1月3日 |
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マリアナを発進したB-29による大阪・名古屋方面空襲。
市街地に対する焼夷弾爆撃の実験を兼ねた爆撃であった。
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米軍 |
精密爆撃を固守した第21爆撃兵団司令官ハンセン准将も、第20航空軍司令部からの要求を拒みきれなくなり、市街地に対する焼夷弾爆撃の実験を受け入れることとなった。
この実験空襲の目標としたのは名古屋であり、出撃機97機。各機が2,240kgの焼夷弾と破砕爆弾1発を搭載しての出撃となった。
一部の機体は航法を間違え、大阪市街地に対して14:00より投弾を開始。予定通り名古屋に対して投弾に成功したのは57機であった。
名古屋に対して3600戸を全半焼させたが、第20航空軍にとっては期待したほどの効果はあげられなかった。
この爆撃作戦で5機を失った。
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日本軍 |
中部軍管区所属の第十一飛行師団が邀撃を担当した。同飛行師団では空対空特攻隊を編成していなかったが、自主的な特攻攻撃が相次いで行われた。
総出撃数、戦果報告、被害は不明。
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陸軍_ |
飛行第五戦隊 |
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『屠龍』にて邀撃を開始。伊藤藤太郎中尉機が2機撃墜破を果し、その際の被弾数は80発を越えたという。
坂口喜生曹長機がB-29の主翼付け根に37mm砲弾を撃ち込み撃墜に成功する。この敵機が編隊から離れ墜落していくところが写真に撮られ、新聞の紙面を飾ることとなる。
出撃機数不明。
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飛行第五五戦隊残置隊 |
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フィリピンに進出した本隊とは別に本土に残留した錬成中の隊員達によってB-29邀撃戦に参加。
指揮官となった代田実中尉を中心に邀撃に出撃し、中尉はB-29に体当たりを行って戦死した。他に安達武夫少尉が1機撃墜の戦果をあげる。
出撃機数不明。
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飛行第五六戦隊 |
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伊丹から出撃した『飛燕』は偏西風の乗る形でたちまち名古屋上空に達した。
機首を西に向けつつ高度10,000mまで達した編隊は邀撃を開始する。
涌井俊郎中尉機が体当たり攻撃を敢行し、B-29と共に名古屋東方方面に墜落、戦死した。
高向好雄軍曹機はB-29の尾部に体当たりを敢行。左翼端を失ったが帰還に成功する。
出撃機数不明。
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飛行第二四四戦隊 |
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浜松に進出した戦隊も邀撃に参加する。高度を下げ遠州灘方面に離脱するB-29の編隊に4機編隊(編隊長:第三中隊長白井長雄大尉)で攻撃を仕掛け、撃墜3機、撃破1機の戦果をあげた。
出撃機数不明。
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海軍 |
第二一〇航空隊 |
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明治基地を出撃し、零戦12機他、『月光』『彗星』を含む合計27機が出撃。
被弾3機の損害で撃墜1機、他に陸軍機と協同で1機撃墜の戦果をあげた。
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備考 |
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