帝國陸軍師団(7)

  第六十師団
   通称号   
編成 昭和17年2月2日
編成地 華中
補充担当 佐倉
解説 太平洋戦争開戦直後に中国各地にあった独立混成旅団を改編して編成された6個治安師団のうちの一つである。
第六十師団は独立混成第十一旅団を基幹としており、上海〜蘇州にかけて揚子江南部の警備に従事している。
編成後も同地域の警備任務に従事したが、昭和20年1月からは米軍の上陸に備えての防衛陣地構築と上陸部隊警戒を実施する。だがそのまま終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第五五旅団(佐倉)
  独立歩兵第四六大隊 〜 独立歩兵第五十大隊
歩兵第五六旅団(佐倉)
  独立第四一一二大隊 〜 独立歩兵第一一四大隊

  第六一師団
   通称号   
編成 昭和18年3月13日
編成地 東京
補充担当 東京
解説 独立第六一歩兵団を基幹として編成された師団である。
師団改編後はビルマ戦線に転用された第十五師団の後任として南京に進駐した。以後同地付近の警備任務に従事する。
昭和20年2月、連合軍の上陸に備えて上海に移動、防衛陣地構築にかかるが、そのまま終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第一〇一連隊(東京)
歩兵第一四九連隊(甲府)
歩兵第一五七連隊(佐倉)

  第六二師団
   通称号   
編成 昭和18年5月1日
編成地 華北
補充担当 京都
解説 独立混成第四旅団と独立混成第六旅団の一部を基幹として編成された師団である。
山西省東部の警備を担当していた。
昭和19年3月、大陸打通作戦の一環として京漢作戦に参加した。
その後、太平洋方面の戦局悪化から大陸各地から兵力の抽出が行われ、第六二師団も沖縄に派遣された。当初は沖縄本島の普天間河付近に配備されたが、大本営の作戦転換から第九師団が台湾に配置換えされた。その為第六二師団は第九師団の担当であった本島中部に移動した。
沖縄戦が始まった昭和20年4月、米軍は師団の受け持ち地区である読谷村に上陸してきた。米軍の上陸を真正面から迎撃することとなったが、米軍の物量の前に抵抗ならず、米軍によって、本島を南北に分断させられてしまう。以後後退しつつ戦闘を継続するが、徐々に兵力を失っていく。第三二軍司令官牛島満中将は予備兵力を投入し、第六二師団は一時的に後退することが出来た。
5月になって日本軍は総攻撃を開始するも失敗した。その後首里を放棄し喜屋武半島に後退して最後の抵抗を試みる。師団長藤岡武雄中将も6月になってから自決し、師団は全滅した。
部隊編成  創設時
(終戦時)
   歩兵第六三旅団(敦賀)
 (独立歩兵第十一大隊 〜 独立歩兵第十四大隊)
歩兵第六四旅団(京都)
 (独立歩兵第十五大隊 ・ 独立歩兵第二一大隊 〜 独立歩兵第二三大隊)

  第六三師団
   通称号   
編成 昭和18年5月1日
編成地 華北
補充担当 宇都宮
解説 独立混成第十五旅団と独立混成第六旅団の一部、そして本土で編成された部隊をもって編成された師団である。
主に北京方面の警備任務に就いた。
昭和19年5月には大陸打通作戦の一環として京漢作戦に参加した。
昭和20年6月、満州本面に転用され通遼に進出した。ソ連軍が侵攻を開始すると奉天方面に後退。同地防衛にあたったが、その最中に終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第六六旅団
  独立歩兵第二四大隊 〜 独立歩兵第二五大隊
歩兵第六七旅団
  独立歩兵第七七大隊 〜 独立歩兵第八一大隊

  第六四師団
   通称号   
編成 昭和18年5月1日
編成地 華中
補充担当 広島
解説 独立混成第十二旅団と広島師菅で編成された部隊を基幹として編成された師団である。
編成後は華中方面の警備を担当していたが、昭和19年3月、支那派遣軍・直轄部隊として長沙に進出、第十一軍の指揮下で長沙の警備任務にあたった。
昭和19年10月、第二十軍の指揮下に編入され、第二次湘桂作戦に参加する。
その後は華南方面で防衛戦闘に参加するが、昭和20年になってからは華中方面に撤退し湖南省で防衛態勢を整える。その間に終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第六九旅団(広島)
  独立歩兵第五一大隊 〜 独立歩兵第五三大隊 ・ 独立歩兵第一三一大隊
歩兵第七十旅団(山口)
  独立歩兵第五四大隊 ・ 独立歩兵第五五大隊
  独立歩兵第一三二大隊 ・ 独立歩兵第一三三大隊

