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第一三〇師団 |
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通称号 |
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鐘馗 |
編成 |
昭和20年4月12日 |
編成地 |
華南 |
補充担当 |
京都 |
解説 |
独立混成第十九旅団の半分(残りの半分は第一二九師団を編成)を基幹に編成された新設師団であり、編成後、広東方面の第三二軍の指揮下に編入され、警備・治安維持任務に従事した。
連合軍の上陸に備えバイアス湾正面配備、陣地構築中に終戦を迎えた。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第九三旅団 |
独立歩兵第九七大隊 ・ 独立歩兵第九九大隊 ・ 独立歩兵第一〇〇大隊 ・ 独立歩兵第二七七大隊 |
歩兵第九四旅団 |
独立歩兵第二八一大隊 ・ 独立歩兵第六二〇大隊 〜 独立歩兵第六二二大隊 |
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第一三一師団 |
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通称号 |
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秋水 |
編成 |
昭和20年2月1日 |
編成地 |
華南 |
補充担当 |
金沢 |
解説 |
大陸・武漢地区周辺に配置されていた部隊から兵力を抽出された戦力をもって新編された3個師団の一つ。
編成後、第二三軍の指揮下に編入され、粤漢線沿線の警備に従事する。
6月になってから支那派遣軍直轄部隊に編入され上海・南京方面に転進。安慶に到着した時点で終戦を迎えた。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第九五旅団 |
独立歩兵第五九一大隊 〜 独立歩兵第五九四大隊 |
歩兵第九六旅団 |
独立歩兵第五九五大隊 〜 独立歩兵第五九八大隊 |
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第一三二師団 |
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通称号 |
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振起 |
編成 |
昭和20年2月1日 |
編成地 |
華中 |
補充担当 |
大阪 |
解説 |
大陸・武漢地区周辺に配置されていた部隊から兵力を抽出された戦力をもって新編された3個師団の一つ。師団の母体となったのは上海に移動した第三九師団と湘桂作戦に参加して南下した第六八師団の残留部隊であり、警備・治安維持任務が主のため、砲兵部隊が配備されていない。
7月になって作戦師団に格上げ、師団砲兵隊が設けられたが、1ヶ月後には終戦を迎えた。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第九七旅団(大阪) |
独立歩兵第五九九大隊 〜 独立歩兵第六〇二大隊 |
歩兵第九八旅団(大阪) |
独立歩兵第六〇三大隊 〜 独立歩兵第六〇六大隊 |
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第一三三師団 |
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通称号 |
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進撃 |
編成 |
昭和20年2月1日 |
編成地 |
華中 |
補充担当 |
熊本 |
解説 |
大陸・武漢地区周辺に配置されていた部隊から兵力を抽出された戦力をもって新編された3個師団の一つ。母体は北京経由で満州に転用された第六三師団と、上海防衛の為に杭州湾に配備された第七十師団の残留部隊である。
編成後、第七十師団が警備にあたっていた寧波地区の警備・治安維持任務を引き継ぐ。
7月になって作戦師団に格上げ、師団砲兵隊が設けられたが、1ヶ月後には終戦を迎えた。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第九九大隊(熊本) |
独立歩兵第六〇七大隊 〜 独立歩兵第六一〇大隊 |
歩兵第一〇〇大隊(熊本) |
独立歩兵第六一一大隊 〜 独立歩兵第六一四大隊 |
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第一三四師団 |
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通称号 |
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勾玉 |
編成 |
昭和20年7月10日 |
編成地 |
満州 佳木斯 |
補充担当 |
満州 |
解説 |
昭和20年7月、満州の状況が絶望的となった為、在満日系邦人の男子35万人のうち、行政・警備・産業などに必要な10万名を除いた25万名を召集し編成された、所謂『根こそぎ動員師団』8個師団のうちの一つである。
編成は第十四国境守備隊と独立混成第七八旅団、富錦駐屯隊を基幹とし、チャムスで編成された。
ソ連軍侵攻時には依蘭方面に配備。ソ連軍が黒龍江を渡河し、松花江沿いに進撃してくると、師団主力は南下して方正南方に布陣し交戦に入った。富錦、チャムスに配備してあった部隊も交戦しつつ後退して師団主力と合流したが、まもなく終戦となった。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第三六五連隊(満州) |
歩兵第三六六連隊(満州) |
歩兵第三六七連隊(満州) |
野砲兵第一三四連隊(満州佳木斯) |
輜重兵第一三四連隊(満州佳木斯) |
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第一三五師団 |
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通称号 |
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真心 |
編成 |
昭和20年7月10日 |
編成地 |
満州 |
補充担当 |
満州 |
解説 |
