解説 |
樺太混成旅団・歩兵連隊1個・迫撃砲大隊1個・第三十警備隊といった戦力を纏めて編成されたのが第八八師団である。
師団は樺太の久春内〜真縫を中心に南北に分かれて防衛陣地を構築した。(師団主力は南部地域に配置)
ヨーロッパ戦域の戦闘がドイツの敗戦によって終結すると、ソ連軍は極東方面に兵力を廻し始めた。このソ連軍の動きは北緯50度線にて対峙する第八八師団でもキャッチすることが出来た。師団は第五方面軍の指揮下にあったが、この事態に第五方面軍からは具体的な作戦指導の指示はなかったという。
昭和20年8月9日、ソ連軍の侵攻開始は樺太でも行われ、国境線の武威加警察官派出所に対する砲撃によって開始された。北部担当の歩兵第一二五連隊は必死の抵抗を続け、8月15日の玉音放送によて終戦が知らされた。
だが20日になって突如ソ連軍は真岡(南部西海岸)に上陸を開始した。この時点で師団は一部が召集解除した部隊もあり、対応が遅れた。戦闘は一方的な状況だったという。ソ連軍の樺太制圧は全土を手中に納めるまで徹底して行われ、停戦交渉の日本軍軍使さえも次々と射殺したのである。停戦交渉は8月22日なってやっと成立した。 |