解説 |
昭和17年6月に臨時編成が下命された師団であり、蒙疆地区所在の騎兵集団を基幹に在支戦車連隊等をもって編成された。
師団は駐蒙軍隷下にあって、包頭付近の警備を担当した。
その後戦車第八連隊はラバウルに転出(終戦までラバウルに配備)される。
昭和19年春、大陸打通作戦の開始に伴って第十二軍に編入、黄河南岸の鄭州に集結したが、第五戦車旅団戦車第十二連隊は包頭に残留した。
大陸打通作戦では師団は騎兵第四旅団と共に黄河南岸から南下するように見せかけて敵を西方山岳地帯から誘致してから外翼から旋回・包囲・撃滅する予定であった。昭和19年4月30日、作戦を開始し5月7日には龍門高地を占領したが、敵主力は西方に脱出し、捕捉撃滅は失敗した。
続く洛陽攻撃では敵撃滅の為に西方への追撃戦を展開。洛河方面に進撃、騎兵旅団が長水鎮の隘路を占領して退路を遮断することに成功した。その後の洛陽攻撃で歩戦砲教導で堅陣を攻略する。
約1,400キロにおよぶ連続機動こなした本作戦は戦車師団として歩戦砲の統合戦力を発揮した最初で最後の作戦となった。
その後7月、第六戦車旅団は湘桂作戦に参加。師団主力は昭和20年3月に老河口作戦に参加した。 |