零式艦上戦闘機 (各タイプ別 及び派生型解説) |
零式艦上戦闘機 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太平洋戦争中、日本海軍の艦上戦闘機として勇名を馳せた主力戦闘機である。 恐らく日本の戦闘機として、そして世界各国においても『ゼロ・ファイター』としてもっとも有名であろう機体である。 正直に言えば今更『零戦』の解説も無いだろうが、ここでは各種タイプと、『零戦』から派生したいくつかの亜種について纏めておこうと思う・・・・・主に私の資料として。 |
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零戦の開発経緯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
省 略 |
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十二試艦上戦闘機(A6M1・A6M2) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1939年(昭和14年)3月に完成した試作機。 1号機は三菱製発動機『瑞星』一三型(空冷複列14気筒・780HP)を搭載し、住友/ハミルトン金属製恒速2翅プロペラを装備していた。だが試験飛行時に異常振動が生じ、原因と思われたプロペラを恒速3翅タイプに変更された。(プロペラスピナーは無し) 2号機以降も試作され、その都度方向舵面積、垂直尾翼等の増積や角度変更などが行われた。 だが当初予定していた速度を得ることが出来ず、発動機の変更が決定される。 7機予定されたいた試作機の内、1・2・5・6号機は瑞星一三型を搭載したが、3・4・7号機は中島製発動機『栄』一二型(空冷複列14気筒・980HP)に変更され、これをA6M2と呼称する。 |
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零式艦上戦闘機一一型(A6M2・A6M2a) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『栄』一二型を搭載したA6M2はその後いくつかの改修が行われつつ1940年(昭和15年)7月末に『零式一号艦上戦闘機』として採用される。 当初の配備先は第一二航空隊、第一四航空隊の二つに限られていた為、書類上の分類は『局地戦闘機』とされていた。その為艦上戦闘機として設計されたにも拘らず、艦上機用の装備(着艦フック・クルシー無線帰投装置)は装備されていない。 同年末、翼端折たたみ機構を備えた『零式一号艦上戦闘機二型(A6M2b・二一型)』の開発に合わせてA6M2a『零式一号艦上戦闘機一型』と改められた。 生産数:59機 【武装】 20o機銃(九九式一号20o固定機銃一型改一:ドラム弾倉各60発)×2丁・翼内装備 7.7o機銃(九七式7.7o固定機銃:ベルト給弾各700発)×2丁・機首内装備 60kg爆弾×2発(搭載可能) |
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零式艦上戦闘機二一型(A6M2b) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(三菱製) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
航空母艦での運用テストの結果、エレベーターに載せたときのスペースの問題から翼端を左右50pづつ上方に折りたためる装置を設けることとなった。生産中にも各部の小改造は行われ、突出型平衝重錘(マス・バランス)を追加したタイプや補助翼タブなどを追加したタイプなどが存在する。 また一一型では省略された艦上機用装備(着艦フック・クルシー無線帰投装置)も装備されている。 開戦時の真珠湾攻撃に参加した全零戦は本機である。 二一型の生産は1940年(昭和15年)末からであり、三菱での生産は1942年(昭和17年)6月に740機生産で終了して三二型に切り替えられた。 |
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(中島製) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太平洋戦争開戦目前の1941年(昭和16年)11月、海軍は戦時態勢への移行に備えて中島飛行機に本機の生産を命じた。 中島製二一型の実戦配備は1942年(昭和17年)春頃から始まっている。 三菱製に対して外観上の変化はプロペラ・スピナーが延長されている。内部変更は不明だが、マスプロ生産に伴ない、艤装変更は行われていると思われる。 また三菱製とは工場出荷時の塗装の違いがあり、零戦に上面:濃緑色塗装が採用されるようになると胴体側面部分の塗装に違いがある。ただこれは二一型よりも、後の五二型の場合にはっきりしてくる。 中島飛行機における二一型の生産は1944年(昭和19年)春まで続けられた。生産数は2,628機。 【武装】 (※三菱・中島共に共通) 20o機銃(九九式一号20o固定機銃一型改一:ドラム弾倉各60発)×2丁・翼内装備 7.7o機銃(九七式7.7o固定機銃:ベルト給弾各700発)×2丁・機首内装備 60kg爆弾×2発(搭載可能) |
