南太平洋海戦
[1942年(昭和17年)10月26日]
 





    1942年10月26日・・・激戦の続く太平洋・南東方面、ソロモン海域における日米の死闘。
その中心であったガダルカナル島を巡る一連の戦闘において発生した日米空母同士の3回目の空母決戦が南太平洋海戦(米国名:サンタクルーズ沖海戦)である。
そして・・・日本海軍がアメリカ艦隊を相手に互角以上の戦いをし、勝利した最後の戦いであった。



当時ソロモン諸島の南端、ガダルカナル島を巡る戦いは佳境を向かえていた。
アメリカ軍の攻撃以来、2度の陸軍派遣・反攻作戦が失敗した為、3度目の反攻作戦を計画した陸軍は精鋭第2師団の投入を決定した。
海軍はこの輸送・支援に全力を尽くすと約束し、当時同方面に配備された艦隊・航空部隊による全力投入を行っていた。その中に、日本海軍機動部隊・第3艦隊がいた。
陸軍部隊のガダルカナル島総攻撃開始に協力すべく、作戦に参加したのだ。



第3艦隊・・・6月のミッドウェー海戦で敗退した第1航空艦隊(通称:南雲機動部隊)の残存戦力を基に再建された建制の艦隊である。
かつての第1航空艦隊のような空母と一部駆逐艦以外は借り物の艦隊ではなく、れっきとした海軍の主役たる編成をもつ艦隊の誕生であった。

  第3艦隊の編成はこちら[編成時]



当時トラック諸島にいた連合艦隊司令長官 山本五十六大将の指揮のもと、近藤中将以下の戦力がガダルカナル周辺に展開した。
陸軍部隊の輸送協力・直接護衛は第8艦隊(司令長官:三川軍一中将)をもってする外南洋部隊が担当。
ラバウルの基地航空部隊・第11航空艦隊(司令長官:草鹿任一中将)がガダルカナル島と周辺海域の米艦隊攻撃を担当。
支援部隊・第2艦隊(司令長官:近藤信竹中将)を基幹とする部隊がソロモン諸島東方に展開した。またこの部隊は第3艦隊から派遣された別動の空母部隊・第2航空戦隊(司令官:角田覚治少将)を持ち、必要に応じてガダルカナル島攻撃も担当することになっていた。
そして第3艦隊(司令長官:南雲忠一中将)の機動部隊は近藤部隊のさらに東方に位置し、米機動部隊に備えていた。
敵発見・攻撃の際には第2艦隊に分派されている第2航空戦隊も南雲部隊の指揮下に戻ることになっていた。



作戦全般の流れは以下の通り
10月11日   機動部隊・支援部隊、共にトラック環礁を出撃。
10月13日 複数の空母を含む米艦隊がガダルカナル島東方海域にいる事が判明。
挺身隊(指揮官:栗田健男中将)の戦艦2隻がガダルカナル島砲撃に成功。
10月16日 ガダルカナル島南方110海里に米空母を発見。
10月17日 第2航空戦隊によるガダルカナル島泊地付近の艦船攻撃。
10月21日 ガダルカナル島南東300海里に敵艦隊発見。但し、空母を認めず。
10月22日 第2航空戦隊の旗艦、空母 飛鷹 の主機械故障。修理のためにトラック環礁に帰投。
旗艦を 隼鷹 に移す。
ガダルカナル島の陸軍第2師団、総攻撃開始日を延期。
10月23日 陸軍部隊、総攻撃開始を更に1日延期
ガダルカナル北東400海里で米哨戒飛行艇に機動部隊(南雲部隊)、発見される。
10月24日 支援部隊(近藤部隊)も米哨戒飛行艇部隊に発見される。
10月25日 第2航空戦隊、ガダルカナル島空襲。
10月26日 南太平洋海戦、勃発。

