帝国陸軍 近衛歩兵連隊

近衛歩兵第一連隊 〜 近衛歩兵第十連隊


  近衛歩兵第一連隊
通称号 東部二
編成 1874年(明治7年)1月23日 (軍旗拝受日)
編成地 東京
最終時の上級部隊と配置
近衛第一師団 東京
解説 日本陸軍最初の歩兵連隊であり、西郷隆盛が率いた御親兵を母体として誕生した。
全国選抜徴兵制によって全国各地から選び抜かれた模範青年によって構成される。
また大正・昭和天皇が皇太子時代に連隊付きとして在籍されており、連隊の名誉と誇りとなっている。
日清戦争では台湾平定に従事し、日露戦争では定州における緒戦に参加し大勝を納め、以後九連城、分水嶺、沙河、奉天などの会戦に参加する。
日中戦争では近衛混成旅団の一翼として参加。広東に上陸後、第二一軍の指揮下で翁英作戦(広東作戦)に参加するが、作戦の打ち切りと、占領直後の南寧防衛戦の為、急遽海路で南寧に進出し、賓陽作戦(南寧防衛・反撃作戦)に参加する。その後も上思県討伐、江南作戦、第一次西路作戦、第二次西路作戦、仏印国境作戦などに参加し、1941年(昭和16年)1月に東京に帰還した。
太平洋戦争では終始皇居守衛と帝都防衛に従事した為、戦地への出動はなかった。
   

  近衛歩兵第二連隊
通称号 東部三
編成 1874年(明治7年)1月23日 (軍旗拝受日)
編成地 東京
最終時の上級部隊と配置
近衛第一師団 東京
解説 日本陸軍最初の歩兵連隊の一つあり、西南戦争の折り、田原坂の戦いに於いて勲功をあげた。
日清戦争では近衛第一連隊とともに台湾平定に従事し各地を転戦し、日露戦争では九連城、遼陽、沙河、奉天などの会戦に参加する。
日中戦争でも近衛第一連隊と行動を共にすることが多かったが、北部仏印進駐の際には基幹部隊としてハイフォン市郊外に上陸し、ハイフォン港占領を実施した。これは歴史に残る無血進駐であった。以後バクニンに主力をおいて半年に渡る駐留を続けることとなった。連隊が東京に帰還したのは1941年(昭和16年)4月8日であった。
太平洋戦争では終始皇居守衛と帝都防衛に従事した為、戦地への出動はなかった。
   

  近衛歩兵第三連隊
通称号 宮三八〇二
編成 1885年(明治18年)10月27日 (軍旗拝受日)
編成地 東京
最終時の上級部隊と配置
近衛第二師団 スマトラ島ビルン(北部地域)
解説 日清戦争時には台湾平定作戦に従事し、日露戦争では遼陽会戦、奉天会戦に参加した。
日中戦争では1940年(昭和15年)6月に出兵と比較的遅い従軍であり、漢口をはじめ、南寧・広東付近での警備任務に従事した。
南部中山県に駐留当時、部隊の改編が行われ、従来の馬匹編成から自動車編成へと改編している。これにより自動車80台余と自転車3000台余を有する日本最初の銀輪部隊となり、機動性に優れた連隊となった。
太平洋戦争では開戦直後に第三大隊を基幹とする部隊をもってシンガポール攻略作戦に参加。軍主力の総攻撃に対する陽動作戦として従軍し、これを成功させている。
攻撃開始後は軍の左翼部隊としてマンダイ山攻撃、九〇高地攻撃にどに参加。連隊主力もこれを追尾し、シンガポールに到着。その後北部スマトラに向かい同地の平定作戦に従事した。
1943年(昭和18年)、第一大隊はスマトラ島に残留したが、連隊主力は一時アンダマン群島に移駐。(その後スマトラ島に帰還)
1943年(昭和18年)6月、近衛師団が改編され近衛第二師団と改称され、連隊はここに編入される。
末期にはスマトラ島各地に分散配備され、決戦態勢を整えつつ終戦を迎えた。
    

  近衛歩兵第四連隊
通称号 宮三八〇三
編成 1887年(明治20年)5月24日 (軍旗拝受日)
編成地 甲府
最終時の上級部隊と配置
近衛第二師団 スマトラ島アチェ州(北部地域)
解説 日清戦争では大連上陸後の警備任務に従事した後、台湾に移動して平定作戦に従事した。
日露戦争では第一軍第二梯団として鴨緑江岸に進出。九里島、哈蟆塘、鳳凰城、様子嶺を経て遼陽会戦に参加し、その後奉天会戦に参加した。
日中戦争では1940年(昭和15年)6月に近衛歩兵第二旅団の一翼として近衛歩兵第三連隊と共に漢口に上陸し、南寧・石岐の警備に従事した。
仏印作戦開始時にサンジャック・サイゴン付近に進出。太平洋戦争開戦時のマレー作戦に備えた。開戦に伴ない連隊主力は陸路を進出したが、第三大隊は海上を渡ってバンコクに進出する。その後のマレー半島侵攻では近衛師団先遣隊として参加。ベラク、カンパル、バクリ、センガランの戦いを経てシンガポールに進出。ジョホールバル水道渡河作戦を敢行し、敵要塞砲撃の中を突破してチャンギー要塞〜シンガポールの連絡線遮断を行った。
その後スマトラ島バトバラに上陸。中部スマトラを転戦した後、北部防衛にあたる。
1943年(昭和18年)6月、近衛師団が改編され近衛第二師団と改称され、連隊はここに編入される。その後警備任務と敵上陸に備えて陣地構築を行っていたが、そのまま終戦を迎えた。
   

