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和19年8月1日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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佐世保航空基地 |
所属(最終時) |
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第三南遣艦隊 |
解隊 |
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終戦 |
解説 |
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フィリピン・ミンダナオ島ダバオに配備。 |
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第九五六海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年11月1日 第三五航空隊を改称 |
装備機種 |
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艦爆 |
原隊・原駐在地 |
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所属(最終時) |
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第二南遣艦隊 |
解隊 |
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昭和17年12月1日 |
解説 |
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当初セレベス島マカッサルに配備。
改称直後に南東方面ラバウルに進出したが、1ヶ月で解隊となった。 |
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第九五八海軍航空隊 |
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開隊 |
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昭和17年12月1日 |
装備機種 |
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水偵 |
原隊・原駐在地 |
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指宿航空基地 |
所属(最終時) |
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第十一航空艦隊 |
解隊 |
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終戦 |
解説 |
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ラバウルで開隊された水偵隊であり、終戦まで同地に在った。
ラバウル放棄後も活動を続け、補給と偵察任務に従事した。 |
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