バタビヤ沖海戦
[1942/3/1]



 
スラバヤ海戦後にスラバヤに帰投したABDA艦隊は英国部隊である『エクゼター』以下の艦艇がセイロン島に向かうように指示された一方、米・豪海軍の重巡『ヒューストン(小破)』と軽巡『パース』はジャワ防衛司令部の命令によりジャワ南岸のチラチャップへ向かうように指示された。
この部隊の指揮し『パース』艦長 ヘクター・ウォーラー大佐が指揮をとった。
同艦隊はバタビヤを出港、西方に進行中に日本軍輸送船団を発見する。
この船団はジャワ西方攻略部隊を揚陸中であり、その数56隻。『パース』隊は直ちに船団への突撃を開始したのである。
当時輸送船団を護衛していたのは第5水雷戦隊(司令官:原顕三郎少将)であり、0009にバンダム湾沖合を哨戒中の駆逐艦『吹雪』が接近する連合国軍艦艇2隻を発見、直ちに警戒を発し追尾を開始する。
原少将は指揮下各隊に集結を命じ、迎撃を開始する。
船団に接近した『パース』『ヒューストン』は夜間の為照明弾を打ち上げ船団に対する攻撃を開始した。この時船団と『パース』隊の間に居たのは駆逐艦『春風』だけであり、同艦は直ちに煙幕を展開し、船団を隠すべく行動を開始した。
続いて追尾中の『吹雪』が敵艦隊の右舷回頭の折に好機を捕らえ雷撃を敢行、続いて照射射撃を開始する。
この戦闘を確認した第11駆逐隊の『初雪』『白雪』そして戦隊旗艦の軽巡『名取』が、続いて泊地内で散開していた第5駆逐隊の『春風』『旗風』『朝風」も集結したのち突撃を開始した。

これら多数の日本艦艇の接近を知った『パース』『ヒューストン』は船団攻撃を断念、離脱を開始する。
第11駆逐隊が3,500mまで接近して雷撃を開始、次に第5駆逐隊が雷撃をしよとした瞬間、『春風』に敵弾が命中、舵が損傷した。
『名取』は『パース』に対し砲雷撃戦を開始、即魚雷を発射した後煙幕を展開して反転、艦隊の再集結を命じている。

一方でこの戦闘を確認した第7戦隊第2小隊の重巡『最上』『三隈』 駆逐艦『敷波』は沖合を遊弋中に通報を受け直ちに湾内に向かっていた。
0100に戦闘中の両軍艦隊を発見、距離11,200mで同航し魚雷発射、3分後に砲撃を開始した。
『パース』『ヒューストン』は駆逐艦部隊と交戦中に、突如現れた『最上』『三隈』によって、多数の命中弾を受け被弾炎上した。
『パース』は単艦で肉薄してきた『春風』の魚雷を受け命中、その後各艦から集中砲火を浴びて沈没した。
『ヒューストン』も『最上』が再度魚雷を発射、『三隈』が9,000mまで接近しての集中砲撃を浴びせ沈黙。最期には『敷波』の雷撃を受け沈没する。

ただこの『最上』の再度発射した魚雷が『ヒューストン』に命中せず、自軍の輸送船に命中するという珍事件が起こった。
『佐倉丸』が沈没、『龍城丸』『蓬莱丸』『龍野丸』が大破してしまった。

この海戦とスラバヤ沖海戦(掃討戦)でジャワ方面の連合国艦艇は壊滅した。
日本軍の完勝ではあったが、湾内で味方の輸送船わ沈めてしまったことや、夜間警備中に敵艦隊に侵入されてしまったことに対する反省点と課題を残す結果となった。