帝國陸軍師団(9)

  第八十師団
          欠番

  第八一師団
   通称号   
編成 昭和19年4月4日
編成地 宇都宮
補充担当 宇都宮
解説 第五一師団の留守部隊を基幹として編成された師団である。
昭和19年4月の編成当時、日本本土には僅か3個師団しか常駐しておらず、そのうち1個師団はサイパンに進出予定であった。(第四三師団
その為急遽本土防衛師団として5個師団が増設されることとなった。第八一師団はそのうちの1つであった。
編成後は茨城県西部に駐屯し、本土決戦用の機動打撃部隊に任命・訓練されたが、本土決戦は起こらず、そのまま終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第一七一連隊(宇都宮)
歩兵第一七二連隊(水戸)
歩兵第一七三連隊(高崎)

  第八二師団
          欠番

  第八三師団
          欠番

  第八四師団
   通称号   
編成 昭和19年7月6日
編成地 姫路
補充担当 大阪
解説 姫路・第五四師団の留守部隊を基幹に編成された師団である。
昭和19年末、沖縄防衛用に派遣されていた第九師団が台湾に抽出された為、穴埋めとして本土から派遣される予定であった。だが直前に大本営が本土防衛戦力を重視した為に取りやめられる。
昭和20年4月以降は神奈川県小田原を中心に沼津・国府津付近に進出して本土決戦に備えるが、まもなく終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第一九九連隊(姫路)
歩兵第二〇〇連隊(姫路)
歩兵第二〇一連隊(姫路)

  第八五師団
          欠番

  第八六師団
   通称号   
編成 昭和19年4月4日
編成地 久留米
補充担当 久留米
解説 久留米・第五六師団の留守部隊を基幹に編成された師団である。
昭和19年4月の編成当時、日本本土には僅か3個師団しか常駐しておらず、そのうち1個師団はサイパンに進出予定であった。(第四三師団)
その為急遽本土防衛師団として5個師団が増設されることとなった。第八六師団はそのうちの1つであった。
担当地区は鹿児島県・大隈半島と志布志湾沿岸地域。
昭和20年2月、独立混成第九八旅団が指揮下に編入され、大隈半島を担当。師団主力は志布志湾沿岸地域と分担することになった。だが防衛陣地構築中に終戦を迎えた。
余談では在るが、幻となった連合軍による日本本土上陸作戦『オリンピック作戦』の最初の上陸予定地点こそが志布志湾であったという。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第一八七連隊(福岡)
歩兵第一八八連隊(大村)
歩兵第一八九連隊(久留米)
歩兵第三六四連隊(敦賀 昭和20年2月編入))

  第八七師団
          欠番

  第八八師団
   通称号   
編成 昭和20年2月28日
編成地 樺太
補充担当 旭川
解説 樺太混成旅団・歩兵連隊1個・迫撃砲大隊1個・第三十警備隊といった戦力を纏めて編成されたのが第八八師団である。
師団は樺太の久春内〜真縫を中心に南北に分かれて防衛陣地を構築した。(師団主力は南部地域に配置)
ヨーロッパ戦域の戦闘がドイツの敗戦によって終結すると、ソ連軍は極東方面に兵力を廻し始めた。このソ連軍の動きは北緯50度線にて対峙する第八八師団でもキャッチすることが出来た。師団は第五方面軍の指揮下にあったが、この事態に第五方面軍からは具体的な作戦指導の指示はなかったという。
昭和20年8月9日、ソ連軍の侵攻開始は樺太でも行われ、国境線の武威加警察官派出所に対する砲撃によって開始された。北部担当の歩兵第一二五連隊は必死の抵抗を続け、8月15日の玉音放送によて終戦が知らされた。
だが20日になって突如ソ連軍は真岡(南部西海岸)に上陸を開始した。この時点で師団は一部が召集解除した部隊もあり、対応が遅れた。戦闘は一方的な状況だったという。ソ連軍の樺太制圧は全土を手中に納めるまで徹底して行われ、停戦交渉の日本軍軍使さえも次々と射殺したのである。停戦交渉は8月22日なってやっと成立した。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第二五連隊(札幌)
歩兵第一二五連隊(旭川)
歩兵第三〇六連隊(旭川)

  第八九師団
   通称号   
編成 昭和20年2月28日
編成地 札幌
補充担当 旭川
解説 終戦間近の昭和20年2月に編成された千島防衛師団である。
千島列島南部を担当していた第七七歩兵団・独立混成第四三旅団・独立混成第六九旅団を改編して編成された。
師団の主力部隊は択捉島・単冠湾を臨む天寧一帯を防衛地域とし、陣地構築にあたる。また師団の一部兵力は色丹島に派遣された。
師団はソ連の進攻により戦闘状態となったが、本格的な交戦となったのは終戦後の8月18日になってからであった。もっとも本格的な戦闘は占守島だけであり、師団が担当した地域では戦闘は殆ど戦闘は行われなかった。
択捉島は8月28日、色丹島は9月1日にソ連軍により占領され、師団は武装解除された。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   独立歩兵第二九四大隊 〜 独立歩兵第二九七大隊
独立歩兵第四一九大隊 〜 独立歩兵第四二四大隊
独立歩兵第四六〇大隊 〜 独立歩兵第四六一大隊