挺身隊の戦闘に関しては別の解説にて説明するとして、ここで重要なのは第2航空戦隊の動きである。

10月17日、連合艦隊司令長官の命令により、近藤中将は第2航空戦隊にガダルカナル島周辺海域の艦船攻撃を命じた。
投入された戦力は 飛鷹 隼鷹 の搭載機で零戦18機・九七艦攻18機である。
当初、九九艦爆を投入する予定であったが、各種の情報からガダルカナル島近海には大型艦の存在が疑問視されていたこと、小型艦に少数機による急降下爆撃を仕掛けても戦果は少ないだろうということ、また陸上攻撃の可能性が高いこと・・・これらの理由により、2航戦司令部では対地攻撃力の強力な九七艦攻を使用することとした。
結果、作戦は失敗した。
ガダルカナル島上空で米戦闘機に迎撃された攻撃部隊 隼鷹飛行隊は九七艦攻9機中、実に8機を失ったのである。(飛鷹隊は交戦しなかった。)



10月22日、第2航空戦隊旗艦 飛鷹 が戦列を離れた。故障の為である。
もとより商船を改造した特設空母である飛鷹 は完成当時より機関部に欠点をもっていた。一定の速度で航行する上では非常に経済的だが、戦闘行動を取り、頻繁に速度を変える軍艦にとっては非常に特殊で、扱いづらいものであった。
結局戦闘航行不可能だが、自力でトラック諸島に戻れると判断された飛鷹は旗艦を隼鷹に移し、トラック諸島へと帰投した。
その際、搭載機を失った隼鷹に飛行隊の一部を移している。
また翌日(10月23日)飛鷹飛行隊は飛行長(飛行長:三重野武少佐)の指揮のもと、飛鷹を発艦し、ラバウルに向かった。陸上基地航空部隊の指揮下に入るためである。

  移動した飛行隊機数
  零式艦戦16機、九九艦爆17機



10月23日、機動部隊本隊が、24日には支援部隊が敵索敵機により、発見される。
もはや、日本海軍の陣容は総てばれたと思われた。



10月25日、支援部隊は連合艦隊司令長官(山本五十六大将)の直接命令により第2航空戦隊隼鷹から攻撃隊を発進。陸軍第2次総攻撃支援のため飛行場付近の敵砲兵陣地を攻撃するためである。
攻撃部隊編成は、零戦・九九艦爆 各12機である。

また午前中、再び機動部隊・本隊は敵飛行艇による接触を受けた。一度北北東方面に針路を取り、ガダルカナル島から離れたが、南東方向を厳重に警戒しつつ、支援部隊に対する間接援護を実施。一方支援部隊でも翌26日にも航空支援が必要だろうと、夕刻より南下を開始。ガダルカナル島に近づいていった。

当時南雲機動部隊ではミッドウェー海戦の教訓を生かし、索敵強化と艦隊編成の変更を行っていた。
本隊は南雲中将直卒の第1航空戦隊を中心にガダルカナル島北東海面に布陣。その南東60〜80里付近に前衛部隊(指揮官:第11戦隊司令官 阿部弘穀少将)が、南東200里に牽制隊(指揮官:第8戦隊司令官 原 忠一少将)が配置されていた。
索敵隊も本隊と前衛の両方から同時に発進し索敵力を強化した。

  海戦に参加した第3艦隊の編成表



10月26日 00:50、機動部隊本隊は突如敵飛行艇より爆撃を受け、瑞鶴の至近距離に投下された爆弾に被害は無かったが、全軍が一時反転した。
ガダルカナル島の北東250浬地点でのことである。



緊急事態のため、無電で反転を命じた機動部隊の通信をキャッチした支援部隊でも反転が開始された。02:00時のことである。
そして黎明を待たずに索敵機が本隊・前衛より発進。水偵16機・艦攻8機による2段索敵網が張られた。


