戦時輸送船リスト
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赤城丸 (7387総トン 日本郵船 建造:1936年(三菱重工業長崎造船所) 戦没:    )

三菱重工業建造のA型貨物船の第1船

吾妻山丸 (7614総トン 三井物産 建造:    戦没:    )

熱田山丸 (8663総トン 三井船舶 建造:1937年三井玉 戦没:1941年12月16日 備考:防空基幹船)

三井船舶のニューヨーク航路用の船舶。
開戦時に船舶高射砲兵第一連隊第一大隊を搭載し、防空基幹船としてシンゴラ上陸作戦に参加する。
上陸作戦後の回送中に米潜『ソードフィッシュ』の雷撃を戦没。  

ありぞな丸 (9683総トン 大阪商船 建造:1920年三菱長崎 戦没:1942年11月14日ガダルカナル島 備考:防空基幹船)

開戦時の防空基幹船としては唯一の貨客船であり、船舶高射砲兵第二連隊連隊本部他を搭載し、フィリピン・アパリ上陸部隊として参加。その後リンガエン上陸船団に組み込まれ第二船隊第六分隊の一船として作戦に参加。引き続きジャワ上陸作戦ではクラガン方面上陸部隊第三分隊として参加した。
1942年(昭和17年)11月の第二次ガダルカナル島増援輸送作戦に参加。進撃中に米軍機の空襲により至近弾4発を受け機関室が浸水。これにより航行不能となり船体放棄が決定された。その後米軍機の空襲を受け続け炎上。同日夜に戦没した。

綾戸山丸 (9788総トン 三井船舶 建造:1939年三井玉 戦没:1942年7月東部ニューギニア・ブナ沖)

三井船舶のニューヨーク航路用高速貨物船であり、戦前の日本商船隊の中でもその筆頭に君臨する優秀貨物船。
『優秀船建造助成施設』の国家補助を受けて建造された船で、一朝有事には無条件で陸海軍に徴用される船であった。その為、設計段階からそれに見合った特殊な設計が施されている。その為本船は多数の武装を施すことが可能であった。だが開戦時には数門の高射砲を装備するだけで運用された。
開戦時、マレー半島コタバル上陸作戦に参加する。歩兵第五六連隊本部及び第三大隊他が乗船していた。上陸作戦開始から2時間後、低空から侵入してきた連合軍機2機が銃爆撃を開始。至近弾によって揚陸設備の一部と救命艇2隻が破壊された。
その後も空襲を受け被弾。搭乗中の船舶砲兵隊員は全員死傷した。僚船にも被害が続出した為、船団は一時コタバル沖から離れパタニ沖に投錨し応急修理を開始した。
翌12月9日に再びコタバル沖に接近し物資の揚陸を開始する。
1942年(昭和17年)7月、東部ニューギニアのブナ上陸部隊に作戦参加。このとき敵機の空襲を受け戦没した。

淡路山丸 (9794総トン 三井船舶 建造:1939年三井玉 戦没:1941年12月12日マレー半島コタバル沖)

三井船舶のニューヨーク航路用高速貨物船であり、戦前の日本商船隊の中でもその筆頭に君臨する優秀貨物船。
『優秀船建造助成施設』の国家補助を受けて建造された船で、一朝有事には無条件で陸海軍に徴用される船であった。その為、設計段階からそれに見合った特殊な設計が施されている。その為本船は多数の武装を施すことが可能であった。だが開戦時には数門の高射砲を装備するだけで運用された。
開戦時、マレー半島コタバル上陸作戦に参加する。歩兵第五六連隊第一大隊他と、コタバル上陸支隊司令部が乗船していた。上陸作戦開始から2時間後、低空から侵入してきた連合軍機2機が銃爆撃を開始。甲板上に陸揚げのために積み上げられた物資・ガソリンが引火爆発し、前部甲板は一瞬で火に包まれる。
その後も空襲を受け、僚船にも被害が続出した為、船団は一時コタバル沖から離れるが淡路山丸は損傷激しく残される形となった。
その後再開した上陸作戦によって戦闘は終結したが、炎上した淡路山丸はそのまま放置され、12日に侵入したオランダ潜水艦の雷撃を受け戦没した。
本船は太平洋戦争に於いて損失第一号船となった。



おれごん丸 (5873総トン 川崎汽船 建造:    戦没:    )

ニューヨーク航路に投入された中速船。1936年(昭和11年)4月沫り同社の中南米西岸航路の開設に伴ない転用。


かんべら丸 (6477総トン 大阪商船 建造:1936年(三井物産造船部) 戦没:   )

第二次船舶改善助成施設建造船で建造された快速優秀船であり、豪州航路に配船された。


九州丸 (8666総トン 原田汽船 建造:    戦没:    )

