帝国陸軍 
砲兵情報連隊
気球連隊


  砲兵情報第一連隊
通称号 宗一二二一
編成 昭和13年2月9日
編成地 満州・ハルピン
最終時の上級部隊と配置
第五六軍 福岡県篠栗
解説 砲兵情報班として誕生した情報部隊であり、砲兵の射撃時における情報獲得・広地域の測量と高層気象観測を主任務とする。その為当初は連隊本部・測地中隊・標定中隊・音源中隊で編制され、輓馬編制である。
支那事変では活躍の機会が無く、連隊編制後にノモンハン事件から主要作戦に参加するようになった。だが必ずしも活躍できた訳ではなく、砲兵部隊の展開に時間を要し充分な活躍が出来た訳ではなかった。この教訓により車両編制に改編される。(関特演より)
1943年(昭和18年)9月より悲徳に移駐。翌1944年(昭和19年)9月に測地中隊が独立して測地第一中隊として沖縄に派遣される。
1945年(昭和20年)3月、本土決戦に備え内本土に移動開始。北九州防衛の第五六軍に編入され、作戦準備中に終戦を迎えた。

  砲兵情報第二連隊
通称号 捷三六〇九
編成 昭和13年2月9日
編成地 満州・ハルピン
最終時の上級部隊と配置
第五二軍 千葉県八街町
解説 在満州砲兵部隊からの要員で編制を開始。編制担当は野砲兵第二連隊長が行った。
1938年(昭和13年)4月、東寧万鹿溝に移駐。翌1939年(昭和14年)のノモンハン事件に応急派兵を下令された際に写真班のみが出動した。
9月に応急派兵が解除された後の12月に音源中隊が編制され、連隊の編制が完結した。
1941年(昭和16年)7月、関特演に自動車編制に改編して参加。
1945年(昭和20年)3月、本土決戦に備え内本土に移動開始。千葉県九十九里浜防衛の第五二軍砲兵隊に編入され、作戦準備中に終戦を迎えた。

  砲兵情報第三連隊
通称号 建一二三〇七
編成 昭和20年2月3日
編成地 横須賀
最終時の上級部隊と配置
第五一軍 茨城県河和田村
解説 横須賀に在った砲兵情報連隊補充隊が編制を担当した連隊であり、第十二方面軍に編入され鹿島灘正面に展開した。
1945年(昭和20年)6月より第五一軍砲兵隊に編入。作戦準備中に終戦を迎えた。

  砲兵情報第四連隊
通称号 秀一二三〇八
編成 昭和20年3月1日
編成地 横須賀
最終時の上級部隊と配置
第十三方面軍 愛知県豊川
解説 横須賀に在った砲兵情報連隊補充隊が編制を担当した連隊であり、第十三方面軍直轄部隊として豊川及び浜名湖周辺に展開した。
1945年(昭和20年)7月より第五四軍砲兵隊(第四砲兵司令部)が編制されるが、連隊内に砲兵隊が編入されないという不思議な編制がとられた。
作戦準備中に終戦を迎えた。

  砲兵情報第五連隊
通称号 断一〇二〇
編成 昭和15年7月15日
編成地 習志野
最終時の上級部隊と配置
第五三軍 小田原
解説 留守第一師団長が編制を担当し、当初より自動車化編制を行った連隊である。編制完結と同時に第一砲兵隊に編入され南支に派遣、香港攻略作戦に参加すべく現地で教育訓練を受けた。
開戦時には香港攻略戦に参加。その後フィリピンに転用され第二次バターン攻略作戦に参加する。
1942年(昭和17年)5月、関東軍に編入。北満・孫吾に駐屯し、以後北満州防衛に従事する。
1945年(昭和20年)3月、本土防衛の為、第五三軍の指揮下に編入。相模湾に展開し、対上陸作戦準備に入る。6月には軍砲兵隊(第十一砲兵司令部)に編入される。そして作戦準備中のまま終戦を迎える。

  砲兵情報第六連隊
通称号 鋒一二四〇二
編成 昭和20年2月3日
編成地 和歌山県加太町
最終時の上級部隊と配置
第五七軍 宮崎県佐土原町
解説 重砲兵第五連隊が編制を担当。
2月18日より第十六方面軍に編入され宮崎正面に移動。4月には第五七軍砲兵隊(第一砲兵司令部)に編入され作戦準備中に終戦を迎えた。

  気球連隊
通称号 東部七六
編成 昭和11年5月
編成地 千葉
最終時の上級部隊と配置
参謀本部 茨城県大津
解説 前身である気球隊を連隊に改編(昭和11年平時編制全面改正)し、航空科から砲兵科に移管された。
支那事変では独立気球第一〜第三中隊を編制して作戦に参加。
ノモンハン事件でも臨時独立気球中隊を編制して作戦に参加したが、ソ連軍航空機により制空権を獲られ、少なからず損害を出している。
太平洋戦争開戦時には独立気球第一中隊を編制しマレー作戦に参加。シンガポール攻略作戦における重砲兵部隊の射撃観測に協力し成果を上げている。その後フィリピンに転用され第二次バターン攻略戦、コレヒドール島攻略戦に参加する。
だがその後は戦局悪化と制空権の問題により気球に活躍の機会は無く、防空気球部隊へと改編される。
さらに気球連隊の転機が訪れる。1944年(昭和19年)9月より参謀総長の隷下に編入され、『ふ号作戦』を進めることとなる。これは偏西風を利用した風船爆弾による米本土直接爆撃作戦である。
茨城県大津、千葉県一宮、福島県勿来に展開し、極秘作戦として放球を開始する。(その後平市(現:福島県いわき市))に移動)
戦果は風船爆弾約15000個を放球し、若干数が米本土に落下して森林火災を引き起こしている。