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(戦闘練習機) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後に三二型以降の零戦が部隊に行き渡り、充足してくると一部の二一型は訓練部隊に再配備されるようになった。この機体は武装・無線機・尾部覆等の装備を撤去した訓練専用機として配備された。 |
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(戦闘爆撃機型) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1944年(昭和19年)になってから配備された機体であり、中古の二一型が改修された。 旧式化した九九艦爆の代替機として胴体下面に特設爆弾架を設置したタイプであり250kg爆弾×1発を搭載出来る様にしたタイプ。通称『爆戦』 あ号作戦(マリアナ海戦)から投入され、のちに特攻機として使用された。 |
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零式艦上戦闘機三二型(A6M3) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三菱製発動機『栄』の出力向上型である『栄』二一型(空冷複列14気筒・二速過給器付・1,130HP)を搭載し、速度性能・高々度性能の向上と主翼長を短縮し、ロール性能の改善を図った、零戦の大規模改修タイプ。 発動機変更に伴ないカウルの再設計が行われ、気化器空気取入口が従来のカウル下側から上部に変更され、7.7o機銃の覆いが変更された。また重心位置変更に伴なう内部変更として発動機取付兼用防火壁位置の変更が行われ、その結果として潤滑油、胴体内燃料タンクの容量が減少した。その為主翼内燃料タンクの容量を増加したが、発動機の燃費低下と全体燃料容量の減少により航続距離が低下した。 プロペラは従来より直径で15p大きくなり、武装は20o機銃を従来より弾数の増加を図った100発入りドラム弾倉の九九式一号固定機銃三型に変更された。 上記主翼長の短縮は翼端折りたたみ部分を切り落とし、角型に整形したタイプであり、三二型最大の特徴となった。 試作1号機の完成は1941年(昭和16年)7月。当初期待されたほどの速度向上は望めず、二一型に比べて11km/hでしかなかった。一方ロール性能・急降下制限速度は向上したが、水平面での運動性能は低下した。そして航続性能は二一型の3,350kmに対し、2,380kmと大幅に低下する。これは後にソロモン航空戦に突入したときに致命的な問題となった。 海軍は本機を『零式二号艦上戦闘機』として制式採用。1942年(昭和17年)6月より量産体制にはいる。 部隊配備は陸上基地航空隊を中心に配備されたが、現地の部隊からは運動性能、航続性能の低下から不評を買い、またラバウル〜ガダルカナル島間の往復が不可能な為、結果343機で生産は打ち切られた。 三二型の生産は全機三菱でのみ行われた。 【武装】 20o機銃(九九式一号20o固定機銃三型:ドラム弾倉各100発)×2丁・翼内装備 7.7o機銃(九七式7.7o固定機銃:ベルト給弾各700発)×2丁・機首内装備 60kg爆弾×2発(搭載可能) |
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零式艦上戦闘機二二型(A6M3) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三二型の失った航続性能を回復する為に急遽改修されたタイプ。三二型に二一型と同じ主翼を装備したものであり、詰まるところ二一型の発動機変更タイプとも言える。だが記号名はA6M3と三二型と同じであった。 外翼内部に燃料タンク(45L)を増設、武装は三二型と同様に九九式一号20o固定機銃三型を搭載。その為主翼下面の点検扉付近が二一型から変更されている。他にも方向舵修正タブ等、若干の違いが見られる。 全般的に二一型の運動性能と、三二型の速度性能を併せ持った均整のとれた機体となった。 生産開始は1942年(昭和17年)12月。後述する二二甲型合わせ、全機三菱で生産され、生産機数560機。 【武装】 20o機銃(九九式一号20o固定機銃三型:ドラム弾倉各100発)×2丁・翼内装備 7.7o機銃(九七式7.7o固定機銃:ベルト給弾各700発)×2丁・機首内装備 60kg爆弾×2発(搭載可能) |
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二二甲型(A6M3a) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二二型の武装変更タイプ。 主翼内の20o機銃を長銃身タイプの九九式二号20o固定機銃三型に変更。 【武装】 20o機銃(九九式二号20o固定機銃三型:ドラム弾倉各100発)×2丁・翼内装備 7.7o機銃(九七式7.7o固定機銃:ベルト給弾各700発)×2丁・機首内装備 60kg爆弾×2発(搭載可能) |
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(一二型) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