昭和20年7月、満州の状況が絶望的となった為、在満日系邦人の男子35万人のうち、行政・警備・産業などに必要な10万名を除いた25万名を召集し編成された、所謂『根こそぎ動員師団』8個師団のうちの一つである。
編成は第二国境守備隊、第四国境守備隊、第四六兵站警備隊、独立混成第七七旅団を基幹とした。
ソ連侵攻時には第五軍に属し、虎林〜東安方面に布陣したが、一部に少数部隊を分散配置している地区で全滅した部隊が多かった。第一二六師団と共に牡丹江の在留邦人6万名の脱出を支援。また第一二四師団の防御ラインを突破したソ連軍に対し第三七〇連隊が防衛戦を展開し、ソ連軍の進撃を食い止めた。
8月14日からのソ連軍主力による猛攻に第一二六師団と共に多大な被害を払いながらも陣地を死守し、在留邦人は脱出に成功した。その後牡丹江北西の横道河子に撤退して、停戦命令を受領した。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第三六八連隊(満州) |
歩兵第三六九連隊(満州) |
歩兵第三七〇連隊(満州) |
野砲兵第一三五連隊(満州西東安)) |
輜重兵第一三五連隊(満州東安) |
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第一三六師団 |
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通称号 |
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不抜 |
編成 |
昭和20年7月10日 |
編成地 |
満州 |
補充担当 |
満州 |
解説 |
昭和20年7月、満州の状況が絶望的となった為、在満日系邦人の男子35万人のうち、行政・警備・産業などに必要な10万名を除いた25万名を召集し編成された、所謂『根こそぎ動員師団』8個師団のうちの一つである。
奉天省海城で編成され、第三方面軍直轄部隊として本渓湖付近で陣地構築にあたる。
師団の充足率60%程度で、ソ連軍の侵攻時には交戦することなく終戦を迎えた。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第三七一連隊(満州) |
歩兵第三七二連隊(満州) |
歩兵第三七三連隊(満州) |
野砲兵第一三六連隊(満州海城) |
輜重兵第一三六連隊(満州海城) |
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第一三七師団 |
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通称号 |
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扶翼 |
編成 |
昭和20年7月10日 |
編成地 |
満州 |
補充担当 |
満州 |
解説 |
昭和20年7月、満州の状況が絶望的となった為、在満日系邦人の男子35万人のうち、行政・警備・産業などに必要な10万名を除いた25万名を召集し編成された、所謂『根こそぎ動員師団』8個師団のうちの一つである。
編成後は第三四軍に編入され、朝鮮半島北部の防衛を担当。定平西側に布陣し、陣地構築にあたったが、交戦することなく終戦を迎えた。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第三七四連隊(朝鮮) |
歩兵第三七五連隊(朝鮮) |
歩兵第三七六連隊(朝鮮) |
野砲兵第一三七連隊(羅南) |
輜重兵第一三七連隊(羅南) |
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第一三八師団 |
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通称号 |
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不動 |
編成 |
昭和20年7月10日 |
編成地 |
満州 |
補充担当 |
満州 |
解説 |
昭和20年7月、満州の状況が絶望的となった為、在満日系邦人の男子35万人のうち、行政・警備・産業などに必要な10万名を除いた25万名を召集し編成された、所謂『根こそぎ動員師団』8個師団のうちの一つである。
吉林省で編成され、第三十軍の指揮下に編入されが、ソ連軍侵攻時には編成途中で、兵員は2000名程度でしかなかった。方面軍直轄部隊として撫順に移動したが、交戦する前に終戦を迎えた。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第三七七連隊(満州) |
歩兵第三七八連隊(満州) |
歩兵第三七九連隊(満州) |
野砲兵第一三八連隊(満州黄旗屯) |
輜重兵第一三八連隊(吉林省烟筒山)) |
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第一三九師団 |
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通称号 |
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不屈 |
編成 |
昭和20年7月10日 |
編成地 |
満州 |
補充担当 |
満州 |
解説 |
昭和20年7月、満州の状況が絶望的となった為、在満日系邦人の男子35万人のうち、行政・警備・産業などに必要な10万名を除いた25万名を召集し編成された、所謂『根こそぎ動員師団』8個師団のうちの一つである。
母体は第七七、七九、八十兵站警備隊を基幹として編成された。
第一方面軍(満州東部を担当)の直轄部隊として吉林省敦化で陣地構築にあたった。ソ連軍侵攻時に、防衛態勢を整えている間に終戦を迎え、武装解除した。
尚、この師団の師団長は富永恭次である。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第三八〇連隊(満州) |
歩兵第三八一連隊(満州) |
歩兵第三八二連隊(満州) |
野砲兵第一三九連隊(満州敦化) |
輜重兵第一三九連隊(満州敦化) |
テストテキスト
とりあえず各師団の解説が何も無いページに適当に駄文を打ち込むためだけに記入している無意味テキスト。本来ならありえないテキスト。でもまぁとりあず適当に。これ打ち込んどかないとページのレイアウトが崩れるから仕方が無い。まぁこんなの打つぐらいなら、適当に師団の一つでも解説すれば良いだけなんだけど、いまは其れすらやりたくない。鬱ってるときにサイト弄ると碌な事が無いのは過去の経験から明白なので。なのでこのテキストを見つけてもなにも見なかった事にしてください。 |
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