帝國陸軍師団(21)

  高射第一師団
   通称号   
編成 昭和19年12月22日
編成地 東京
補充担当 東京
解説 元々東京地区を担当する高射砲部隊は東部高射砲集団の隷下にあったが、新設編入が相次いだ為、指揮運用の効率をはかるために高射砲師団として臨時編成されたのが始まりである。
師団の防衛守備範囲は皇居と京浜地区の政戦略・生産中枢と、立川・太田・日立・釜石の生産施設におよぶ。
東京地区の戦力配備正面は東京の東正面であったが、B-29東京空襲の侵入コースが伊豆半島から入り、富士山で進路変更して東進する為、一部高射砲を西正面に配置換えを行った。
次々に新編され、増える高射砲部隊は重要交情、交通上の要点防空に配備され、その配備は大宮・福生・日立・新潟港にまでおよぶ。
師団司令部は当初代官山に会ったが、昭和20年5月12日に上野(上野博物館)に移された。
またB-29による爆撃が大都市爆撃から地方中小都市へ目標を変えるようになると、隷下の一部部隊に機動的に対応できるようにする為に自動車化し、宇都宮・高崎・前橋地区に対する一部兵力の移動を行った。
5月、久我山に15センチ高射砲2門が設置、7月からB-29に対して有効な威力を発揮したが、完成が遅く早期配備が悔やまれた。
部隊編成  終戦時    高射砲第一一一連隊(埼玉)
高射砲第一一二連隊(世田谷)
高射砲第一一三連隊(川崎)
高射砲第一一四連隊(月島)
高射砲第一一五連隊(市川須和田)
高射砲第一一六連隊(板橋)
高射砲第一一七連隊(横浜)
高射砲第一一八連隊(後楽園)
高射砲第一一九連隊(市川)
照空第一連隊(八王子)
野戦高射砲第九五大隊  野戦高射砲第九六大隊 
独立高射砲第一大隊 〜 独立高射砲第四大隊
独立高射砲第四四大隊  
独立高射砲第四九大隊
独立高射砲第三四中隊
独立高射砲第四八中隊 〜 独立高射砲第五一中隊
機関砲第一大隊 〜 機関砲第十四大隊
独立機関砲第一大隊
独立機関砲第一中隊
独立機関砲第二中隊
独立機関砲第十三中隊 〜 独立機関砲第十六中隊
独立機関砲第三四中隊
第一要地気球隊
独立照空第一大隊

  高射第二師団
   通称号   
編成 昭和20年4月28日
編成地 名古屋
補充担当 名古屋
解説 名古屋地区を担当する高射師団であり、元々名古屋は中部高射砲集団の管轄であり、高射砲連隊×1、機関砲中隊×1が配置されていた。昭和19年6月のB-29による本土空襲が始まると、航空機製造工場の多かった名古屋に対して兵力増強の点から新たに高射砲連隊×1、機関砲中隊(?)×1が増設され、8月に独立して名古屋高射砲隊司令部を新設した。
この名古屋高射砲隊司令部を基幹として編成されたのが高射第二師団であり、師団編成時に戦力の増強が行われた。
名古屋高射砲隊当時より欺騙陣地、欺騙都市を構築し、作為、照空灯の陽動を実施し爆撃効果を無効化するなどの成果を上げていた。また空襲の激化に伴い、鉄道援護強化が下令され、東海道線、関西線の主要河川鉄橋に高射砲、高射機関砲中隊を配備するようになる。
B−29の目標が中小都市に切り替わった6月からは高射砲・高射機関砲を機動運用するように準備を始め。これはもともとの戦力が不足していたこともあり、地方都市に固定兵力を配備する余裕がなかった為である。
部隊編成  創設時    高射砲第一二三連隊第九中隊(※詳細不明)
高射砲第一二四連隊(愛知県上野)
高射砲第一二五連隊(愛知県千種)
野戦高射砲第九七大隊
独立高射砲第五大隊
独立高射砲第十二大隊
独立高射砲第四七大隊
独立高射砲第十一中隊
独立高射砲第五二中隊 〜 独立高射砲第五四中隊
機関砲第十二大隊
機関砲第一〇六大隊
機関砲第二三中隊 〜 機関砲第二五大隊
機関砲第四二中隊 〜 機関砲第四四大隊
独立照空第十一大隊

  高射第三師団
   通称号   
編成 昭和20年4月28日
編成地 大阪
補充担当 大阪
解説 中部高射砲集団を基幹として編成された高射師団。
阪神地区の要地及び京都・広島・宇和島地区の重要施設の援護を任じた。
昭和20年5月6月は昼夜に渡り空襲を受け、大きな被害を受ける。また地方都市、港湾施設、主要鉄道橋梁援護にも一部戦力を派遣した。
7月になって京都・広島はまだ爆撃を受けておらず、既に廃墟となった大阪・神戸地区の戦力を抽出派遣することに決定。広島に独立高射砲第二二大隊が派遣され、指揮を取ったが、各中隊の兵力が到着する前に広島に原爆が投下された。
部隊編成  創設時    高射砲第一二一連隊(大阪)
高射砲第一二二連隊(大阪)
高射砲第一二三連隊(神戸)
独立高射砲第十一大隊
独立高射砲第十三大隊
独立高射砲第二二大隊
独立高射砲第四五大隊
独立高射砲第五七中隊
独立高射砲第五八中隊
独立機関砲第十一大隊
独立機関砲第四七中隊 〜 独立機関砲第五一中隊

  高射第四師団
   通称号   
編成 昭和20年4月28日
編成地 小倉
補充担当 小倉
解説 西部高射砲集団を基幹とし、師団編成時に新編された部隊を加えて編成された高射師団であり、従来の任務を引き継いで北九州の要地防空に任じたが、沖縄戦終了後には連合国軍の南九州上陸を予期して要地防空から野戦防空への準備を検討した。
昭和20年5月、師団主力は南九州築城付近に移動し、第五七軍の指揮下に編入。軍高射砲隊を編成し、南九州の飛行場や主要鉄道路線の防空を担当しつつ野戦防空の準備を開始する。
師団主力が南九州に移動すると北九州地区は第四高射砲隊司令部を編成し、第十六方面軍の指揮下に編入されて防空を継続する。またB−29による関門海峡機雷封鎖に対処する為に港湾施設防空用に兵力を抽出して防空戦力の強化を図った。
6月になると敵上陸部隊に対抗する為に攻勢兵団の機動と戦場防空も任ずるようになるが、8月には方面軍直轄の命令により第五七軍の指揮から離れて北九州に後退。方面軍高射部隊の全般指揮を取るようになる。一方、北九州の第四高射砲隊は第五六軍の指揮下に編入され増強された上で野戦防空態勢に移行した。
部隊編成  創設時    高射砲第一三一連隊(八幡)
高射砲第一三二連隊(小倉)
高射砲第一三三連隊(福岡・関門地区)
高射砲第一三四連隊(長崎)
高射砲第一三六連隊(小倉)
独立高射砲第四三大隊
独立高射砲第二二中隊
独立高射砲第二三中隊
独立高射砲第五五中隊
独立高射砲第五六中隊
機関砲第二一大隊
独立機関砲第十一中隊
独立機関砲第十二中隊
独立機関砲第二六中隊 〜 独立機関砲第二八中隊
独立機関砲第三一中隊 〜 独立機関砲第三三中隊