帝國海軍の航空機 |
太平洋戦争当時の主要海軍航空機解説です。・・・簡略解説ですが。 詳しくは余所のサイトなり本を見てくださいね。好きだけど、詳しくはないので・・・おいらΣ( ̄▽ ̄;)あまり気にしちゃだめ(^^; ということで。 ここではほんと〜に概略の説明だけです。各派生型等については別枠で解説します。・・・・全部じゃないですが(^^; |
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九六艦戦[九六式艦上戦闘機] | |||
日本の航空機業界が世界に追いついた記念碑的存在。あらゆる基礎技術が本機によって確立した。 旋回性能に優れ、本機が日本戦闘機の格闘戦能力向上に貢献した実績はあまりにも大きい。 当時の中国との戦争でデビューし、日本戦闘機の優秀性を実証した。太平洋戦争初期にも第一線部隊で活躍した。 詳細はこちら |
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零戦[零式艦上戦闘機] | |||
九六艦戦で世界に追いついた日本が一気に飛び越えた日本を代表する名戦闘機。 艦上戦闘機でありながら陸上戦闘機を凌駕する性能を持ち、太平洋戦争初期における日本の快進撃は零戦と、ベテランパイロット達によるものであった。ただ後継機の開発に失敗した日本海軍は敗戦の時まで零戦を主力戦闘機として使い、そして敗れた。末期には特攻機として使われその生涯は日本そのものであった。 詳細(各タイプ別)はこちら |
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月光[二式夜間戦闘機] | |||
海軍の陸上偵察機として採用した機体に、斜め銃とよばれる装備を取り付けることによって誕生した日本海軍初の夜間戦闘機。夜間、敵爆撃機の後ろ上方もしくは下方を同航し、斜めに突き出した機銃で撃墜するという戦い方をした。この斜め銃は日本の夜間戦闘機必須装備となり、以後の開発・改造機にも採用された。 | |||
雷電 | |||
設計者堀越氏が零戦の次に開発した局地戦闘機。 大出力を得るために爆撃機用の大型発動機を採用し、無理やり戦闘機に取り付けたため、実に太っちょの・・・日本機離れしたデザインに仕上がっている。戦争末期のB-29迎撃戦[本土防空戦]に活躍を期待されたが、開発当初からの欠陥のため生産が遅れ十分な機数を確保できず、また時期を逸した為、活躍の機会を逃してしまった。 詳細はこちら |
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紫電/紫電改 | |||
川西飛行機が開発した水上戦闘機『強風』を自社開発で陸上機に転用したのが『紫電』である。 もともと高出力発動機『誉』を装備していた為、高出力・高馬力の陸上戦闘機に生れ変った。 ただ元水上機であり、中翼構造であった為脚部の構造に問題があった。これを全面的に改修したのが紫電21型・通称『紫電改』である。 『紫電改』の生産は少数機に留まったが、可能な限り集中運用方式をとり、生き残った熟練パイロットを集めた部隊を編成した為、非常に活躍したと言われている。四国・松島基地に展開した『343空・剣部隊』がそれである。 大戦後期においては零戦に代わり得る主力戦闘機として活躍した。 |
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震電 | |||
頭とお尻が逆さになった戦闘機・・・それが九州飛行機の開発したエンテ翼戦闘機、『震電』である。 プロペラを後ろに取り付け将来はジェットエンジンの装備をも視野に入れた設計は奇抜で、どこか未来的なフォルムをもつ機体である。機首に装備した30mm機関砲でB29迎撃を目指す天翔ける戦闘機・・・しかし、いくら理論的に正しい設計でも試作段階で敗戦となり、実戦には間に合わなかった。 |
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烈風 | |||
零戦の後継機として開発された次期主力艦上戦闘機『烈風』 零戦の奇跡をもう一度!と思い、打倒グラマンを目指した機体は全てにおいて大きくなり、その上予定していた発動機が当初予定の出力を発揮できなかった為、期待通りの仕上がりにはならなかった。 宿敵グラマンが打倒零戦を目指して軽量・高機動化を目指し『F8Fベアキャット』が成功したのに対し、打倒グラマンを目指した烈風は重戦闘機化への道を進んで・・・そして失敗した。 |
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二式水戦 | |||
