天号航空作戦(沖縄航空戦)
1945年(昭和20年)3月〜8月

陸軍 : 第一次〜第十次航空総攻撃
海軍 : 菊水一号〜十号作戦



連合軍の本土侵攻の前段階として南西諸島・沖縄侵攻作戦が開始される。
沖縄を巡る一連の海空戦として日本軍が行った航空戦が天号(航空)作戦である。これは陸海軍中央協定に基づき米軍の南西諸島方面への侵攻があった場合の作戦要領を定め、これを天一号作戦と称した。
主戦力として九州方面を担当する基地航空部隊・第五航空艦隊に局地守備隊の海上特攻部隊をあて、好機があれば戦艦『大和』を中心とする最後の水上艦艇部隊である第二艦隊の残存戦力を投入した海上特攻部隊を投入することが決定していた。
さらに増援戦力として東日本方面を担当する第三航空艦隊からの派遣部隊(特攻隊編成及び局地防空任務・他)と、練習機部隊で編制された第十航空艦隊も特攻隊編成で投入が決定された。これら第三航空艦隊第五航空艦隊第十航空艦隊を統一運用する部隊として第一機動基地航空部隊が編制された。
他に九州方面に展開する陸軍航空隊の第六航空軍が参加する。

また後方に取り残される形となった台湾にはフィリピンから脱出した第一航空艦隊第二航空艦隊の残存戦力を再編制し、第一航空艦隊に統合した部隊として第五基地航空部隊を編成し、沖縄戦に協力しした。
同様に台湾に配備されていた陸軍航空隊・第八飛行師団も沖縄戦に協力する。



海軍側航空部隊の編成は以下の通り。
第一機動基地航空部隊
九州を拠点とし、第三航空艦隊第五航空艦隊第十航空艦隊を纏めて運用する航空部隊。但し、当初は第三航空艦隊は応援部隊という位置づけであった。(後に第三航空艦隊からの派遣部隊は正式に組み込まれるようになった。)
これに陸軍の第六航空軍が連合艦隊の指揮下に編入され、第一機動基地航空部隊と共に沖縄航空作戦を戦い続けることとなる。
尚、主作戦戦法はフィリピン戦同様、大量の特攻機を用意しての航空作戦であった。
指揮官は第五航空艦隊司令長官宇垣中将
   
第五基地航空部隊
台湾に展開する第一航空艦隊であり、その内情はフィリピン航空戦を戦い、ボロボロとなって台湾に脱出した第一航空艦隊第二航空艦隊(解隊)の残存戦力でしかなかった。
本土(九州)の第一機動基地航空部隊と密接に協力して沖縄航空戦に参加するが、100機足らずの戦力しかない第一航空艦隊ではもとより特攻攻撃以外に有効な攻撃手段が存在しなかった。
指揮官は第一航空艦隊司令長官大西中将
    


陸軍側航空部隊は以下の通り。
第六航空軍
本土(九州方面)からの参加部隊。
元々は本土に於ける教育部隊の教官を中心に編成された教導飛行師団を束ねる教導航空軍として編制された部隊であったが、本土決戦を目前に第六航空軍へと改編された。
防衛総司令官の隷下に在ったが、沖縄戦では海軍の連合艦隊の指揮を受けることとなり、九州の第一機動基地航空部隊と共に沖縄航空戦を戦い抜く。
陸軍も主戦法は特攻隊編成をとっている。
指揮官は第六航空軍司令官菅原中将
第八飛行師団
台湾からの参加部隊であり、第六航空軍隷下の飛行師団。
台湾防衛の為の戦力であり、沖縄戦では後方となった台湾から特攻攻撃を行う。だが戦力補充が本土より届かず、第八飛行師団に配属される予定のまま九州方面から特攻攻撃を行った部隊もあるという。
指揮官は第八飛行師団師団長山本中将
     


以上の兵力を持って沖縄戦を戦うのだが、その主戦法は大量の特攻機群であった。
緒戦で特攻機を大量に投入し、敵上陸軍に打撃を与え、以後掃討戦に移行するのが当初の計画であった。
海軍機は主に米機動部隊に対し、陸軍機は上陸部隊輸送船団及び地上部隊支援を目的とし攻撃隊を送り出したが、目論見は外れ、ずるずると消耗戦に引き込まれていく。
特攻機の大量投入は最初だけの予定であったが、ずるずると継続していく内に、その場その時に用意できる特攻機を用いた小規模攻撃へと移行する。
海軍の航空作戦は菊水作戦(菊水○号作戦。陸軍側は第○次航空総攻撃)と称したが、最終的には菊水十号作戦まで行われた。だが菊水四号作戦あたりからは上記のような小規模な航空総攻撃状態へとなってしまう。
6月、沖縄本島の現地守備隊が玉砕すると沖縄航空戦は終了。以後は本土決戦へと流されていくこととなった。