海軍の公式文書中に記載されているという一二型というタイプ。 二二型・二二甲型の末期生産タイプに付けられた名称であり、翼端の折りたたみ機構を廃止したタイプと言われているが詳細は不明。正式な名称ではなく、一時的に便宜上付けられた名称だと言われている。 |
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零式艦上戦闘機五二型(A6M5) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
連合軍の2,000HP級戦闘機に対応する為に改造された機体であり、速度性能と火力の増強を主眼に開発された。 だが発動機は三二型・二二型と同様に『栄』二一型のままとされ、主に機体側の改良に留まった。 主な変更点は主翼長の変更であり、三二型同様翼端を切り詰めることによって速度性能の向上を狙った。その際に翼端形状は円弧形状とされ、三二型とは違っている。(翼端折りたたみ機構は廃止) また補助翼形状等、若干の変更も行われた。 カウル周り、排気管形状の変更も行われた。従来の集合式排気管方式を変更し、推力式単排気管方式を採用した。これによりロケット効果での速度向上が図られた。 また五二型からは発動機周りの消火装置を廃止し、代わりに主翼内燃料タンクに自動消化装置を設置した。 他にも無線装置の変更(九六式空一号を三式空一号に変更)した。 武装は九九式二号20o固定機銃四型に変更され、装弾数が各125発に増加されたとされるが不明。一般には四型を搭載したのは五二甲型よりと言われている。 二二型を改造して作られた試作1号機は1943年(昭和18年)6月に完成・初飛行し、最大速度565km/hを記録した。 だが三二型同様航続距離と、水平面の運動性能低下。それでも8月には五二型として制式採用が決定した。 五二型の生産機数は747機。その後五二甲型に移行した。 【武装】 20o機銃(九九式二号20o固定機銃四型:試製給弾装置各125発)×2丁・翼内装備 7.7o機銃(九七式7.7o固定機銃:ベルト給弾各700発)×2丁・機首内装備 60kg爆弾×2発または30kg爆弾×2発(搭載可能) |
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極初期生産型 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
五二型が制式採用された直後、主翼形状の変更は先行して行われていた為間に合ったが、推力式単排気管の導入が遅れたため、二二型と同様の集合排気管とカウルによって生産されたタイプ。 |
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初期生産型 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主翼形状・推力式単排気管共に変更が完了し生産開始された直後の機体であるが、初期の一部は下方排気管の一部が長く、また胴体部の排気管用耐熱板の小さいタイプが存在する。 だが基本的に五二型生産タイプと同じ機体といえる。 |
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五二型戦闘爆撃機(爆・戦) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二一型同様、五二型・五二甲型も爆戦とよばれる戦闘爆撃機が存在する。海軍工廠や現地部隊による改造で、爆弾懸吊方法は二一型の場合と一緒である。 |
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五二型夜間戦闘機(零夜戦) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
302空を初めとする本土防空部隊や131空などによって運用された夜間戦闘機型。 九九式二号20o固定機銃四型機銃を1丁、操縦席後方に斜め銃として搭載し。照準は前部固定風防枠の上部に取り付けた三式小型照準器によって行われた。 |
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五二甲型(A6M5a) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
五二型の武装強化タイプとして改修された。 主翼内20o機銃を九九式二号20o固定機銃四型に変更され、装弾数が各125発に増加した。また武装変更に伴ない主翼上面の弾倉パネル、下面点検口、薬莢放出孔位置が変化し、主翼前面の銃身付根にフェアリングが追加された。 三菱における生産は1944年(昭和19年)6月まで行われ、391機が生産さたれ。他に中島飛行機でも同年11月まで生産が続けられている。 【武装】 20o機銃(九九式二号20o固定機銃四型:ベルト給弾各125発)×2丁・翼内装備 7.7o機銃(九七式7.7o固定機銃:ベルト給弾各700発)×2丁・機首内装備 60kg爆弾×2発または30kg爆弾×2発(搭載可能) |
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五二乙型(A6M5b) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