三菱が開発した稀代の名戦闘機、零戦。この初期モデル11型にフロートを取り付けて水上戦闘機として開発されたのが二式水上戦闘機である。 開戦直後の南方地帯攻略を行った帝国海軍は現地での制空権確保を飛行場設営までの期間、本機によって行った。 航空機黎明期には水上機は陸上機と大差ない性能で開発・運用されたが、そのフロートを装備するという特殊性故に水上機は陸上機に性能面で離されていった。 大戦当時、世界中で水上戦闘機として実践面で活躍しえたのは本機だけであった。 製造は中島飛行機で行われた。 詳細はこちら(零式艦上戦闘機の項目内) |
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強風 | |||
開戦以来、前線で活躍した水上戦闘機『二式水上戦闘機』。 この後継機として開発・配備されたのが『強風』である。ただし開戦当初の進撃戦はなく、水上戦闘機に活躍の場はなかった。 製造元の川西航空では本機を陸上戦闘機として自社開発し、のちに『紫電』へと発展していくこととなる。 |
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九六式陸上攻撃機 | |||
九七式艦上攻撃機 | |||
九九式艦上爆撃機 | |||
第二次世界大戦中、もっとも多くの連合国艦船を沈めたといわれている九九艦爆。 機体性能よりも猛訓練を重ね、熟練のベテラン搭乗員達が発揮した神掛かった腕前こそが、この絶対的な戦果を叩き出した原動力である。だがそんな栄光の艦爆隊も劣速な機体性能では連合軍戦闘機にとっては標的でしかなく、急速に戦力を消耗していく。それでも後継機の開発の遅れにより、昭和19年まで急速に旧式化していく本機を駆り、連合軍艦艇を攻撃し続けた。 詳細はこちら |
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一式陸上攻撃機 | |||
彗星 | |||
敵の攻撃圏外が接近して敵空母を爆撃。そして一撃離脱で敵戦闘機を上回る高速性能で離脱するという用兵思想に基づき開発された艦上爆撃機。 だが液冷発動機『熱田』を装備した本機の開発・量産化は遅れ、戦場に登場したときにはその高速性能も平凡なモノとなっていた。 艦爆として開発されたが、当初は艦上偵察機として採用され、次に本来の艦上爆撃機、そして夜間戦闘機と生まれ変わり、また運用する空母が無くなった為、おもに陸上爆撃機として使用された。最後には特攻機として・・・ 詳細はこちら |
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天山 | |||
流星 | |||
九八式陸上偵察機 | |||
日中戦争当時、陸上で運用する長距離偵察機を保有していなかった海軍が、陸軍の九七式司令部偵察機に目を付け採用した偵察機。 陸軍の了解を得た上で艤装を海軍仕様に変更した九七式司令部偵察機二型を九八式陸上偵察機一一型として採用した。 後に発動機を零式艦上戦闘機と同じ栄一二型換装し、これを九八式陸上偵察機一二型という。 一一型・一二型合わせて50機が配備された。 |
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二式艦上偵察機 | |||
十三試艦爆として開発された彗星艦爆は太平洋戦争開戦直前の情勢から試作段階の機体に改造を施し艦上偵察機として制式採用した。当初こそ高速性能を誇り、快速の偵察機として重宝されたが、戦局が悪化するにつれ、その高速性も敵に対して優位を維持できなくなり、最後には未帰還を覚悟しての運用が続けられた。 詳細はこちら |
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彩雲 | |||
深山 | |||
銀河 | |||
連山 | |||
晴嵐 | |||
橘花 | |||
桜花 | |||
藤花 | |||
梅花 | |||
九六式陸上輸送機 | |||
零式輸送機 | |||
ダグラスDC-3輸送機を国産化した海軍の主力輸送機である。 | |||
十二試陸上攻撃機改 一式大型陸上練習機 一式陸上輸送機 |
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十二試陸上攻撃機改として多銃型陸上攻撃機の編隊攻撃機として配備されるも、運用思想そのものの間違いと、重装備による重量増加・運動性の低下により本来の目的には使われなかった。 結果搭乗員の操縦及び機上作業練習用として採用されるが、その後輸送機に改造されて制式採用される。多くは戦闘機隊・陸攻隊に配属され、資材む・人員輸送に使用された。一部の機体には落下傘部隊に用に特殊装備を施したものもある。 |
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