解説 |
開戦直前に第二五軍の戦闘序列に入り第三戦車団に編入、海南島三亜に集結。開戦時のマレー半島攻略戦でタイ、シンゴラに上陸した。
昭和17年1月6日、スリムの激戦と呼ばれる戦いに参加する。連隊の第一中隊(九五式軽戦車)、第四中隊(九七式中戦車)で編制された島田戦車隊が安藤支隊に配属され、スリム台地に布陣した英印軍に対して無謀とも言える夜襲作戦を実施した。歩兵、工兵と共に戦車隊は英軍陣地を突破し、途中5箇所の爆破装置が仕掛けられた橋梁を突破。縦深6kmを3時間で突進してトロラクに突入し、さらに奥のスリム鉄橋を確保すると共に英軍旅団司令部、砲兵司令部を撃破、100両におよぶ車両を撃破することに成功した。これにより以後主力部隊の進撃の基となった。
シンガポール攻略後は戦車第二師団の隷下に入り満州に移駐。ソ満国境警備にあたった。
昭和19年10月、マニラに移動した連隊はルソン島南部防衛に就く。翌年1月の米軍リンガエン湾上陸の際に防衛戦を展開、米戦車団と激闘を繰り広げムニオス死守をはかる。だが連隊長(井田大佐)も戦死し、後方山地隊に撤退したときには車両の多くを失っていた。戦車を失った戦車兵たちは車載機関銃を降ろして歩兵として戦い続けることとなる。一方レイテ島に派遣された第一中隊もレイテ島内を転戦し全滅した。 |