海軍航空隊一覧   
七〇〇番台=陸攻航空隊
  

第七〇一海軍航空隊(初代)
  開隊 昭和17年11月1日 美幌海軍航空隊を改称
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地 美幌航空基地
所属(最終時) 第十一航空艦隊 第二二航空戦隊
解隊 昭和18年3月15日
解説

第七〇一海軍航空隊(二代)
  開隊 昭和19年2月20日 豊橋海軍航空隊を改称
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地 豊橋航空基地
所属(最終時) 第五航空艦隊
解隊 終戦
解説 昭和19年9月、艦爆・艦攻を装備する航空隊へと改編。10月には艦攻隊が台湾沖航空戦に参加し、その後フィリピン航空戦に参加。また解隊した旧502空の攻103(九九艦爆装備)が10月に編入され、攻102・103もフィリピン航空戦で特攻攻撃に参加した。
11月15日、3航艦・25航戦に編入され、九州・国分基地に後退した。
昭和20年、5航艦に編入され沖縄航空戦に参加した。

第七〇二海軍航空隊
  開隊 昭和17年11月1日 第四航空隊を改称
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地
所属(最終時) 第十一航空艦隊 第二五航空戦隊
解隊 昭和18年12月1日
解説 昭和17年9月、ラバウルから木更津に帰還した4空が702空と改称され、翌年の昭和18年5月、再びラバウルに進出した。バラレ、ブカ等に展開し、米軍の中部ソロモン進攻に対抗する。その後『ロ号作戦』に参加した後、702空は解隊となった。解隊後、隊員は751空に転属。

第七〇三海軍航空隊
  開隊 昭和17年11月1日 千歳海軍航空隊を改称
装備機種 陸攻 艦戦
原隊・原駐在地 千歳航空基地
所属(最終時) 第十一航空艦隊 第二四航空戦隊
解隊 昭和18年3月15日
解説 昭和17年11月、改称と同時にマーシャル諸島に配備されるが翌12月末に本土に帰還する。その際、艦戦隊は分離し、752空艦戦隊と共に再編され、201空を新偏した。
昭和18年3月、解隊。

第七〇五海軍航空隊
  開隊 昭和17年11月1日 三沢海軍航空隊を改称
装備機種 陸攻 艦攻
原隊・原駐在地 三沢航空基地
所属(最終時) 第十三航空艦隊 第二八航空戦隊
解隊 昭和19年10月1日
解説 改称と同時にラバウルに進出し、ガダルカナル島(ガ島)攻防戦に参加する。
昭和18年2月、陸軍がガ島を放棄・撤退後、第六空襲部隊の一翼を担いブカに展開した。
9月、テニアン島に後退し戦力の回復をはかり、その後13航艦・28航戦へと編入されてスマトラ島に展開した。
昭和19年2月、パラオ諸島ペリリュー島に進出した。
3月、飛行隊の空地分離が発令し、陸攻隊が攻撃第七〇六飛行隊となり、755空に転出。
705空は艦攻隊となって、再びスマトラ島に展開した。

第七〇六海軍航空隊
  開隊 昭和20年3月
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地 香取航空基地
所属(最終時) 第三航空艦隊
解隊 終戦
解説 本州東南北の海域に対する哨戒・索敵任務と、硫黄島に進出してきた米軍に対する攻撃任務に従事した。
昭和20年4月、沖縄航空戦が開始されると南九州に進出し、米機動部隊索敵攻撃任務に従事した。

第七〇七海軍航空隊
  開隊 昭和17年11月1日 木更津航空隊を改称
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地 木更津航空基地
所属(最終時) 第十一航空艦隊 第二六航空戦隊
解隊 昭和17年12月1日
解説 改称後直ちにラバウルに進出したが、僅か1ヶ月で解隊となった。
解隊後、隊員は705空に転属。