沖縄戦終了後も一部航空隊は沖縄方面への航空攻撃は継続され、終戦の日まで続く。
そして終戦の日、第五航空艦隊司令長官宇垣中将同乗による最後の特攻機が出撃し、沖縄航空戦もまた終結した。




航空作戦の推移


3月21日 第一次神雷部隊、出撃

721空
所属の人間爆弾(ロケット特攻機『桜花』)を搭載した一式陸攻18機による米機動部隊攻撃作戦。
指揮官は野中五郎少佐に率いられた部隊は進撃途中に米機動部隊艦載機の迎撃を受け、『桜花』を出撃させること無く全滅した。
   


4月1日 第2回 神雷特別攻撃隊

721空による人間爆弾・ロケット特攻機『桜花』による第2回目の攻撃。
一式陸攻3機煮搭載された『桜花』3機は鹿屋を出撃、沖縄周辺に展開していた米艦隊に特攻攻撃を敢行し、戦艦1隻その他艦船2隻を撃破したと報告。
この攻撃により米戦艦『ウエスト・バージニア』と小型艦2隻が損傷を受けている。これが『桜花』による初の戦果となった。
  

4月6日 菊水一号作戦(海軍) 第一次航空総攻撃(陸軍) 開始

沖縄本島に上陸した米軍に対する大量の特攻機を含む航空攻撃を開始。これは戦艦『大和』を含む第二艦隊残存艦艇による海上特攻隊の出撃に呼応した航空総攻撃である。
海軍はこの作戦を菊水作戦と称し、菊水一号作戦において大量の特攻機で米機動部隊を制圧し、続く二号作戦以降に於いて追撃・殲滅作戦に移行する予定であった。
尚、陸軍も連合艦隊の指揮下に入り航空攻撃に協力することとなった。

海軍は本作戦に対米機動部隊用に96機、対輸送船団攻撃用に179機を投入した。
6日正午に出撃した零戦85機、彗星24機の特攻機の内、半数が沖縄南東海域にいた米機動部隊に突入。空母4隻を撃破したと報告している。
正午過ぎから別の特攻隊、天山16機、九七艦攻30機、九九艦爆49機が沖縄周辺の米艦船に攻撃を開始。約半数が突入に成功したと報告している。
また別に台湾に展開している第一航空艦隊からも沖縄周辺の艦船に特攻機7機(彗星3機、銀河4機)を発進し、攻撃に成功させたと報告している。

陸軍も海軍に呼応し、九州の第六航空軍が6個特攻隊合計54機(57機?+九九襲撃機2機?)を出撃。
さらに台湾方面より28機の特攻機が出撃した。

この日の攻撃により軽空母『サン・ハーシント』損傷、給弾艦1隻沈没、駆逐艦14隻、護衛駆逐艦2隻、その他小艦艇8隻が損傷を受けたと報告している。
  
尚、この菊水一号作戦は4月11日まで継続されている。(但し8日〜10日は天候不順により攻撃中止)
  

4月7日 菊水一号作戦(海軍) 第一次航空総攻撃(陸軍) (2)

4月12日 菊水二号作戦(海軍) 第二次航空総攻撃(陸軍) 開始


4月13日 菊水二号作戦(海軍) 第二次航空総攻撃(陸軍) (2)


4月14日 菊水二号作戦(海軍) 第二次航空総攻撃(陸軍) (3)


4月16日 菊水三号作戦(海軍) 第三次航空総攻撃(陸軍) 開始


4月17日 菊水三号作戦(海軍) 第三次航空総攻撃(陸軍) (2)



4月22日 第四次航空総攻撃(陸軍) 開始

陸軍機のみによる航空総攻撃。
海軍機は天候不順により作戦参加はしていないが、少数機が陸軍機と合わせて沖縄方面に出撃している。
陸軍機は特攻機総数36機が出撃、内31機が突入したものと思われる。(海軍機は手元に資料なく不明)

14:00以降、陸軍特攻隊7個隊が六六戦隊所属の九九襲撃機1機が先導し、南九州の各飛行場より出撃した。特攻隊の護衛任務には五五戦隊五九戦隊の三式戦『飛燕』18機が就いたが、航続距離の関係から喜界島までしか護衛につけなかった。そこから先の護衛は第一〇〇飛行団所属の四式戦『疾風』21機のみである。
一方海軍機は『零戦』『彗星』の編隊が米機動部隊攻撃に参加。
米機動部隊所属のF6Fヘルキャット80機程度は海軍の編隊を迎撃に向かい、陸軍機の編隊は交戦することなく沖縄にたどり着くこととなる。
日没直前に沖縄の米艦隊に低空から突入を開始した陸軍特攻隊は上陸支援艇LCS15号、掃海艇『スワロー』を撃沈。他に駆逐艦3隻、敷設艦1隻、掃海艇2隻を損傷させた。
  

