帝国陸軍 歩兵連隊(14)

歩兵第四〇〇連隊 〜 歩兵第四二九連隊

  歩兵第四〇〇連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四〇一連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四〇二連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四〇三連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四〇四連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四〇五連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四〇六連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四〇七連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四〇八連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四〇九連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一〇連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一一連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一二連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一三連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一四連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一五連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一六連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一七連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一八連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四一九連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四二〇連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四二一連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四二二連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四二三連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四二四連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説

  歩兵第四二五連隊
通称号 護北二二四五三
編成 1945年(昭和20年)5月9日
編成地 旭川
最終時の上級部隊と配置
第一四七師団 千葉県茂原
解説 護北兵団(第一四七師団)として本土決戦に備えて編成された連隊であり、歩兵第四二五〜四二八連隊の4個連隊は共に兄弟連隊である。
沿岸防衛師団として留守第七師団を再動員して編成された。
同師団の中でも歩兵第四二五〜四二七連隊の3個連隊は貼り付け部隊と位置され、歩兵第四二八連隊が打撃反撃連隊とされた。
だが本土決戦、米軍の関東地方上陸に備えて千葉県茂原に移動。九十九里浜に防衛陣地を構築し、帝都の太平洋沿岸防御陣地を構築しつつ終戦を迎えた。
   

  歩兵第四二六連隊
通称号 護北二二四五四
編成 1945年(昭和20年)5月9日
編成地 旭川
最終時の上級部隊と配置
第一四七師団 千葉県茂原
解説 護北兵団(第一四七師団)として本土決戦に備えて編成された連隊であり、歩兵第四二五〜四二八連隊の4個連隊は共に兄弟連隊である。
沿岸防衛師団として留守第七師団を再動員して編成された。
同師団の中でも歩兵第四二五〜四二七連隊の3個連隊は貼り付け部隊と位置され、歩兵第四二八連隊が打撃反撃連隊とされた。
だが本土決戦、米軍の関東地方上陸に備えて千葉県茂原に移動。九十九里浜に防衛陣地を構築し、帝都の太平洋沿岸防御陣地を構築しつつ終戦を迎えた。
   

  歩兵第四二七連隊
通称号 護北二二四五五
編成 1945年(昭和20年)5月9日
編成地 旭川
最終時の上級部隊と配置
第一四七師団 千葉県茂原
解説 護北兵団(第一四七師団)として本土決戦に備えて編成された連隊であり、歩兵第四二五〜四二八連隊の4個連隊は共に兄弟連隊である。
沿岸防衛師団として留守第七師団を再動員して編成された。
同師団の中でも歩兵第四二五〜四二七連隊の3個連隊は貼り付け部隊と位置され、歩兵第四二八連隊が打撃反撃連隊とされた。
だが本土決戦、米軍の関東地方上陸に備えて千葉県茂原に移動。九十九里浜に防衛陣地を構築し、帝都の太平洋沿岸防御陣地を構築しつつ終戦を迎えた。
   

  歩兵第四二八連隊
通称号 護北二二四五六
編成 1945年(昭和20年)6月7日
編成地 旭川
最終時の上級部隊と配置
第一四七師団 千葉県茂原
解説 護北兵団(第一四七師団)として本土決戦に備えて編成された連隊であり、歩兵第四二五〜四二八連隊の4個連隊は共に兄弟連隊である。
沿岸防衛師団として留守第七師団を再動員して編成された。
同師団の中でも歩兵第四二五〜四二七連隊の3個連隊は貼り付け部隊と位置され、歩兵第四二八連隊が打撃反撃連隊とされた。
だが本土決戦、米軍の関東地方上陸に備えて千葉県茂原に移動。九十九里浜に防衛陣地を構築し、帝都の太平洋沿岸防御陣地を構築しつつ終戦を迎えた。
   

  歩兵第四二九連隊
通称号
編成
編成地
最終時の上級部隊と配置
解説