第七二一海軍航空隊
  開隊 昭和19年10月1日
装備機種 陸攻 艦戦
原隊・原駐在地 百里原航空基地
所属(最終時) 第五航空艦隊
解隊 終戦
解説 『神雷部隊』と称し、一式陸攻に人間爆弾『桜花』を搭載して米艦船に特攻を行う為に編成された航空隊。
編成時期がフィリピンで神風特攻が行われる前に編成された航空隊である。
『桜花』特攻は昭和20年3月21日の第1次攻撃(作戦失敗・全18機が撃墜された。指揮官は野中五郎少佐)から6月22日の第10次攻撃まで行われ、全体に少数機による攻撃で全部で61機が出撃し、特攻に散った。

第七二二海軍航空隊
  開隊 昭和20年2月15日
装備機種 艦戦 陸攻 陸練
原隊・原駐在地 神之池航空基地
所属(最終時) 連合艦隊
解隊 終戦
解説 721空の『桜花』特攻要員の教育訓練部隊であったが、後半は鹿屋基地に前進し出撃を行った。

第七二三海軍航空隊
  開隊 昭和20年6月10日
装備機種 陸偵
原隊・原駐在地 横須賀航空基地
所属(最終時) 連合艦隊
解隊 終戦
解説

第七二四海軍航空隊
  開隊 昭和20年7月1日
装備機種 陸練 練爆
原隊・原駐在地 神之池航空基地
所属(最終時) 連合艦隊
解隊 終戦
解説

第七二五海軍航空隊
  開隊 昭和20年7月1日
装備機種 陸練 練戦 練爆
原隊・原駐在地 横須賀航空機
所属(最終時) 横須賀鎮守府
解隊 終戦
解説

第七三二海軍航空隊
  開隊 昭和18年10月1日
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地 大分航空基地
所属(最終時) 第一航空艦隊 第二三航空戦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 豊橋で開隊後、豪北作戦に参加。

第七五一海軍航空隊
  開隊 昭和17年10月1日 鹿屋航空隊を改称
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地 鹿屋航空基地
所属(最終時) 第一航空艦隊 第二六航空戦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 改称後にニューアイルランド島カビエンに進出。ソロモン航空戦に参加するが、戦力を消耗した為、一時テニアン島に後退し戦力の回復を計る。
昭和18年9月、再びラバウルに進出し、ブーゲンビル島ブインを基地としてソロモン航空戦に参加。
昭和19年2月、戦力回復の為に後退していたテニアンで米機動部隊の空襲を受け、再び戦力を消耗する。
3月4日、飛行隊の空地分離が発令。751空及び755空の基幹員を中心に攻撃第七〇一飛行隊を、練成員を中心に攻撃第七〇四飛行隊を新編。(攻撃701は755空所属となる。)
6月、『あ号作戦』で戦力を消耗した為、航空部隊再編により7月解隊となる。

第七五二海軍航空隊
  開隊 昭和17年11月1日 第一航空隊を改称
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地 新竹航空基地
所属(最終時) 新編第三航空艦隊
解隊 終戦
解説 昭和18年11月、マーシャル諸島ルオット島に進出、マーシャル諸島方面の航空作戦に参加する。
昭和19年2月、マーシャル失陥により地上員は玉砕。飛行隊のみが後退した。その後豊橋で航空隊を再建する。艦戦隊は703空艦戦隊と共に再編され、201空を新編する。
6月、八幡部隊に編入。『あ号作戦』に参加するために硫黄島に進出。
10月、台湾沖航空戦に参加。攻撃703が762空に転出。
11月26日、指揮下の偵察第十二飛行隊(偵12)所属の『彩雲』2機が『サイパン島特別銃撃隊(後に『第一御楯特別攻撃隊』と命名)』支援に参加。
(12月時点の戦力:戦闘901(月光・彗星夜戦) 攻撃401(銀河) 攻撃704(一式陸攻) 偵3(彩雲) 偵12(彩雲・紫電))
昭和20年1月10日、偵12は141空に編入。一部残留搭乗員と、レイテ作戦で生き残った母艦・巡洋艦の搭乗員とで、フィリピンで壊滅した偵102を再編成。
2月、偵3はウルシー方面の敵情偵察の為、トラック島に派遣隊を送り出す。その後15日付で801空に編入となった。(3月15日付で偵3は解隊。)
4月、沖縄航空作戦を支援する為、『彩雲』『紫電』から編成される偵102鹿屋派遣隊を送り出す。(一部搭乗員は後に同地に在った偵11に編入された。) またトラック島に派遣された偵3の増援として、偵3解隊後は派遣隊として終戦まで同地に『彩雲』を送り続けることとなる。