清忠丸 (3079総トン 宇部セメント製造  建造:1936年(三菱重工業神戸造船所) 戦没:   )

日本初のセメント運搬船。愛称は『瀬戸内の女王』
『船体は緑、青、白の3色で塗られて、中央に宇部セメ ントの大きな白文字が書かれていました。船舶はほとんど黒一色の 時代にカラフルな清忠丸はいかにも目立ち、大きな宣伝効果を発揮』宇部興産Webサイトより引用)

金城山丸 (3262総トン 三井物産船舶部 建造:1936年(三井物産造船部) 戦没:1942年5月4日)

満州建国に伴い活発化した大連経由便に、直行便(横浜〜大連)を配船すべく三井物産船舶部が竣工させた中型貨物船。
日中戦争中には徴用され台湾方面への不定期便にも就航。太平洋戦争中は特設巡洋艦として徴用された。
1942年4月10日、新設された第二海上護衛隊(東京〜トラック)に配備されたが、翌5月4日には米潜『グリーンリング』の雷撃を受け戦没した。

金剛丸 (7105総トン 鉄道省  建造:1936年(三菱重工業長崎造船所) 戦没:   )

関釜連絡船に配船された貨客船であり、建造当時の日本商船最速のタービン船である。
全船室に邦船としては初の冷暖房完備船であり、補助機器を全て電化、交流を採用した。
(同系船:興安丸)

崎戸丸 (7126総トン 日本郵船 建造:    戦没:    )

佐倉丸 (9246総トン 日本郵船 建造:1940年三菱長崎 戦没:1942年3月1日ジャワ島バタビヤ 備考:防空基幹船)

ニューヨーク航路用高速貨物船。戦前の日本商船隊の中でもその筆頭に君臨する優秀貨物船であり、同航路を運行する三井船舶の淡路山丸型のライバル船。
『優秀船建造助成施設』の国家補助を受けて建造された船で、一朝有事には無条件で陸海軍に徴用される船であった。その為、設計段階からそれに見合った特殊な設計が施されている。
開戦時に船舶高射砲兵第二連隊の一部を搭載し、マレー半島最初の激戦地となったコタバル上陸作戦に参加し、損傷。
1942年(昭和17年)3月1日、ジャワ攻略作戦の途中でスラバヤ沖海戦が発生。この為上陸部隊の陸地接近は控えていたが、敵艦隊撃滅の報により深夜接近して上陸を開始した。この際に連合軍機による空襲と、連合国軍残存艦隊の巡洋艦『パース』『ヒューストン』が泊地に突入してきた。これがバタビヤ沖海戦であり、迎え撃った第七戦隊他の護衛部隊だったが、敵艦を撃滅させたが、重巡『最上』が発射した魚雷が揚陸作業中の味方輸送船団に命中するという事件が発生した。商船3隻が被雷損傷。佐倉丸は被雷戦没した。

笹子丸 (9258総トン 日本郵船 建造:    戦没:    )


佐渡丸 (9246総トン 日本郵船 建造:1939年三菱長崎 戦没:1942年11月18日ショートランド 備考:防空基幹船)

日本郵船が建造したニューヨーク航路用の船舶。
開戦時に船舶高射砲兵第一連隊第三大隊他を搭載し、防空基幹船としてシンゴラ上陸作戦に参加する。その後は上陸作戦に参加していないが、1942年(昭和17年)11月の第一二次及び第二次ガダルカナル島増援輸送作戦に参加。
第一次作戦では揚陸作業中に米軍機が飛来した為、作業を中止して一旦退避するが、再度接近揚陸出来ず、若干の積荷を残したまま退避した。
第二次作戦では進撃中に空襲を受け爆弾3発が命中。船橋破壊・操舵不能に陥り、搭乗していた第三八師団司令部他を駆逐艦に移乗させて反転した。退避中にも空襲を受け、直撃弾2発、他至近弾多数により炎上するもショートランドに到着した。
だが直後の11月18日、ショートランドで再び空襲にあい戦没。

善洋丸 (6441総トン 東洋汽船 建造:1937年三菱横浜 全損(除籍):1942年8月2日マレー西方 備考:防空基幹船)
開戦時にマレー半島ナーコンスリタムラート(タイ領)上陸作戦に参加。その後も陸軍部隊を輸送して東部インドネシア方面に転戦し、アンボン上陸作戦、チモール島クーパン上陸作戦に参加する。
1942年(昭和17年)6月にはミッドウェー作戦に参加。作戦失敗後、南方輸送に転じたが、8月2日にマレー西方で被雷。全損扱いとなった。