00:05   第1航空戦隊、爆撃を受ける。瑞鶴に至近弾×1
機動部隊本隊、反転。
02:00 支援部隊、反転。
(不明) 機動部隊 本隊・前衛より索敵機、発進。
04:50 敵空母発見(翔鶴所属機)
翔鶴の南東方約250浬地点。
「敵は空母1、その他15、針路北西」
第2航空戦隊、南雲中将の指揮下に復帰。敵艦隊方面に進撃開始。
米空母群より攻撃隊、発進。
エンタープライズより攻撃隊1群
 (途中 瑞鳳戦闘機隊と戦闘)
ホーネットより攻撃隊2群
05:25 第1航空戦隊、第1次攻撃隊発進。
翔鶴の対空電探が敵機を捕捉
05:40 敵空母索敵機2機による攻撃により瑞鳳被弾。
(艦載機の発艦可、着艦不可)
06:10 第1航空戦隊、第2次攻撃隊・艦爆隊、発進。
06:45 第1航空戦隊、第2次攻撃隊・艦攻隊、発進。
第2航空戦隊、敵陸上機の接近を察知。
攻撃隊を一時空中に退避させる。
07:14 第2航空戦隊、第1次攻撃隊、発進。
07:25 機動部隊本隊、敵攻撃隊来襲。
翔鶴(艦隊旗艦)被弾・中破。後退。
08:18 南雲中将、指揮権を角田少将に委譲。
艦隊司令部、駆逐艦 嵐 に移乗。
11:06 第2航空戦隊、第2次攻撃隊、発進。
11:15 第1航空戦隊、第3次攻撃隊、発進。
13:33 第2航空戦隊、第3次攻撃隊、発進。
22:00 駆逐艦2隻が漂流中の空母 ホーネット発見・撃沈。

第1航空戦隊・第1次攻撃隊は以下の通りの編成であった。
攻撃隊指揮官は村田重治少佐[艦攻]である。

出撃数   損失
零式艦戦   17機 5機
九九艦爆 20機 17機
九七艦攻 20機 16機
57機 38機

戦果[日本側報告]
撃沈:空母1隻 駆逐艦1隻
大破:重巡1隻 駆逐艦1隻
撃墜:30数機

実際の戦果[米海軍公式情報(戦後確認)を含む。]
米空母ホーネットと思われる空母任務群を攻撃。
ホーネット煙突付近に突入・自爆した艦爆により火災発生。
急降下爆撃・雷撃同時攻撃により魚雷2発命中。動力・通信関係破壊。



他に特筆すべき出来事として制空隊として参加した 瑞鳳 所属の零式艦戦9機の行動が上げられる。
瑞鳳(戦闘機)分隊長 日高盛康大尉指揮下の零式艦戦9機は敵空母進撃中に敵空母を発進した攻撃隊[艦戦6機・艦爆8機]とすれ違った。瑞鳳戦闘機隊はこれと戦闘、全機撃墜した。
これにより、第1航空戦隊は被害を局限出来たが、結果として第1次攻撃隊にかなりの損失を出す結果となった。

この敵空母艦載機はエンタープライズを発艦した飛行隊であるが、米側資料では若干の被害であったとのことである。そしてこの飛行隊は敵空母を含む艦隊を発見、少なくとも1隻に爆弾命中としている。これが機動部隊本隊・第1航空戦隊の空母瑞鳳と思われる。
但し、日本側では瑞鳳を爆撃したのは突如現れた索敵機2機による爆撃と判断されている。(管理人注:資料不足により不明。)
瑞鳳の被害は小型爆弾1発命中、小破。着艦は無理だが、発艦は可能とのことであった。
この攻撃により、第2次攻撃隊の発進準備が遅れ、2波に分かれての進撃となった。



第1航空戦隊・第2次攻撃隊は以下の通りの編成である。
ただし、上記の都合により2隊に分かれての進撃であった。
第1陣指揮官 関 衛少佐[艦爆]、第2陣指揮官 今宿滋一郎大尉[艦攻]であった。
 

出撃数
(第1陣)
  出撃数
(第2陣)
損失(合計)
零式艦戦   5機 4機 2機
九九艦爆 19機   12機
九七艦攻 16機 10機
24機 20機 24機

