帝國陸軍師団(8)

  第七十師団
   通称号   
編成 昭和17年2月2日
編成地 華中
補充担当 広島
解説 太平洋戦争開戦直後に中国各地にあった独立混成旅団を改編して編成された6個治安師団のうちの一つである。
独立混成第二十旅団(広島)に、広島師菅の諸部隊を加えて編成された師団である。編成後は第十三軍の指揮下に編入され上海方面の警備を担当した。
昭和17年5月〜9月にドゥーリットル空襲に対する報復作戦として中国大陸各地の飛行場制圧作戦に参加する。
以後各地の治安維持作戦に参加しつつ、昭和20年からの米軍上陸に備えて陣地構築・訓練を行ったが、その間に終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第六一旅団(広島)
  独立歩兵第八二大隊 〜 独立歩兵第八六大隊
歩兵第六二旅団(広島)
  独立歩兵第八二大隊 〜 独立歩兵第八六大隊

  第七一師団
   通称号   
編成 昭和17年4月16日
編成地 満州
補充担当 旭川
解説 満州・琿春駐屯隊であった第一四〇連隊を基幹として編成された師団である。
編成後も満州東部のソ満国境線の防衛にあたっていたが、南方戦線が悪化した昭和19年の満州兵力の転用時に移動する。
最初昭和19年7月、満州北部のチャムスに移駐。南方転出に向けて訓練を開始する。昭和20年1月、第十方面軍指揮下に入り、台湾に転用された。台中付近の防衛を担当したが、米軍の進攻が台湾を抜いて沖縄に上陸。以後連合軍による台湾進攻はなく、そのまま終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第八七連隊(旭川)
歩兵第八八連隊(旭川)
歩兵第一四〇連隊(旭川)

  第七二師団
   通称号   
編成 昭和19年4月4日
編成地 仙台
補充担当 仙台
解説 仙台・第二師団留守部隊を基幹として編成された師団である。
編成後は東部軍の指揮下にはいって本土防衛につく。
昭和20年2月には仙台から福島に移動し、本土決戦時の機動打撃師団として活用される予定であった。だが本土決戦が実現することなく、終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第一三四連隊(仙台)
歩兵第一五二連隊(山形)
歩兵第一五五連隊(会津若松)

  第七三師団
   通称号   
編成 昭和19年7月6日
編成地 名古屋
補充担当 名古屋
解説 昭和19年に備えて名古屋師菅で編成された師団である。
当初、本土防衛を担当し、中部軍指揮下で知多半島〜駿河湾の広大な地域の防衛を担当する。(後に豊橋〜浜名湖間に縮小)
昭和20年1月、第十三方面軍が新設されると指揮下に編入され、本土決戦に備えるが、実現することなく終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第一九六師団(名古屋)
歩兵第一九七師団(静岡)
歩兵第一九八師団(岐阜)

  第七四師団
          欠番

  第七五師団
          欠番

  第七六師団
          欠番

  第七七師団
   通称号   
編成 昭和19年3月27日
編成地 旭川
補充担当 旭川
解説 北海道防衛戦力の充実の為に、第七師団が道東に移動したのにともない編成されたのが第七七師団である。
防衛担当地域は大雪山系の西側地域であり、苫小牧東方に対上陸戦用の陣地を構築した。だが昭和20年5月、九州に進出が決定。鹿児島県加治木にて防衛陣地構築にあたるが、本土決戦は起こらず、そのまま終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第九八連隊(旭川)
歩兵第九九連隊(旭川)
歩兵第一〇〇連隊(旭川)

  第七八師団
          欠番

  第七九師団
   通称号   
編成 昭和20年2月6日
編成地 羅南
補充担当 朝鮮
解説 昭和20年2月に対ソ戦防衛強化の為に朝鮮・第十九師団の留守部隊と第二十師団の留守部隊を基幹に編成された師団である。
当初朝鮮半島北東部の図們付近で同地防衛の為の陣地構築を開始する。その間にソ連軍の進攻が始まり交戦、歩兵第二九一連隊が戦闘により甚大な被害を受ける。だが本格的な交戦前に終戦を向かえた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第二八九連隊(羅南)
歩兵第二九〇連隊(会寧)
歩兵第二九一連隊(羅南)
テストテキスト
とりあえず各師団の解説が何も無いページに適当に駄文を打ち込むためだけに記入している無意味テキスト。本来ならありえないテキスト。でもまぁとりあず適当に。これ打ち込んどかないとページのレイアウトが崩れるから仕方が無い。まぁこんなの打つぐらいなら、適当に師団の一つでも解説すれば良いだけなんだけど、いまは其れすらやりたくない。鬱ってるときにサイト弄ると碌な事が無いのは過去の経験から明白なので。なのでこのテキストを見つけてもなにも見なかった事にしてください。