解説 |
第二・第六・第七独立軽装甲車中隊を母体に編制。昭和14年12月〜昭和15年2月まで中支方面における作戦の殆どに参加、その後宣撫作戦、漢水作戦、予南作戦、第一次長沙作戦、確山作戦、第二次長沙作戦と昭和17年1まで転戦を重ねた。
その後京漢沿線地区掃討作戦、ベン陽作戦、浙カン作戦、に参加。
昭和18年5月からは江南殲滅作戦に参加。その後は漢口から厚和に移動して同地の警備に従事し、続いて平地泉警備に任じた。
大陸打通作戦では京漢作戦、霊員地区会戦、湘桂作戦に参加。後は終戦まで湖南省特別警備に当たる。
終戦後も昭和21年4月まで北京城内の警備に任じ、中国第九二軍の要請によって中国装甲総隊に対して戦車教育を実施する。その間内蒙古に侵入したソ蒙軍に対し、駐蒙軍が行った居留民を北京に引き上げる援護作戦に参加する。
連隊の復員完結は昭和21年5月20日であった。
戦車第十三連隊は全期間を中国大陸で作戦した稀有な連隊と言える。 |