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アメリカ太平洋艦隊は元来カリフォルニア州サンディエゴを基地としていた。
しかし1940年(昭和15年)に日本軍の南方進出に対する牽制としてハワイに進出し、常駐したのである。
問題は実際に機動部隊がハワイ近海まで気付かれること無く接近し、攻撃隊を出撃した場合でもアメリカ艦隊が真珠湾に在泊していない場合である。
もし演習で出動していて攻撃が空振りに終われば攻撃そのものが意味をなくす。あくまで艦艇に対する攻撃が主目的であり、真珠湾の軍港としての機能を低下・殲滅が目的ではないからである。
その為、あらゆる方法が取られた。
軍令部情報局はワシントン駐在の海軍士官・アメリカの新聞・ラジオ・雑誌・無線情報を、ホノルルに寄港した船舶の乗客・乗員・貿易会社。
あらゆる所から得た情報を分析した。
アメリカ太平洋艦隊は演習では金曜日入港・月曜日出港が通例であり、日曜日に決定された。
艦隊の動静もホノルルの日本領事館職員によって探られた。
特に真珠湾を5つの水域に分け、どの艦種がどの水域で錨泊中か、どの岸壁に繋留中かも報告したのである。これは攻撃隊員に伝えられ爆撃目標の助けにもなった。
潜水艦による監視も行われた。
合計25隻もの潜水艦が派遣され、オワフ島を方位したのである。
攻撃当日は真珠湾湾口は狭く潜水艦では十分に監視できない為、機動部隊の水上偵察機によって事前偵察されたが、もう一つの艦隊停泊地であるラハイナ泊地には潜水艦が派遣された。
前記の航空機による事前偵察は機動部隊の『利根』『筑摩』の水上機が攻撃隊到着1時間前に偵察し直前情報を報告している。
ホノルルのラジオ局にも注意が払われた。
もし日常と同じ放送であればアメリカは機動部隊接近に気付いてないであろうからである。
このような情報収集によって作戦が行われたのである。 |
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