  第六五師団
   通称号   
編成 昭和18年5月1日
編成地 華中
補充担当 名古屋
解説 独立混成第十三旅団と名古屋師菅で編成された部隊を基幹として編成された師団である。
編成後は華北方面の警備を担当していたが、徐州の第十七師団が南方方面に転出したため、同地の警備にあたる為移動してきた。
昭和20年8月、同地にて終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第七一旅団(名古屋)
  独立歩兵第五六大隊 〜 独立歩兵第六十大隊
歩兵第七二旅団(名古屋)
  独立歩兵第一三四大隊 〜 独立歩兵第一三六大隊

  第六六師団
   通称号   
編成 昭和19年7月12日
編成地 台湾
補充担当 台湾
解説 台湾に駐留していた独立混成第四六旅団を基幹とし、さらに南方方面に転出する予定であったが輸送の問題により台湾に残留していった諸部隊、そして台湾の現地民である高砂族を加えて編成された師団である。
台湾防衛の為、台北・基隆方面に防御陣地を構築していた。だが連合軍は台湾を飛び越えて沖縄に侵攻し、台湾は後方に取り残される形となる。以後連合軍の上陸を受けることなく終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第二四九連隊(台湾)
歩兵第三〇四連隊(台湾)
歩兵第三〇五連隊(台湾)

  第六七師団
          欠番

  第六八師団
   通称号   
編成 昭和17年2月2日
編成地 華中
補充担当 大阪
解説 太平洋戦争開戦直後に中国各地にあった独立混成旅団を改編して編成された6個治安師団のうちの一つである。
第六八師団は独立混成第十四旅団(姫路)を基幹としており、揚子江沿岸の九江に司令部を設置、同地付近の警備を担当した。
昭和17年12月、大別山系にて作戦に参加。翌年4月には江南殲滅作戦に参加した。また昭和18年11月から翌年にかけて常徳殲滅作戦にも参加。師団は漢寿を占領し、さらに常徳南方の中国軍を撃破した。
昭和19年5月、湘桂作戦に参加、第十一軍直轄部隊として衡陽攻略戦に参加する。その後第二十軍の指揮下に移動、さらに南下して華南戦線でも戦闘に参加した。
昭和20年4月、華中方面の防衛強化の為に常寧に後退して防衛態勢を整えたが、その最中に終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第五七旅団(大阪屋)
  独立歩兵第六一大隊 〜 独立歩兵第六五大隊
歩兵第五八旅団(和歌山)
  独立歩兵第一一五大隊 〜 独立歩兵第一一七大隊

  第六九師団
   通称号   
編成 昭和17年2月2日
編成地 華北
補充担当 弘前
解説 太平洋戦争開戦直後に中国各地にあった独立混成旅団を改編して編成された6個治安師団のうちの一つである。
前身である独立混成第十六旅団(弘前)は、元々第一〇八師団が復員する際に同師団の人員・装備をもって編成された旅団であった為、第六九師団に改編する際にも補充業務は弘前師菅で担当した。
改編語の師団は第一軍の指揮下に編入され山西省中西部の警備任務に従事。師団司令部は汾陽に設置された。
昭和19年5月、大陸打通作戦(1号作戦)に参加。第一軍は京漢作戦を側面支援するために黄河を渡河した。
昭和20年になってから一応終了した大陸打通作戦したが、太平洋方面の戦局悪化により上海方面に移動。同地の防衛態勢強化に乗り出した。上海近郊の嘉定に進出し防衛陣地を構築している最中に終戦を迎えた。
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第五九旅団(弘前)
  独立歩兵第八二大隊 〜 独立歩兵第八六大隊
歩兵第六十旅団(秋田)
  独立歩兵第一一八大隊 〜 独立歩兵第一二〇大隊
テストテキスト
とりあえず各師団の解説が何も無いページに適当に駄文を打ち込むためだけに記入している無意味テキスト。本来ならありえないテキスト。でもまぁとりあず適当に。これ打ち込んどかないとページのレイアウトが崩れるから仕方が無い。まぁこんなの打つぐらいなら、適当に師団の一つでも解説すれば良いだけなんだけど、いまは其れすらやりたくない。鬱ってるときにサイト弄ると碌な事が無いのは過去の経験から明白なので。なのでこのテキストを見つけてもなにも見なかった事にしてください。