第七五三海軍航空隊
  開隊 昭和17年10月1日 高雄航空隊を改称
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地 鹿屋航空基地
所属(最終時) 第一航空艦隊 第二三航空戦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 昭和19年5月、『あ号作戦』参加の為にマリアナ方面に進出。
作戦後、セレベス島ケンダリーに後退し、解隊となった。

第七五五海軍航空隊
  開隊 昭和17年10月1日 元山航空隊を改称
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地 元山航空基地
所属(最終時) 第一航空艦隊 第二二航空戦隊
解隊 昭和19年7月10日
解説 元山空陸攻隊を改称。(戦闘機隊は9月20日に分離独立し、252空と改称)
昭和17年末、マーシャル諸島ルオット島に配備される。
昭和18年11月、マーシャル方面航空戦に参加するが、作戦途中で同方面の担当部隊が所属する22航戦から24航戦に変更されたため、テニアン島に後退した。
昭和19年2月、マリアナ方面が米機動部隊の空襲を受け、戦力を消耗。
3月4日、飛行隊の空地分離が発令。751空及び755空の基幹員を中心に攻撃第七〇一飛行隊を、練成員を中心に攻撃第七〇四飛行隊を新編。(攻撃704は751空所属となる。)
旧705空(陸攻隊)が攻撃第七〇六飛行隊となり、転入される。
6月、『あ号作戦』に参加。作戦後グァムで解隊。地上員は同島で玉砕。
7月、航空部隊再編に伴い解隊。(攻撃706も解隊となる。)

第七六一海軍航空隊
  開隊 昭和18年7月1日
装備機種 陸攻
原隊・原駐在地 鹿屋航空基地
所属(最終時) 南西方面艦隊 第二六航空戦隊
解隊 終戦
解説 『龍』部隊と称する部隊。
昭和19年2月、マリアナ方面に進出。だが進出直後に米機動部隊によるマリアナ空襲で壊滅状態となる。その後壊滅した第一陣は本土に帰還し、再建。第二陣として進出した部隊は
一部がペリリュー島に派遣され。その後ビアク作戦に参加。『あ号作戦』時のテニアン残留機は僅かであったという。ペリリュー島に移っていた本体はサイパン島爆撃とグァム島に対する物資投下作戦を開始するが『あ号作戦』は敗戦となった。その後、ミンダナオ島ダバオに後退し戦力再建を行う。その際に各航空隊の残存機を編入(例:旧501空艦爆隊・攻撃105等)し、艦上機主体の混成爆撃機隊となった。
10月、フィリピン航空戦に参加したが、飛行隊は全滅した。その後残存搭乗員は台湾に後退。地上員は26航戦に編入され地上戦に参加することとなった。

