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第九一師団 |
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通称号 |
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先 |
編成 |
昭和19年4月12日 |
編成地 |
千島 |
補充担当 |
旭川 |
解説 |
昭和19年4月、千島第一守備隊を基幹として編成された師団である。
師団の守備範囲は千島列島北端・占守島〜捨子古丹島である。主力は占守島と幌延島に配備された。戦闘は終戦を迎えた8月18日から行われた。停戦を無視し進攻してきたソ連軍との戦闘である。ソ連軍の占守島攻略に対し、占守島守備隊(約8,000名)はソ連軍を水際で撃破する。だが戦闘は即座に中止となる。第五方面軍からの停戦命令である。これにより8月21日、ソ連軍との間に停戦が成立した。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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独立歩兵第二八二大隊 〜 独立歩兵第二八四大隊 |
独立歩兵第二八六大隊 〜 独立歩兵第二八九大隊 |
独立歩兵第二九一大隊 ・ 独立歩兵第二九三大隊 |
戦車第十一連隊(満州斐徳) |
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第九三師団 |
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通称号 |
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決 |
編成 |
昭和19年7月6日 |
編成地 |
金沢 |
補充担当 |
金沢 |
解説 |
昭和19年7月に編成された本土決戦師団の一つで、金沢・第五二師団留守部隊を基幹に編成された師団である。陸軍歩兵学校や工兵学校といった実施部隊の人員を加えて編成された。
本土決戦時に関東方面の決戦兵団として整備され、師団主力は御殿場に配備された。他に千葉県北部に歩兵第二〇三連隊、松本に歩兵第二〇四連隊を配備した。だがその後連合軍による九十九里浜上陸に備えて千葉県北部に移動し、そのまま終戦を迎えた。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第二〇二連隊(富山) |
歩兵第二〇三連隊(金沢) |
歩兵第二〇四連隊(富山) |
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第九四師団 |
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通称号 |
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威烈 |
編成 |
昭和19年10月14日 |
編成地 |
マレー |
補充担当 |
大阪 |
解説 |
昭和19年10月、インパール作戦の失敗と、米中軍、英印軍がなだれ込んできた為ビルマ戦線は崩壊寸前になった。この状況下で戦力増強の為に独立第十二守備隊。第十八守備隊他を基幹として編成された師団である。
タイ南部〜マレー北部にかけて防衛を担当したが、連合軍と交戦する前に終戦を迎えた。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第二五六連隊(大阪) |
歩兵第二五七連隊(大阪) |
歩兵第二五八連隊(大阪) |
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第九六師団 |
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通称号 |
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玄 |
編成 |
昭和20年2月6日 |
編成地 |
京城 |
補充担当 |
福岡 |
解説 |
昭和20年2月、朝鮮半島南部の済州島防衛の為に編成された師団である。京城・第二十師団留守部隊と平壌・第三十師団留守部隊によって編成された。
編成後の4月、済州島に派遣され同地の防衛を担当したが連合軍による進攻はなく、そのまま終戦を迎えた。 |
部隊編成 |
創設時
(終戦時) |
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歩兵第二九二連隊(福岡) |
歩兵第二九三連隊(大村) |
歩兵第二九四連隊(大村) |
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第九九師団 |
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欠番 |
テストテキスト
とりあえず各師団の解説が何も無いページに適当に駄文を打ち込むためだけに記入している無意味テキスト。本来ならありえないテキスト。でもまぁとりあず適当に。これ打ち込んどかないとページのレイアウトが崩れるから仕方が無い。まぁこんなの打つぐらいなら、適当に師団の一つでも解説すれば良いだけなんだけど、いまは其れすらやりたくない。鬱ってるときにサイト弄ると碌な事が無いのは過去の経験から明白なので。なのでこのテキストを見つけてもなにも見なかった事にしてください。
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