4月27日 菊水四号作戦(海軍)開始に辺り、芙蓉部隊による夜間攻撃

既に当初の特攻隊を全力投入して一気に殲滅し、その後追撃戦に移行するという目的が崩壊し、なし崩し的に航空戦力を投入するだけとなった感のある菊水作戦ではあるが、海軍は一貫して米機動部隊を目標に攻撃してきた一方、陸軍は地上部隊支援を目的として主に輸送船団攻撃を目標としてきた。その為陸軍側から不満の声も上がりつつあるこの頃、海軍側でも主に沖縄の飛行場攻撃に専念してきた芙蓉部隊による再度の全力攻撃によって地上部隊支援をとの意見により菊水四号作戦が開始された。
28日からの各特攻隊出撃を前に沖縄の飛行場制圧を目的とした夜間襲撃作戦が芙蓉部隊によって行われ、同部隊の活動全期間における最大規模の攻撃隊が出撃する作戦となった。これは海軍側の菊水四号作戦に於ける主力部隊とも言えた。

27日夜から翌28日未明に掛けて出撃した戦力は第一次〜第六次攻撃隊全35機。これは鹿屋に進出した芙蓉部隊の全戦力を投入したに等しい機数である。
第一次攻撃隊: 『彗星』×3機(進撃は2機のみ)、北飛行場を爆撃。
第二次攻撃隊: 『零戦』×2機、北飛行場突入を断念し艦船を銃撃。1機未帰還。
第三次攻撃隊: 『彗星』×4機(進撃は1機のみ)、中飛行場を爆撃。1機未帰還(海上に不時着水)
第四次攻撃隊: 『彗星』×8機(進撃は5機のみ)、北・中飛行場及び伊江島飛行場を爆撃。1機未帰還。
第五次攻撃隊: 『零戦』×6機(進撃は5機のみ)、北・中飛行場、伊江島飛行場及び慶良間列島(飛行艇基地)を銃撃。1機未帰還。
第六次攻撃隊: 『彗星』×12機(進撃は10機のみ)、北・中飛行場を爆撃。2機未帰還。
この攻撃により17機が銃爆撃に成功、6機が未帰還となった。
米側の記録によると日本軍の砲撃を受けたと記録されているが、このとき第三二軍では砲撃をしておらず、芙蓉部隊の爆撃によるものと思われる。また新兵器である光電管爆弾を初使用している為、これを見間違え(閃光弾と見間違え?)たのではないかと言われている。

4月末の段階で沖縄に進撃可能な夜間攻撃の半数は芙蓉部隊所属機であり、他隊全部を併せても芙蓉部隊に及ばなくなっている。特攻作戦は兎も角、通常攻撃(夜間攻撃)における主力はこの頃から芙蓉部隊となりつつあった。
  

4月28日 菊水四号作戦(海軍) 第五次航空総攻撃(陸軍) 開始


4月29日 菊水四号作戦(海軍) 第五次航空総攻撃(陸軍) (2)


5月4日 菊水五号作戦(海軍) 第六次航空総攻撃(陸軍) 開始

5月10日 第七次航空総攻撃(陸軍) 開始
    

5月11日 菊水六号作戦(海軍) 開始  第七次航空総攻撃(陸軍)
   

5月17日 第八飛行師団による沖縄方面・米艦船攻撃


5月24日 義号作戦

熊本を出撃した独立飛行第三飛行隊所属の九七式重爆撃機に搭乗した義烈空挺隊(挺身第一連隊所属)による沖縄本島、北飛行場及び中飛行場に対する強行着陸・強襲特攻作戦。
出撃数12機に対し、機体不調により4機が途中で帰還し、残り8機が強行着陸した。(日本側報告による。米側報告には北飛行場に対して1機のみ胴体着陸したとのこと。)
戦果は駐機中の米軍機9機を破壊、その他30機程度が損傷したようだが、詳細は不明。
参加要員はほぼ全滅し、1名(?)のみ生存・脱出に成功した後第三二軍司令部に戦果報告を行ったとされている。
この作戦により北飛行場は一時的に混乱に陥ったが、この作戦の戦果を以後の航空作戦に生かすことは出来なかったという。(天候不順により航空作戦の継続が出来なかった為)
   

5月25日 菊水七号作戦(海軍) 第八次航空総攻撃(陸軍) 開始
   

5月26日 菊水七号作戦(海軍) 第八次航空総攻撃(陸軍) (2)
  

5月27日 菊水八号作戦(海軍) 開始
   

5月28日 菊水八号作戦(海軍) (2)  第八次航空総攻撃(陸軍) 開始
   

6月3日 菊水九号作戦(海軍) 第十次航空総攻撃(陸軍) 開始
   

6月21日 菊水十号作戦(海軍) 開始