五二型の再武装強化案により機首に搭載されていた7.7o機銃のうち、右側の1丁が13o機銃に換装された。これによりカウル形状の一部が変更(発射口・弾帯手入孔等)された。 また最大の特徴として五二乙型より初めて防弾対策が講じられ、正面風防内側に45o防弾ガラスが装着された。また主翼下面に150L統一型増槽の装着が可能となり、これは本機を戦闘爆撃機として使用する際の航続距離延長化を図ったものである。 三菱における生産は1944年(昭和19年)6月〜10月に470機が生産された。 【武装】 20o機銃(九九式二号20o固定機銃四型:ベルト給弾各125発)×2丁・翼内装備 7.7o機銃(九七式7.7o固定機銃:ベルト給弾700発)×1丁・機首内左側装備 13o機銃(三式13o機銃:ベルト給弾230発)×1丁・機首内右側装備 60kg爆弾×2発または30kg爆弾×2発(搭載可能) |
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五二丙型(A6M5c) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
五二型の再々武装強化タイプ。 主翼の20o機銃の外側に13o機銃各1丁つづを装備し、代わりに機首左側の7.7ミリ機銃を撤去した。ただしカウルは7.7o機銃を撤去しても機銃口はそのままとされている。 他に空対空戦闘に使用する爆弾用として爆弾架の固定化が行われた。また防弾面では五二乙型よりさらに強化され、操縦席後方に55o防弾ガラスと8o防弾鋼板が追加された。主翼外板も僅かに厚みを増したが、予定されていた胴体後部の内部燃料タンクの内袋式防弾タンクの増設は実施されなかった。 さらに胴体下落下式増槽の支持方法が変更され、4点支持式に変更されている。 五二丙型は装備・防弾強化による自重増加の為飛行性能が著しく低下してしまい、零戦各タイプの中でもっとも性能が低下したと言われている。 三菱での生産は1944年(昭和19年)10月、中島飛行機では同年12月より生産を開始する。三菱は本機を93機製造し、中島飛行機では五二型各タイプ(+六二型)合計で3,573機を製造した。 日立航空機でも生産予定だったが、実現はしなかった。 【武装】 20o機銃(九九式二号20o固定機銃四型:ベルト給弾各125発)×2丁・翼内装備 13o機銃(三式13o機銃:ベルト給弾各240発)×2丁・翼内装備 13o機銃(三式13o機銃:ベルト給弾230発)×1丁・機首内右側装備 60kg爆弾×2発または30kg爆弾×4発(搭載可能) ※小型ロケット爆弾用 |
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零式艦上戦闘機五三丙型(A6M6c) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
五二丙型の著しい重量増加に対応すべく、発動機を水エタノール噴射装置付『栄』三一型に換装する計画が進められ、1944年(昭和19年)11月に試作機が完成した。 だが水エタノール噴射装置の導入がなんらかの理由で困難となり、試作機1機のみで打ち切られた。 他に五二丙型に比べ、胴体内後部に内袋式防弾燃料タンク(140L)が追加されていた。 |
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零式艦上戦闘機六二型(A6M7) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1945年(昭和20年)になってから恒常化した特攻攻撃に対応する為に五二丙型の胴体下面に二五番爆弾(250kg爆弾)を埋め込み式にする案から生まれた機体。 また胴体内後部右側に内袋式防弾燃料タンクを五三丙型同様に追加装備し、各部縦通材、水平尾翼桁、取付ボルト等を強化し、急降下制限速度の増大を図った。 尚、この埋込方式による爆弾取付方法は五二乙型にも見られ、旧式機も改造によって同様の取付方法を採用している機体も存在する。 六二型は発動機に『栄』二一型を搭載しているが、五三丙型同様に『栄』三一型の搭載を指示されてもいる。これは水エタノール噴射装置付の『栄』三一型から水エタノール噴射装置を取り外した『栄』三一甲型、また『栄』三一甲型の過給器駆動歯車の増速比を二一型と同じにした『栄』三一乙型も搭載対象となった。ただし、これらはほぼ同規格であり、搭載上問題なしと判断された為、調達可能であれば搭載するように指示されていただけだということだ。 結局『栄』三一甲型、三一乙型を搭載した零戦六三型(?)は量産には到らなかった。 零戦シリーズ最後の量産機となったのが本機六二型である。 生産は三菱・中島の両社で行われたが、正確な生産数は不明。両社合わせて1,000機程度は生産されたようである。 【武装】 20o機銃(九九式二号20o固定機銃四型:ベルト給弾各125発)×2丁・翼内装備 13o機銃(三式13o機銃:ベルト給弾各240発)×2丁・翼内装備 13o機銃(三式13o機銃:ベルト給弾230発)×1丁・機首内右側装備 60kg爆弾×2発または30kg爆弾×4発(搭載可能) ※小型ロケット爆弾用 250kg爆弾×1発 |