戦果[日本側報告]
撃沈:空母1隻 戦艦1隻 重巡1隻
大破:駆逐艦2隻

実際の戦果[米海軍公式情報(戦後確認)]
空母エンタープライズを攻撃。
爆弾3発命中、魚雷1発命中。




第2航空戦隊・第1次攻撃隊の編成は以下の通り。
指揮官は志賀淑雄大尉[艦戦]である。

出撃数   損失
零式艦戦   12機
九九艦爆 17機 10機 内1機は不時着水、搭乗員は救助
29機 10機

戦果[日本側報告]
空母1隻 重巡1隻 他巡洋艦1隻 に命中弾を与えた。

実際の戦果[米海軍公式情報(戦後確認)]
空母エンタープライズを攻撃。
戦艦サウスダコタ、軽巡サン・ジュアンに各1発づつ命中弾あり。

当初、攻撃地点に到達した攻撃隊は炎上中の敵空母1隻を含む艦隊を発見した。
攻撃隊・艦爆隊指揮官:山口正夫大尉は周囲を索敵するも別の空母を発見できず、眼下の敵戦艦爆撃を行うべく、第2航空戦隊司令部に通信を送る。そのとき別の索敵機が敵の無傷の空母を発見報告してきた為、直ちに攻撃隊に指示。
雲下に別の空母部隊を発見した攻撃隊は突撃を開始する。
ただし、途中雲中突破を行わざるえなかった為、爆撃コースを外れる機体が多く、戦果は少なかった。



第2航空戦隊・第2次攻撃隊の編成は以下の通り。
指揮官は白根斐夫大尉[艦戦]である。
白根大尉は瑞鶴戦闘機隊長であり、第1航空戦隊・第1次攻撃隊が隼鷹に緊急着艦した後に再度の出撃であった。

出撃数   損失
零式艦戦   8機
九七艦攻 7機
15機 13機

戦果[日本側報告]
ホーネットを攻撃。
4〜5機が雷撃に成功したと思われたが、戦果不明。
敵戦闘機と防御砲火により被害甚大であった。
帰投出来たもの、僅かに2機だけとのことである。

実際の戦果[米海軍公式情報(戦後確認)]
ホーネットに魚雷1本命中。



第1航空戦隊・第3次攻撃隊の編成は以下の通り。
指揮官は田中一郎大尉[  ]である。

出撃数   損失
零式艦戦   5機
九九艦爆 2機
九七艦攻 6機
13機

戦果[日本側報告]
ホーネットを攻撃
戦果不明。(管理人注:資料不足により不明。)

実際の戦果[米海軍公式情報(戦後確認)]
水平爆撃により爆弾1発命中。



第2航空戦隊・第3次攻撃隊の編成は以下の通り。
指揮官は志賀淑雄大尉[艦戦]である。
第1次攻撃隊に参加した機体の中から再度出撃できる機体のみでの出撃である。

出撃数   損失
零式艦戦   6機 0機
九九艦爆 4機 0機
10機 0機

戦果[日本側報告]
空母ホーネットを攻撃。
爆弾4発命中

実際の戦果[米海軍公式情報(戦後確認)]
ホーネットを攻撃。
急降下爆撃により爆弾1発命中。

この攻撃に参加した九九艦爆の搭乗員が戦後、著書にて4発全弾命中したと記述している。戦闘機隊指揮官・志賀大尉が戦果確認しているとのことである。



戦局は日本側優勢と判断された。
途中、米空母は3隻かもしれないとの情報が入ったが、実際2隻だけであった。
連合艦隊司令長官・山本五十六大将は全艦に追撃を命じたのである。

この追撃命令により(命令じゃなくても)、猛追撃を行っていた角田少将座乗の空母隼鷹は護衛の駆逐艦が燃料不足を訴えているにも関わらず、米機動部隊目指して進撃した。

前進した駆逐艦は海上に漂う米空母ホーネットを発見した。
救助活動中の米駆逐艦は即座に脱出、米空母は放棄されたのだ。
当初連合艦隊司令部ではこの空母の捕獲・曳航を計画したが、艦隊側ではとても曳航は無理と判断。駆逐艦の魚雷により処分された。


27日(翌日)早朝、会合した第1・2航空戦隊は徹夜の応急修理により再び攻撃隊を編成することが出来るようになる。

零式艦戦   44機
九九艦爆 18機
九七艦攻 24機
86機
これは瑞鶴・隼鷹 2隻の稼動機の合計である。

しかし、いくら索敵機を出しても米空母の消息は掴めなかった。このため連合艦隊は作戦を終了とする。
この戦いは戦場においては日本側勝利として過言ではない。
日本側4隻、米側2隻の空母を投入し、日本は翔鶴・瑞鳳が被弾損傷したが、米側はホーネット損失、エンタープライズ損傷であった。