第七六二海軍航空隊
  開隊 昭和19年2月15日
装備機種 陸攻 陸爆
原隊・原駐在地 新竹航空基地
所属(最終時) 第五航空艦隊 第三二航空戦隊
解隊 終戦
解説 『輝』部隊と称する部隊。
『あ号作戦』後、器材調達の遅れと搭乗員の練度不足だった各航空隊の戦力を吸収し、大規模航空隊となる。(元々一式陸攻部隊だったが、搭乗員養成が中々進まない為、同様の部隊で練度が不足している部隊を手当たり次第に攻撃機部隊をかき集めた結果、大規模部隊となってしまった感があり、なによりも『庇を貸したら母屋を取られた』といった感じで部隊が再編成された航空隊。)
さらに『丹作戦』用T攻撃部隊として各航空隊から精鋭を集め、準備を進めた。
攻撃第七〇八飛行隊(旧762空)
  『銀河』(定数48機)
攻撃第四〇五飛行隊(旧524空陸爆隊)
  海軍で3番目の陸爆隊。『彗星』装備(定数48機)
  昭和19年7月10日付けで524空より編入
攻撃第四〇六飛行隊(旧522空陸爆隊)
  海軍で2番目の陸爆隊。『彗星』装備(定数48機)
  昭和19年7月10日付けで522空より編入
偵察隊(二式艦偵・彩雲)
上記飛行隊の他に、陸軍航空隊の飛行第七戦隊飛行第九八戦隊が762空の作戦指揮下にあった。
T部隊編成に伴い、哨戒任務として攻撃第七〇三飛行隊が752空から転入される。
またT部隊編成後も作戦決行が決まらない為、正式にT部隊を762空に一本化し、かわりに遅々として実戦投入の目処が立たない旧522空524空空・541空の兵力を新設した763空に移した。
昭和19年10月、台湾沖航空戦では『T部隊』を編成し、陸攻隊・陸爆隊・九八戦隊の混成部隊が出撃。
昭和20年4月、沖縄航空戦に参加。各飛行隊は特攻隊を編成し、沖縄攻撃・機動部隊攻撃を行った。
偵11が沖縄戦に参加

第七六三海軍航空隊
  開隊 昭和19年10月1日
装備機種 陸爆
原隊・原駐在地 宮崎航空基地
所属(最終時) 南西方面艦隊 第二六航空戦隊
解隊 終戦
解説 762空が指揮下の飛行隊を再編制する際に練度不足だった戦力を集めて新規航空隊として編制された部隊。だが762空が台湾沖航空戦で壊滅的な被害を受けた為、第二航空艦隊がフィリピン戦に投入出来る唯一の爆撃隊となった。
昭和19年10月23日、ルソン島クラーク基地に進出。レイテ航空戦に参加し、リンガエン湾上陸の米艦船を攻撃した。
その後銀河特攻烈風隊を編制。クラーク飛行場からダバオに移動し、ウルシー泊地に停泊中と思われる米機動部隊に対して特攻攻撃を行った。さらにパラオ諸島コッソル水道に在泊しているらしい護衛空母群にも特攻を仕掛ける。(共に3回づつ特攻攻撃を行ったが戦果不明。日本側判断では両作戦において1機づづ特攻したらしいととのこと。)
その後、戦力を消耗。残存航空機と搭乗員は台湾に脱出、765空に吸収。残された地上要員は陸戦隊(第二六航空戦隊)に編入され、地上戦に参加した。

第七六五海軍航空隊
  開隊 昭和20年2月5日
装備機種 艦攻 陸攻 陸爆
原隊・原駐在地 鹿屋航空基地
所属(最終時) 高雄警備府 第二九航空戦隊
解隊 終戦
解説 フィリピンを脱出した第一・第二航空艦隊の一部を吸収して編制された航空隊であり、新旧寄せ集めの器材で編制された。(765空は偵察隊として再編されたのだが)
陸攻隊(攻撃702)は新竹航空基地に展開し、沖縄航空戦に参加。
『銀河』隊は台南・新竹・台中の各基地に展開し、沖縄航空戦に参加。
艦攻『天山』隊は九州東方海上の米機動部隊攻撃を実施し、一部は特攻出撃であった。
艦爆隊は攻撃102の指揮下に『彗星』を保有し、沖縄作戦に参加したが、戦力消耗により6月以降は艦爆隊は除かれた。