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零式艦上戦闘機五四(六四)型(A6M8) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
改修、装備追加といった結果、相対的に性能が悪化した五二丙型以降の飛行性能回復は零戦にとって急務となった。その結果発動機変更が計画され、三菱製発動機『金星』六二型(空冷複列14気筒・1,560HP)への変更が行われた。 1945年(昭和20年)4月下旬に試作1号機が完成。発動機換装に伴ないカウルが再設計され、その為機首の武装は撤去された。 性能的には最大速度563km、上昇力が6,000mまで6分58秒と五二型とほぼ同じになった。 本機も五二丙型の胴体を元に改造された為、五四丙型と表記されてきたが、『海軍飛行機略符号一覧表』には五四型(A6M8)と表記されている。(これは五二丙型以降の機体は全て五二丙型の胴体を改造することが基本となっていた為、丙の表記が省略された為と思われる。) 試作2号機のテスト終了後に量産に移行したが、量産機完成前に終戦を迎えた。尚、量産機は六四型と呼称される予定であった。 【武装】 20o機銃(九九式二号20o固定機銃四型:ベルト給弾各125発)×2丁・翼内装備 13o機銃(三式13o機銃:ベルト給弾各240発)×2丁・翼内装備 60kg爆弾×2発または30kg爆弾×4発(搭載可能) ※小型ロケット爆弾用 |
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二式水上戦闘機(A6M2-N) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
海軍が開発を進めた川西製水上戦闘機『強風』の配備までの繋ぎとして計画されたのが零戦の水上機化であった。 改造・生産は中島飛行機が担当し、1941年(昭和16年)12月に1号機が完成した。 零式一号艦上戦闘機一型(A6M2a・一一型)を母体とし、胴体中央部に主フロート×1、両翼下に補助フロート×各1を設けた。(当然従来の車輪式降着装置は撤去) その為中島製ではあるが、プロペラスピナーは三菱製同様に短いタイプとなっている。 水上機化に伴ない各部の改修も行われ、潤滑油冷却装置の位置が後方・主フロート支柱位置にまで後退し、垂直尾翼も増積された。 応急的な機体としては非常に高性能を発揮し、1942年(昭和17年)7月に二式水上戦闘機として正式採用された。水上戦闘機というカテゴリーが活躍できる最末期の時代であり、後に配備された本命の『強風』が活躍の機会も無いまま短命に終わったことを考えれば非常に幸運であったといえる。 翌1943年(昭和18年)9月までに254機(327機?)が生産された。 【武装】 20o機銃(九九式一号20o固定機銃一型改一:ドラム弾倉各60発)×2丁・翼内装備 7.7o機銃(九七式7.7o固定機銃:ベルト給弾各700発)×2丁・機首内装備 |
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零式練習戦闘機一一型(A6M2-K) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(前期型) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
零戦二一型を改造して複座化した練習機。 飛行練習生の実用戦闘機への転換訓練をスムーズに行う為に改造された機体であり、改造は大村・海軍第二一航空廠が行った。 試作は1942年(昭和17年)11月に1号機が完成。テストの後、翌1943年(昭和18年)1月より生産(改造)が行われる。 武装は撤去されたが、練習用に7.7o機銃×1丁のみ残されたようだ。また整備上の簡略化から主脚覆の一部、主車輪覆が撤去された。 |
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(後期型) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1944年(昭和19年)後半から生産されたタイプであり、翼形状が零戦五二型のタイプ。 中島製二一型の生産中止に伴ない、部品の共通化を図る為の措置と思われる。 零式練習戦闘機の生産は二一航空廠(生産数238機)の他に日立航空機(生産数279機)においても生産された。 【武装】(共通) 7.7o機銃(九七式7.7o固定機銃:ベルト給弾700発?)×1丁・機首内右側装備? |
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零式練習戦闘機二二型(A6M5-K) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二一型をベースとした零式練戦一一型に引き続き、五二型をベースとした練戦。1945年(昭和20年)初めに大村・二一航空廠にて改造され、基本は練戦一一型と同じだが、武装は撤去された。 生産を担当するのは一一型に引き続き日立航空機で行われる予定だったが、量産準備中に終戦を迎えた。 |
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