両軍の戦果[損失]は以下の通りである。
  日本側損失数   米側損失数(実数) 日本側判断による戦果
空母 翔鶴(中破)
瑞鳳(小破)
ホーネット(沈没)
エンタープライズ(大破)
戦艦 サウスダコタ(小破)
重巡 筑摩(中破)
軽巡 サン・ジュアン(大破)
駆逐艦 ポーター(沈没)
スミス(大破)
航空機 92機
(内不時着水23機)
戦死:133名
74機
その他
たしかに、上記の結果だけを見れば日本側勝利である。
勝利したと言っても過言ではない。
海戦の翌日は米国では海軍記念日であり、史上最悪の海軍記念日であったとラジオのDJが嘆いているほどである。数日前に海軍は海軍記念日に合わせて大々的な作戦を実施し、大戦果を上げると言っていた直後だけに落胆は隠せなかった。
しかし、この戦いがもたらした物は何であったのか?日本は勝利したと言えたのであろうか?

ガダルカナルの戦いを有利に導くための戦いが今回の海戦であった。ソロモン海域に展開する米空母部隊を叩くことによって水上艦艇の戦闘を日本有利に導く。ひいてはこれがガダルカナル島に対する輸送作戦を順当に行えるようにする、いわば間接護衛である。そしてガダルカナル島の陸軍の戦いに勝つためのものであった。しかし・・・
陸軍は3度目の、奪回作戦にも失敗したのである。

空母部隊側にも問題があった。
南太平洋海戦に参加した空母4隻の内、損傷した翔鶴・瑞鳳は修理のため内地に戻った。
瑞鶴も残った搭乗員を隼鷹に転勤させ、新飛行隊編成、新搭乗員の訓練の為に内地に戻ったのである。
こうして残された空母は隼鷹ただ1隻であった。
日米両軍合わせてもソロモン海域に投入できる空母は隼鷹だけであった。
しかし、いくら空母とはいえ、ただ1隻では決定的な戦力に成りえなかったのである。
結局、ソロモン海域の、そしてガダルカナル島での戦局にはなんら影響を与えることなく、戦いは今まで通り水上艦艇と航空機、そしてわずかばかりの陸軍戦力によって進んでいったのだ。

むしろ、この海戦によって発生した被害の方が日本の空母部隊に対する致命傷を与えたとも見れる。
先のミッドウェー海戦での敗戦ではまだ多くの搭乗員が生き残った。
そして彼らの多くが新生の空母機動部隊に配置転換されたのである。
旧第1航空戦隊 赤城 加賀 の生き残りは翔鶴 瑞鶴 に。
旧第2航空戦隊 蒼龍 飛龍 の生き残りは飛鷹 隼鷹 にといった具合である。
ところが今回の海戦では実に多くの搭乗員を失った。皆開戦以来のベテランであり、特に指揮官クラスの搭乗員を多数失ったのである。
そしてその補充を海軍は出来なかったのである。
この海戦以後、色々な要因があるにせよ、結果的には空母部隊は熟練搭乗員を揃えた精強な飛行隊を編成することが出来ず、以後の空母海空戦にあまりにも無力であった。
そして2年後、空母機動部隊は事実上壊滅したのであった。



ではどれだけの搭乗員を失ったのかを最後にリストアップして、このコンテンツを終わりにしたいと思います。
  
所属 氏名   役職
翔鶴 関衛少佐 翔鶴(艦爆)飛行隊長
村田重治少佐 翔鶴(艦攻)飛行隊長
山田昌平大尉 瑞鶴(艦爆)分隊長
鷲見五郎大尉 翔鶴(艦攻)分隊長
瑞鶴 今宿滋一郎大尉 瑞鶴(艦攻)飛行隊長
石丸豊大尉 瑞鶴(艦爆)分隊長
隼鷹 山口正夫大尉 隼鷹(艦爆)飛行隊長
三浦尚彦大尉 隼鷹(艦爆)分隊長
入来院良秋大尉 隼鷹(艦攻)分隊長