  近衛歩兵第五連隊
通称号 宮三八〇四
編成 1939年(昭和14年)10月25日 (軍旗拝受日)
編成地 佐倉
最終時の上級部隊と配置
近衛第二師団 スマトラ島ラビンチンギ
解説 日中戦争において、1941年(昭和16年)1月12日に広東省中山県唐家上陸。以後同地区の警備にあたる。その後8月より雷州方面作戦に従事。その後南部仏印進駐に従事し、同地の警備任務にあたった。
太平洋戦争開戦時には第二五軍近衛師団の基幹部隊としてタイに進駐。翌年1月にはタイ・マレー国境を通過し、シンガポールを目指す。ジョホール州バクリの森林地帯に於いて印度独立第45旅団の防御陣地において交戦し、これを撃破する。このマレー侵攻作戦に於いて、連隊は連隊長(岩畔豪雄大佐)の名前から『岩畔追撃隊』と呼称されるようになるが、また別に『青シャツ自転車隊』とも呼ばれた。
シンガポール攻略戦では第二大隊を先頭にジョホール水道を渡河。流されて予定地点から離れたジャングル地帯への上陸となったが直ちにウッドランド高地を攻撃し、引き続き上陸した連隊主力も南部水源地付近の高地を占領した。その後シンガポール攻略戦中、有数の激戦となった一〇五高地攻撃に参加することとなる。
シンガポール攻略後、連隊はスマトラ島に転進し平定作戦に従事する。
1943年(昭和18年)6月、近衛師団が改編され近衛第二師団と改称され、連隊はここに編入される。9月、第一大隊がアンダマン群島に移駐。同大隊は後に独立混成第三五旅団独立歩兵第二五四大隊となった。
1944年(昭和19年)1月、改編により海上機動旅団と同様の編成となり、以後メダン付近にあって訓練に従事するが、そのまま終戦を迎えた。
   

  近衛歩兵第六連隊
通称号 東部七
編成 1943年(昭和18年)9月7日 (軍旗拝受日)
編成地 東京
最終時の上級部隊と配置
近衛第一師団 東京
解説 1943年(昭和18年)6月、近衛師団が改編され、従来の近衛師団を基幹として近衛第二師団が編成される。一方で近衛師団に代わって帝都防衛任務に従事していた近衛混成旅団が師団に改編される際に誕生した連隊がこの近衛歩兵第六連隊と同第七連隊である。
近衛歩兵第一連隊第三大隊全員を基幹とし、第一大隊・第二大隊の各中隊から初年兵を選抜し、その他通信、歩兵砲中隊など全軍から選抜して編制された。その為精鋭部隊と称され、またそれに伴なった実力も誇示していた。
主に皇居守護の任務に従事するが、大戦末期の帝都空襲の際には各隊毎に分散し、戦闘態勢に転じ消火活動に従事する。だが兵舎どころか大宮御所、皇居表宮殿も消失するまでに至った。
    

  近衛歩兵第七連隊
通称号 東部八
編成 1943年(昭和18年)9月7日 (軍旗拝受日)
編成地 東京
最終時の上級部隊と配置
近衛第一師団 東京
解説 1943年(昭和18年)6月、近衛師団が改編され、従来の近衛師団を基幹として近衛第二師団が編成される。一方で近衛師団に代わって帝都防衛任務に従事していた近衛混成旅団が師団に改編される際に誕生した連隊がこの近衛歩兵第七連隊と同第六連隊である。
近衛混成旅団を基幹として編制された。
編制後は帝都防衛・皇居守護任務に従事し、そのまま終戦を迎えた。
   

  近衛歩兵第八連隊
通称号 範三八二四
編成 1944年(昭和19年)4月26日 (軍旗拝受日)
編成地 東京
最終時の上級部隊と配置
近衛第三師団 千葉県東金
解説 大戦末期に編制された近衛歩兵連隊であり、留守近衛第二師団を基幹として近衛第三師団に改編する際に編制された3個近衛歩兵連隊の一つである。
米軍の関東方面に対する本土上陸作戦に備えて千葉県・九十九里浜防衛を分担。防御用の沿岸防御陣地を構築して本土決戦に備えていたが、交戦することなくそのまま終戦を迎えた。
   

  近衛歩兵第九連隊
通称号 範三八二五
編成 1944年(昭和19年)4月26日 (軍旗拝受日)
編成地 甲府
最終時の上級部隊と配置
近衛第三師団 千葉県東金
解説 大戦末期に編制された近衛歩兵連隊であり、留守近衛第二師団を基幹として近衛第三師団に改編する際に編制された3個近衛歩兵連隊の一つである。
米軍の関東方面に対する本土上陸作戦に備えて千葉県・九十九里浜防衛を分担。防御用の沿岸防御陣地を構築して本土決戦に備えていたが、交戦することなくそのまま終戦を迎えた。
   

  近衛歩兵第十連隊
通称号 範三八二六
編成 1944年(昭和19年)4月26日 (軍旗拝受日)
編成地 佐倉
最終時の上級部隊と配置
近衛第三師団 千葉県東金
解説 大戦末期に編制された近衛歩兵連隊であり、留守近衛第二師団を基幹として近衛第三師団に改編する際に編制された3個近衛歩兵連隊の一つである。
米軍の関東方面に対する本土上陸作戦に備えて千葉県・九十九里浜防衛を分担。防御用の沿岸防御陣地を構築して本土決戦に備えていたが、交戦することなくそのまま終戦を迎えた。