帝國陸軍師団(15)

  第一四〇師団
   通称号    護東
編成 昭和20年2月28日
編成地 東京
補充担当
解説
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第四〇一連隊
歩兵第四〇二連隊
歩兵第四〇三連隊
歩兵第四〇四連隊

  第一四一師団
          欠番

  第一四二師団
   通称号    護仙
編成 昭和20年2月28日
編成地 仙台
補充担当
解説
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第四〇五連隊
歩兵第四〇六連隊
歩兵第四〇七連隊
歩兵第四〇八連隊

  第一四三師団
   通称号    護古
編成 昭和20年2月28日
編成地 名古屋
補充担当
解説
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第四〇九連隊
歩兵第四一〇連隊
歩兵第四一一連隊
歩兵第四一二連隊

  第一四四師団
   通称号    護阪
編成 昭和20年2月28日
編成地 大阪
補充担当
解説
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第四一三連隊
歩兵第四一四連隊
歩兵第四一五連隊
歩兵第四一六連隊

  第一四五師団
   通称号    護州
編成 昭和20年2月28日
編成地 広島
補充担当
解説
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第四一七連隊
歩兵第四一八連隊
歩兵第四一九連隊
歩兵第四二〇連隊

  第一四六師団
   通称号    護南
編成 昭和20年2月28日
編成地 熊本
補充担当
解説
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第四二一連隊
歩兵第四二二連隊
歩兵第四二三連隊
歩兵第四二四連隊

  第一四七師団
   通称号    護北
編成 昭和20年2月28日
編成地 旭川
補充担当
解説 護北兵団(第一四七師団)として本土決戦に備えて編成された師団であり、沿岸防衛師団として留守第七師団を再動員して編成された。
同師団の中でも歩兵第四二五〜四二七連隊の3個連隊は貼り付け部隊と位置され、歩兵第四二八連隊が打撃反撃連隊とされた。
だが本土決戦、米軍の関東地方上陸に備えて千葉県茂原に移動。九十九里浜に防衛陣地を構築し、帝都の太平洋沿岸防御陣地を構築しつつ終戦を迎えた。
   
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第四二五連隊(旭川)
歩兵第四二六連隊(旭川)
歩兵第四二七連隊(旭川)
歩兵第四二八連隊(旭川)

  第一四八師団
   通称号    富嶽
編成 昭和20年7月10日
編成地 満州
補充担当 満州
解説 昭和20年7月、満州の状況が絶望的となった為、在満日系邦人の男子35万人のうち、行政・警備・産業などに必要な10万名を除いた25万名を召集し編成された、所謂『根こそぎ動員師団』8個師団のうちの一つである。
第六二兵站警備隊を基幹として編成され、第三十軍に編入された。
ソ連軍侵攻時にはもっとも後方に在った為、交戦することなく終戦を迎えた。
  
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第三八三連隊(満州)
歩兵第三八四連隊(満州)
歩兵第三八五連隊(満州)

  第一四九師団
   通称号    不撓
編成 昭和20年7月10日
編成地 満州
補充担当 満州
解説 昭和20年7月、満州の状況が絶望的となった為、在満日系邦人の男子35万人のうち、行政・警備・産業などに必要な10万名を除いた25万名を召集し編成された、所謂『根こそぎ動員師団』8個師団のうちの一つである。
当時北満の第五、第六、第七の各国境守備隊を基幹として編成された。編成後は第四軍に編入され、チチハルに駐屯して陣地構築あたる。
ソ連軍侵攻時には第四軍司令部と共にハルピンに後退し、ソ連軍を迎え撃つべく陣地構築をしているときに終戦を迎えた。
  
部隊編成  創設時 
(終戦時)
   歩兵第二七四連隊(広島)
歩兵第三八六連隊(満州)
歩兵第三八七連隊(満州)
テストテキスト
とりあえず各師団の解説が何も無いページに適当に駄文を打ち込むためだけに記入している無意味テキスト。本来ならありえないテキスト。でもまぁとりあず適当に。これ打ち込んどかないとページのレイアウトが崩れるから仕方が無い。まぁこんなの打つぐらいなら、適当に師団の一つでも解説すれば良いだけなんだけど、いまは其れすらやりたくない。鬱ってるときにサイト弄ると碌な事が無いのは過去の経験から明白なので。なのでこのテキストを見つけてもなにも見なかった事にしてください。