解説 |
元々東京地区を担当する高射砲部隊は東部高射砲集団の隷下にあったが、新設編入が相次いだ為、指揮運用の効率をはかるために高射砲師団として臨時編成されたのが始まりである。
師団の防衛守備範囲は皇居と京浜地区の政戦略・生産中枢と、立川・太田・日立・釜石の生産施設におよぶ。
東京地区の戦力配備正面は東京の東正面であったが、B-29東京空襲の侵入コースが伊豆半島から入り、富士山で進路変更して東進する為、一部高射砲を西正面に配置換えを行った。
次々に新編され、増える高射砲部隊は重要交情、交通上の要点防空に配備され、その配備は大宮・福生・日立・新潟港にまでおよぶ。
師団司令部は当初代官山に会ったが、昭和20年5月12日に上野(上野博物館)に移された。
またB-29による爆撃が大都市爆撃から地方中小都市へ目標を変えるようになると、隷下の一部部隊に機動的に対応できるようにする為に自動車化し、宇都宮・高崎・前橋地区に対する一部兵力の移動を行った。
5月、久我山に15センチ高射砲2門が設置、7月からB-29に対して有効な威力を発揮したが、完成が遅く早期配備が悔やまれた。 |