海軍航空基地

(陸軍飛行場)

北海道方面
擂鉢 幌筵島中南部に位置する飛行場
  
千歳
別飛沼 占守島の川をせき止めて広げた水上機基地。
北千島航空戦では水上機母艦『君川丸』搭載機と、452空が展開していた。
 
美幌
武蔵 幌筵島南端に位置する飛行場
  

東北方面
大湊
神町
(じんまち)
山形県北村山郡神町に造成した飛行場であり、開戦後の昭和17年頃から飛行場の土地買収、造成が始められた。
搭乗員初歩訓練を担う谷田部空が昭和19年12月に特攻隊が移転して来た為に練習生(甲飛13期)が移転し、神町航空隊を編制した。(中練教程を担当)
その後乙航空隊の奥州空が開隊。(昭和20年6月20日開隊)
主戦場からある意味もっとも遠い飛行場であり、現在の山形空港である。
  
三沢

関東方面
厚木
鹿島
霞ヶ浦
香取
木更津
北浦
神ノ池 茨城県神栖(かみす)市にあった『神ノ池』を埋め立てて造成された飛行場であり、昭和19年2月大量の戦闘機搭乗員育成の為に編制された練習航空隊(神ノ池空)が開隊、配備された。だが百里原基地より移転した来た721空が神ノ池飛行場を占有した為、練習航空隊は谷田部に移転していった。
以後、神ノ池飛行場は721空の本拠地となり、ロケット特攻機『桜花』の練成基地となった。
郡山
館山
父島
筑波
土浦
東京
(羽田)
東京都大田区羽田
終戦直前の昭和20年3月に開隊した霞空(霞ヶ浦空)東京分遣隊が独立して東京空を編成し、羽田に展開した。
  
百里原
谷田部 茨城県筑波郡谷田部町に昭和7年から造成された飛行場であり、元は霞空(霞ヶ浦)の補助飛行場として造成された。
主に陸上機練習教程を担当する霞空分遣隊が展開したが、昭和14年に分離独立して谷田部空となった。
昭和19年末、教員の多くにフィリピン派遣が決定した上、戦闘機搭乗員教育の神ノ池空が移転して来た。そのため、初歩訓練中の練習生(甲飛13期)は神町に移動して教育を続行し、神ノ池空を吸収し再建した谷田部空は戦闘機実用訓練を再開した。
その後特攻隊編成を行い、沖縄航空戦に参加する。
戦後は農地に転用、現在飛行場は残っていない。
   
横浜
横須賀
(追浜)

中部・北陸方面
大井
岡崎 1944年(昭和19年)5月、土浦海軍航空隊分遣隊として発足。予科練基礎教育と航空機整備教育の短期予科練過程を担当した。
また飛行場の一角には第二海軍工廠岡崎分遣隊が併設され、中島飛行機で生産された航空機の艤装を担当した。
   
河和
(こうわ)
愛知県知多郡美浜町の古布地区の集落を収用して完成した航空基地であり、追浜空知多分遣隊の配備によりスタートした航空基地であり、整備員養成の普通科練習生が配備された。
一方飛行場完成後に小松島空の水上機搭乗員養成用として海岸に水上機基地を造成し、飛行訓練に当った。
そのため2つの航空隊が同居したが、両部隊のつながりはまったくといってよい程なかったらしい。
  
串本
豊橋
名古屋
藤枝 乙航空隊 関東空の管理する飛行場
131空芙蓉部隊の拠点であり、沖縄航空戦時における芙蓉部隊の後方基地となった。
現在の航空自衛隊静浜基地である。
 

近畿方面
大津 琵琶湖をに設置された水上機基地。
開戦に伴い水上機搭乗員を増強する必要から鹿島空から派遣された分遣隊で編制された大津空が配備された。
琵琶湖には他に滋賀空が存在する。
 
滋賀 滋賀県大津市唐崎に造成された基地であり、ミッドウェー作戦敗戦後に急増された練習航空隊の一つ、滋賀空が配備された。
   
鈴鹿 1937年(昭和12年)、航空隊増設計画に伴い造成された練習航空隊用の基地であり、新編された鈴鹿空は主に通信偵察飛行の教育・訓練や、試験飛行を行った。
当初造成された飛行場を第一鈴鹿海軍航空基地とし、開戦後に航空隊増設に伴う練習航空隊の増設に合わせて第二鈴鹿海軍航空基地が造成され、予科練の三重空が展開した。
1943年(昭和18年)には1001空が配備。ついで戦争末期には1021空、偵3・偵4飛行隊も展開する。
さらに同地には三菱重工の名古屋工場が隣接し、第二海軍航空廠鈴鹿支廠三菱重工三重工場があった。
他にも第二海軍航空廠鈴鹿支廠補給工場、第二海軍燃料廠の燃料庫などが存在する。
三菱航空機製作所で生産・整備された航空機は第二鈴鹿海軍航空基地にて試験飛行され、検査後に各種艤装が施され配備先の各隊に空輸されるか、直接搭乗員が機体を引き取りに来たりした。
舞鶴
三重 (鈴鹿第二航空基地)

山陽・山陰方面
岩国
可部
(かべ)
峯山海軍航空隊『義部隊』が展開した秘匿基地であり、全国各地に造成された本土決戦用の特攻隊基地。通常は牧場(国安牧場)として偽装されていた。
広島市北部(現:広島市安佐北区)の可部地区東北17km地点にあった。
 
藤河 峯山海軍航空隊『禮部隊』が展開した秘匿基地であり、全国各地に造成された本土決戦用の特攻隊基地。
錦川の河川敷をならして滑走路とした。
   

四国方面
小松島
宿毛
徳島
松山

九州方面
天草
出水
岩川 沖縄航空戦当時、九州南部に展開した海軍航空隊の支援基地として造成された山間部の飛行場であったが、同地に展開した131空芙蓉部隊の前線秘匿基地として運用された。
通常は牧場として偽装され、離発着は夜間から早朝のみとされ、周辺の畑、滑走路上に施された偽装家屋等によって終戦まで敵の空襲を受けることなく部隊が作戦を継続した。
 
宇佐
大分
大村
鹿児島
笠ノ原
鹿屋
串良
国分
玄海
佐世保
築城
富高
博多
宮崎

沖縄方面

その他
台南 台湾・台南州
  
高雄 台湾・高雄州
  
鎮海 朝鮮慶尚南道
  
東港 台湾・高雄州